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2025年12月17日
滋賀県
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」 2026年1月4日いよいよ放送開始 近江を制する者は天下を制す! 天下を夢見た戦国武将たちが崇めた 琵琶湖の守り神・竹生島
2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の放送が、いよいよ1月4日から始まります。そのドラマの舞台の一つとなるのが近江です。
「近江を制する者は天下を制す」。近江はそう称されるほどに重要な土地でした。なかでも琵琶湖の東から北、彦根・長浜界隈は、東国に通じる中山道や北陸への北国街道・北国脇往還などと、琵琶湖の水運とが交わる、上洛には避けては通れない戦略上の要衝でした。
戦国時代、東日本から京都への交通・物流の主要ルートは、彦根や長浜から大津・坂本へ船で渡る湖の道でした。琵琶湖は都の経済を支える大動脈、いわば「高速道路」だったのです。
戦国武将たちが天下を制するためには、琵琶湖の覇権を握ることが不可欠でした。
古来より竹生島は琵琶湖の象徴でした。戦国武将は、それぞれの夢や思惑を持ちながら、近江と琵琶湖を治めるために、この島に歴史を刻んできました。そうした戦国武将たちの夢のあとを竹生島の歴史とともに紐解いてみました。
【表:https://kyodonewsprwire.jp/prwfile/release/M103190/202512171118/_prw_OT1fl_3T4w5XGJ.png】
1.竹生島とは?
●ロケーションと概要
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竹生島遠景
・琵琶湖の湖北、長浜市の沖合に浮かぶ周囲2㎞、面積0.14k㎡の無人の島。琵琶湖に浮かぶ島としては沖島に次いで2番めに大きい島。
・名前は「(神を)斎(いつく)島」に由来し、その中の「いつくしま」が「つくぶすま」と変じて「竹生島」に。
・琵琶湖八景の一つに数えられ、平家物話「竹生嶋詣」や謡曲「竹生島」にも神秘的な美しさを秘めた島として登場。
・島には、都久夫須麻(つくぶすま)神社と宝厳寺があり、神と仏が住む島である。
・都久夫須麻(竹生島)神社の祭神は、市杵島比売命(いちきしまひめのみこと=弁財天)、宇賀福神(うがふくじん)、龍神(りゅうじん)、産土神の浅井比売命(あざいひめのみこと)の4柱。
・ 宝厳寺は、神亀元年(724年)、聖武天皇の勅命を受けた行基が開いたと伝わり、平安末期には、西国三十三所の巡礼が風習化し、室町時代までには三十番札所となり、今も多くの方が訪れる。
・宝厳寺には、大坂城の遺構である唐門(国宝・極楽橋の一部を移築)や、観音堂(重要文化財)、朝鮮出兵の際の豊臣秀吉の御座船「日本丸」の部材を利用したと伝わる舟廊下(重要文化財)、三重塔などの多くの文化財がある。
・2015年に「琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産」の構成文化財として日本遺産に認定された。
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2.竹生島と関わりの深い戦国武将たち
浅井長政
●「浅井三姉妹」の父。信長と同盟を結ぶも、裏切って滅亡
浅井氏は、小谷城(長浜市)を居城として湖北地域を支配した戦国大名。その最後の当主となった浅井長政は、織田信長と同盟を結び、信長の妹・お市の方を娶った。
元亀元年(1570年)、信長は越前の戦国大名朝倉義景を討つため、若狭へ侵攻(金ヶ崎の戦い)した。その際、長政は朝倉氏側に味方し、同盟関係にあった信長を裏切って、信長軍を挟撃する。信長は、木下秀吉(豊臣秀吉)らが殿(しんがり)を務め、辛うじて京に帰還。
その後、浅井・朝倉軍と織田軍は姉川の戦いなど、3年以上に渡る激闘の末、天正元年(1573年)、秀吉ら信長軍の猛攻により、小谷城は落城。浅井氏は滅亡した。
●竹生島を「地域の絆の聖地」として厚く崇敬
長政は、信長との攻防のなかでも、竹生島の仏・神事を庇護し続けた。永禄元年(1558年)に焼失した竹生島の宝厳寺のため、戦いの最中にもかかわらず、再建用の木材を寄進し続けた。それに対して、信長も湖上の聖地である竹生島の復興のため、それを黙認したと伝わる。
浅井氏や信長にとっての竹生島は、宗教的な意味だけでなく、地域を支配する政治的正当性を示す上でも重要な聖地だった。
【コラム*おんなの戦国物語―浅井三姉妹―】
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お市の方と浅井長政との間に生まれたのが「浅井三姉妹(茶々、初、江)」である。
織田軍による小谷城攻めのなか、長政は三姉妹を城から脱出させた。その後、三姉妹は時代のキーパーソンとなる豊臣秀吉・京極高次・徳川秀忠の妻(正妻・側室)として、戦国から太平の世への時代の流れをつくっていった。
織田信長
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●浅井氏滅亡後も聖地であり続けた竹生島
信長は浅井氏を滅ぼし、湖北を直接支配した。「信長公記」や竹生島の宝厳寺文書には、信長が宝厳寺に対して朱印状を発給、寺領を安堵したことが記されている。信長もまた、浅井氏同様に、湖北地域支配の安定を図るために竹生島を保護した。
●信長も参詣した竹生島の宝厳寺
信長は「比叡山焼き討ち」など、自らに抵抗する社寺に対して、強権的な宗教政策を行ったことが強調されている。しかし、安土城下町には多くの社寺を建立し、キリスト教の布教を許可するなど、宗教に対して寛容な一面もあった。信長は、姉川の戦いの後、いち早く、竹生島の宝厳寺に参詣したことが知られている。
信長も、人びとの心のよりどころであった竹生島への信仰することによって、新たな領地となった湖北地域の円滑な統治を行っていった。
柴田勝家・豊臣秀長 賤ケ岳の戦い
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●勝家と秀吉が信長の後継者を争った賤ケ岳の戦い。決着をつけた豊臣軍の主役は秀長
天正10年(1582年)、織田信長は本能寺の変により明智光秀に討たれた。羽柴秀吉は、交戦中の毛利勢と和睦し、「中国大返し」の強行軍の末、山崎の戦いで光秀を討ち取る。
主君の仇を取った秀吉は、織田家の中で抜きんでた存在となっていく。信長と長男の信忠を同時に失った織田家では、後継者を決める清州会議が開かれた。会議では、秀吉と宿老の柴田勝家が激しく対立。織田家を二分する新たな争いの火種となったのである。
天正11年(1583年)、両者の軍勢は、湖北の地で激突した。賤ケ岳の戦いでは、秀吉の留守を衝いた柴田軍の猛攻の中、秀吉の弟の羽柴秀長の指揮のもと、羽柴軍が戦線を持ちこたえた結果、秀吉の「美濃大返し」もあり、辛くも勝利することができたのである。
両軍の兵たちが死闘を繰り広げた賤ケ岳砦跡からは、湖面に浮かぶ竹生島を望める。
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202512171118-O7-d0RTS4c2】
豊臣秀吉と柴田勝家が織田家の主導権を争って戦った決戦の地・賤ケ岳。北琵琶湖を一望できる。画面右奥の湖面に浮かぶ島が竹生島
【コラム*おんなの戦国物語―お市の方―】
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202512171118-O24-LT2kq4z7】
織田信長の妹。信長が浅井長政と同盟を結ぶため、長政と政略結婚。長政との間に、茶々、初、江の「浅井三姉妹」を生む。
夫の長政は兄・信長に討たれる。清須会議の後、織田家の宿老・柴田勝家と再婚。束の間の平穏な日々を送るも、勝家が賤ケ岳の戦いで秀吉に敗れて越前へ敗走。お市の方も勝家とともに北ノ庄城(福井市)で自害した。
お市の方の生涯は、戦いの中で二人の夫を失うという悲運に満ちたものだった。
豊臣秀吉
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202512171118-O6-di318OIi】
●秀吉が築いたまち・長浜。秀吉も竹生島を保護した
元亀4年/天正元年(1573年)、秀吉は信長から浅井氏の旧領・北近江を与えられ、当時、今浜と呼ばれていた長浜に居城を築いた。秀吉にとってこの長浜は、その後の天下人への出世の足がかりとなった地でもある。
長浜を治めた秀吉は、浅井氏・信長と同様に、竹生島を手厚く保護した。
時を経て秀吉の没後、息子・豊臣秀頼も、竹生島に都久夫須麻(竹生島)神社の本殿を寄進。本殿は、秀吉が築いた伏見城の勅使殿の一部を移築したものである。
●多くの文化財を有する宝厳寺
竹生島の宝厳寺には、唐門(国宝)、観音堂(重要文化財)、舟廊下(重要文化財)、三重塔などの文化財がある。
【宝厳寺・唐門(からもん)<国宝>】秀吉の大坂城をいまに伝える建物
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202512171118-O14-Zfdi1O6o】
宝厳寺・唐門
唐門は、もともとは大坂城の山里丸と二の丸を結ぶ「極楽橋」の一部であった建物。極楽橋は、金箔や黒漆、精緻を極めた彫刻で彩られ、豪壮華麗な空間だったと伝えられている。
秀吉没後、極楽橋の一部は京都・東山の豊国廟へ移築された。慶長7年(1602年)、秀頼による竹生島復興の際に竹生島に運ばれ、宝厳寺の唐門となった。
唐門は檜皮葺で、建物全体は総黒漆塗り、各所にきらびやかな金の金具が打たれている。秀吉が造営した「聚楽第」や「伏見城」などと同様に、豪華絢爛な桃山様式の美しさをいまに伝える代表的な建物である。
【宝厳寺・舟廊下<重要文化財>】 秀吉の御座船「日本丸」の部材の一部を利用したと伝わる渡り廊下
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202512171118-O12-6WhS05c9】
この廊下は、朝鮮出兵の際に秀吉のご座船として作られた「日本丸」の部材の一部を利用したと伝わる。
豊臣秀頼・淀殿・片桐且元
●秀吉没後も、豊臣家の守り神として重視された竹生島
秀吉の没後、息子・秀頼は、竹生島に都久夫須麻(竹生島)神社の本殿を寄進した。現在、この本殿は国宝に指定されている。本殿内部には桃山時代を代表する優雅な装飾が施され、天井には狩野永徳光信が描いた花弁草木絵が残る。
この秀頼の寄進に際し、移築の普請奉行を務めたのが片桐且元である。且元は「賤ヶ岳の七本槍」の一人。賤ケ岳の戦いの後、7人の若武者(片桐且元、加藤清正、福島正則、加藤嘉明、脇坂安治、平野長泰、糟屋武則)が「賤ヶ岳の七本槍」として名を馳せた。
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202512171118-O18-5SRcgVi3】
都久夫須麻(竹生島)神社。本殿(国宝)は秀吉が寄進した伏見城・勅使殿を移築
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202512171118-O9-iS678MI3】
拝殿からは、琵琶湖に向かって建つ鳥居をめがけて,かわらけ投げができる
【コラム*おんなの戦国物語―淀殿―】
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202512171118-O25-RkE728f0】
秀頼の母・淀殿は、浅井三姉妹の長女・茶々。父の長政は、信長に討たれた。母・お市の方が再婚した勝家もまた賤ヶ岳の戦いで破れ、敵方だった秀吉の側室となる。
淀殿は、豊臣家の嫡子・秀頼を生んで権勢を握るも、大坂夏の陣で徳川方の猛攻のなか、親子で自害。戦国の世の激しい流れの中で、波乱万丈なその生涯を閉じた。
3.竹生島へのアクセス/問い合わせ先
●<アクセス>長浜港・今津港・彦根港の3港から船でアクセス
竹生島に渡るには3つのルートがある。
❶長浜航路(長浜港⇔竹生島港<往復>)
【問い合わせ・お申込み】
琵琶湖汽船予約センター
電話 0570-052-105
※受付時間:9:00〜17:00
https://www.biwakokisen.co.jp/
❷今津航路(今津港⇔竹生島港<往復>)
【問い合わせ・お申込み】
琵琶湖汽船予約センター
電話 0570-052-105
※受付時間:9:00〜17:00
https://www.biwakokisen.co.jp/
❸彦根航路(彦根港⇔竹生島港<往復>)
【問い合わせ・お申込み】
オーミマリン 電話 0749-22-0619
※受付時間:9:00~17:00
https://www.ohmitetudo.co.jp/marine/
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202512171118-O26-V4u7vAu9】
●<各所問い合わせ先>
竹生島 〒526-0102 滋賀県長浜市早崎町
❶竹生島奉賛会 電話 080-2536-7568
❷宝厳寺 電話 0749-63-4410
❸都久夫須麻神社 電話 0749-72-2073
❹公益社団法人 長浜観光協会 電話 0749-53-2650 https://kitabiwako.jp/
※本プレスリリースの画像は報道目的での使用に限ります。
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