ぴなメイドな生活:そしてメイドブームへ

 
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 ぴなふぉあ最年長メイド田川まゆみと申しますm(_ _)m おかげさまで私、メイドカフェぴなふぉあに勤めて8年目に突入しました!! 皆様、これからもよろしくお願いいたしますm(_ _)m

ウナギノボリ

 さて、私が書いていたコラム? 前回書いたのがかなり前なので覚えていますか?(苦笑) 忘れた方はアーカイブをご覧くださいーw※昨年の1月までワープだ(゜Д゜;;)

 オープンから売り上げが上がらず……。「メイドカフェはやめて、焼き鳥屋にする!」と社長からの伝言を告げられた田川まゆみさん……。

 せっかくシフトに入れるようになったのに! お店がなくなっては困る!!! まずは、店を立て直して閉店を阻止しなくてはっ(’~`;)

 そう思ってまず取った行動は、やる気の感じられる人を集めて相談しよう、でした。

 相談相手に決めたのは3人。オープンからいるリーダー的なコ。イベントなど企画力があるコ。仕事が早く覚えが素早いコ。

 とはいえ、いきなり入ったばかりの人が呼びかけてもすんなりうまくいくはずもなく、約束した日時を迎えてようやく連絡がつき、「今日は無理」、「やるなら全員集まらないと意味ないんじゃないですか?」と言われる流れに……。

 それでもあきらめず、次の約束をお願いし、なんとか定期的に集まれるようにしてもらい、今の危機を逃れるにはどうしたらいいか? メニューのこと、イベントのこと色々話し合いました。

 どんなことを話し合ったか報告しているうちに、店長も同席してくれるようになり社長にもいいバランスで伝達してもらえような体制ができていきました。

 そのころから、じわじわと……、オタク向けムック以外の雑誌やテレビで、「秋葉原のメイドカフェ」が取りあげられるようになってきてきました。

 毎週何本も取材が入り、その対応を直に行っていた社長も協力体制になっていました。

 と、いうかマスコミで扱ってもらうことで、またマスコミが来るというバタバタな状態に対応するのに追われているうちに「焼き鳥屋事件」は消えていったようです。(たぶん←) ※下手に話題にすると、また閉店の流れになるから、あえて誰もふれませんでした(−”−)

これを書いている現在。

 自分のブログを読み返しているんですが、マメに更新してる月と、全然更新してない月があり……。「あー。このあたりは大変な時期だったなあ」としみじみ(苦笑)

 テレビなどで見た方が、だんだんと来るようになったのもこのころ。ただ、この方たちは、店に入るわけではなく、とりあえず見に来た。みたいな人ばかりで……。ぴなふぉあは1階にあるため、窓の外に20人以上の人だかりがっ!!w(゜o゜)w

 当時はカーテンなどもつけていなかったので、夜になると外からの写メによる盗撮の嵐orz あげくの果てには向かいの喫茶店から望遠レンズで撮影する人まで(゜Д゜;;)

 まだアキバにメイドカフェが10店舗程度しかなかった時代。ヨドバシカメラもなく、ドンキホーテができて半年くらい……。このあたりからメイドカフェが忙しいことになっていくのです。(つづく)

著者自己紹介

 たがわ・まゆみ。79年生まれの18歳(←?w)。神奈川県生まれ。秋葉原昭和通り口徒歩30秒「メイドカフェぴなふぉあ」の三枚目キャラメイドさん。演劇公演「メイド喫茶の神様」や、アキバ系地下アイドルイベントにも出演中!

 ※このコラムでは、一部特殊な表現が使われていますが、コラムの趣旨に則り、できるだけ原文のままの表現としています。(編集部)

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