真田丸:堺雅人主演の大河 「半沢直樹」と共通点も?

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「真田丸」のワンシーン=NHK提供

 俳優の堺雅人さん主演で10日からスタートする大河ドラマ「真田丸」。堺さんが演じるのは真田幸村の名で知られる真田信繁。その生き様は、江戸時代の「講談」を通じて広く知られるようになり、現在でも戦国武将として屈指の人気を誇る。ドラマをより楽しく見るため、信繁と真田家について解説する。

 ◇なぜ信繁?

 今回の大河で、最初に浮かぶ疑問は「真田信繁って誰? 真田幸村じゃないの?」だろう。理由は、歴史ファンなら納得するところで、確かな資料に「幸村」の名前が出たことは一度も無いからだ。かつ信繁は頻繁に名前を変えたらしく、講談で使われた「幸村」の名が最も有名になったわけだ。視聴率をアップさせるためには「真田幸村」にする方がいいのは確実だが、それでも見送った。「真田丸」が、過去の同系統作とは一線を画する決意の表れともいえる。

 同じく有名な「真田十勇士」でも、登場するのは「佐助」だけ。しかも有名な「猿飛」の名字はない。そして霧隠才蔵の名もキャスティングにはない。十勇士には実在したとみられる人物もいるが、その氏名も現段階では見当たらない。せめて知名度を考えると佐助のように才蔵の名も出してもいい気はするが、それも今回の大河のこだわりなのだろう。

 ◇真田信繁の魅力

 信繁は、知名度の高い武将でありながら史実では不明な点が多い。はっきりしているのは、戦国屈指の謀将として知られる父・昌幸の息子として生まれ、人質人生を長く送り、天下分け目の戦いに敗れて九度山(和歌山県)へ流罪となって父と共に苦しい生活を送る……という目立たない人生がほとんどを占めること。そして実質的に戦国時代の幕を下ろす戦い「大坂冬・夏の陣」で、華々しい活躍をして散るという最後の輝きだ。

 ではなぜ、信繁の人気は高いのか? といえば、ロマンを感じるからだ。参戦前は信繁は、当然ながら無名の武将。さらに味方であるはずの豊臣方から、兄・真田信之が徳川方にいるため疑いの目を向けられながら、筋を通して豊臣方の武将として少数の軍で奮戦した。しかも大坂の陣が、自らが一軍の将として指揮を執った初の戦いでありながらだ。

 さらに当時の最高権力者で、戦国最強クラスの野戦の達人・徳川家康を、一時的にとはいえ追い回して「ギャフン」といわせた。つまり力のない庶民が、強大な権力者にたてつき、勝てずともむこうずねをけ飛ばしたといえる。その姿勢に共感する人は多いはずだ。弱者の意地と奮闘を見せるのは、くしくも堺さんが主演を演じて大ヒットを飛ばしたドラマ「半沢直樹」と似た構図だ。

 ◇真田家は有能ぞろい

 信繁を語る上では、真田家の存在に触れないわけにはいかない。織田家、豊臣家など有能な後継者の不在がたたって没落したした戦国大名は少なくないが、真田家は三代続けて有能な後継者を輩出した。真田家が信濃の一領主として武田、織田、徳川、上杉、北条という大国への対応に苦労したというのはその通り。だがむしろ手玉に取り、したたかに生き延びたという方がピッタリかもしれない。

 信繁の祖父・幸隆は、武田信玄が落とせなかった堅城をあっさり攻略、武田家の有力家臣として活躍する。伯父(昌幸の兄)の信綱は武田氏滅亡の原因となった長篠の戦いで戦死するが「信濃衆随一の武将」といわれた。父の昌幸は斜陽の武田家を支え、武田氏滅亡後は上杉や北条などの大国を手玉に取り、徳川家の大軍を二度にわたり退ける「徳川キラー」ぶりを発揮する。そして兄・信幸(信之)は関ケ原の戦いで家康に味方し、戦後処刑されるはずだった昌幸と信繁の助命に成功。流配先の九度山に仕送りをした家族愛を感じさせた事実もある。そして大名・真田家は、信幸のおかげで明治時代まで存続する。

 ◇二度の活躍で最高級の評価

 主人公がほぼ無名だった「花燃ゆ」とは違い、真田信繁は人気の高い武将だけに、インターネットを検索しただけでも、家紋の「六文銭」、本拠地の上田城、真田紐、大河のタイトルになった砦「真田丸」とさまざまなエピソードが出る。中には、信繁が豊臣秀頼を助けて薩摩(鹿児島県)に逃げ延びたという伝説もあり、それが日本史の百科事典「国史大辞典」にも掲載されていたりするほどだ。

 また「信長の野望」など戦国時代を題材にした人気ゲームでは、多くの戦国武将が数値でランク付けされているが、信繁の戦闘能力は最強クラスになっている。他の武将が長年の実績で評価される中、たった二度の戦いにもかかわらず評価がずば抜けて高いのも面白いところだが、これも無名だった信繁の活躍に多くの人が心を躍らせ、愛された証しだといえそうだ。

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