今月5日に亡くなった歌舞伎俳優の中村勘三郎(本名・波野哲明=なみの・のりあき)さんの本葬が27日、築地本願寺(東京都中央区)で営まれ、約1万2000人が弔問に訪れた。喪主を務めた長男の勘九郎さんはあいさつで、「こんなに愛されている人の息子に生まれたこと、本当に幸せです。これからは父が愛した厳しい歌舞伎の道をしっかり前を向いて進むしかありません」と決意を語るも、「偉大な父を亡くしてしまい、七之助と途方に暮れております。どうぞ助けてください」と胸の内を明かした。「愛をくださった皆様に、父になり代わりまして、お礼だけいわせてください。中村勘三郎を波野哲明を愛してくれてありがとうございます」と声を震わせながら感謝の言葉を述べた。
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葬儀では、写真家の篠山紀信さんが撮影した写真が遺影として飾られ、祭壇は父・十七代中村勘三郎さんの本葬(88年、同所)のときと同様にそろえてあり、菊1万8000本とカーネーション1500本、コチョウラン150本で埋め尽くされた。会場では勘三郎さんをしのぶ約15分の特別映像が流され、大竹しのぶさんや歌舞伎俳優の坂東三津五郎さん、坂田藤十郎さんらが弔辞を読み上げ、参列者の涙を誘った。
本葬後の会見で勘九郎さんは、勘三郎さんが亡くなってから今日まで「1日、1日の舞台をきちんと務めることを心がけていました」と明かし、舞台のため密葬に参列できなかったが、「逆にありがたかった。けいこを積み重ねた肉体が消えてしまうのは役者として一番つらい。だから、焼き場(火葬場)に行けなくてよかったです」と振り返った。
また亡父に向け、「表現者たるもの人に愛されてそれを返せるだけのパワーがないといけないと感じた。僕たちはまだまだですが、(次男の中村七之助さんと)2人いるという強みを皆さんに助けてもらいながら、歌舞伎を続けていきたい」と誓い、共に喪主を務めた七之助さんも「あきらめないことと心の底から歌舞伎を愛すること、父がずっといってきたことで、家でも実際見てきた。本当にそれを見習わなくちゃいけない」と語っていた。
勘三郎さんは1955年5月30日生まれ、東京都出身。59年に勘九郎を襲名し初舞台を踏んだ。05年に十八代目の勘三郎を襲名。古典歌舞伎を新演出で上演する「コクーン歌舞伎」や仮設劇場を設営して世界各地を回る「平成中村座」などで歌舞伎を世に広める活動を進めた。08年に紫綬褒章を受章している。勘三郎さんは今月5日午前2時33分、急性呼吸窮迫(きゅうはく)症候群のため東京都文京区の病院で亡くなった。57歳だった。通夜が10日、密葬が11日に都内の自宅で営まれた。(毎日新聞デジタル)