名探偵コナン
#1140「女子会ミステリー3」
11月2日(土)放送分
ロバート・ダウニーJr.さんが扮する億万長者の天才発明家のトニー・スタークの活躍を描く米マーベル・コミックのヒーローマンガが原作のアクション映画シリーズ最新作「アイアンマン3」が全国でヒット中だ。今作は、「アベンジャーズ」でアイアンマンをはじめとするヒーローたちが、人類滅亡の危機を食い止めてから1年後、トニーはエイリアン軍団と壮絶なバトルを繰り広げた後遺症で見えざる敵の脅威におびえ、一心不乱に新型アイアンマン・スーツの開発に取り組んでいた。そんな中、テロリストの“マンダリン”(ベン・キングズレーさん)がトニーに襲いかかり、トニーはまたもやヒーローとして戦いに身を投じることになる……という展開。米デジタルドメイン社に所属し、今作でモデリングを担当した日本人の成田昌隆さんに話を聞いた。(毎日新聞デジタル)
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−−「モデリング」の仕事の内容を分かりやすく教えてださい。
簡単にいうと、 2次元のデザインを3次元にすることです。マーベルからもらうコンセプトアートはたいてい、正面と裏側を写した全身のビジュアルの2点のみなので、それをPC内で立体的にしていくことが主な作業になります。例えば劇中に 出てくるアイアンマンなどは、大部分がコンピューターグラフィックス(CG)モデルに置き換えられているんです。
今回はモデリングリードということで、デジタルドメイン社で私の下に6人の部下(モデラー)がいて、彼らが作ったモデルの制作過程も含めてチェックする作業と、もちろん自分でも制作を担当しました。
−−この世界に入ったのが46歳ということですが、40歳を過ぎてからこの世界に入ろうという決断したきっかけは?
子供のころから映画が大好きで、関わる仕事に就くのは漠然とした夢、憧れだったんですけど、普通に大学に行って、普通に会社に入って、務めていた証券会社で駐在員として米国に派遣されまして。3年ぐらい住んでいたら、ハリウッドも自分と同じ人間が作っているんじゃないかと肌で感じるようになって。「トイ・ストーリー」(95年)の誕生でフルCGアニメーションの映像の可能性を感じて、数年後全米のコンベンションでCGソフトを購入したのを機に、家で仕事の合間を縫って独自にアニメーションを制作するようになりました。思えばあのソフトを購入したのがきっかけだと思います。
−−その後は?
作品をスタジオに送ったところ、2社ぐらいから声がかかって、99年ごろだったんですけど、転職できるかなと思ったんですが、そのとき米国で働くにはグリーンカードが必要で、持っていなかったので、グリーンカードを取得しようと待っているときにおやじが病気で亡くなってしまって、そのとき大ショックで急に(心に)大きな穴が開いて、3年間一生懸命(CGを)勉強してきたのがプツンと切れちゃって、何もやる気が起こらなくなってやめちゃったんですね。そのとき一度あきらめたんです。
それから2008年まで証券会社でITの仕事などをして米国にいたんですけど、5年前に金融がリーマンショックでなかなかうまく行かなくなって、海外業務縮小になったんですね。その時点で15年くらい米国に住んでいたものですから、子供もこっちで生まれましたし、転職しようかと思ったときに、10年くらい前にうまく行きそうだった夢にもう一度最後にチャレンジしてみようと。で、会社やめて、学校行って、勉強し直して、グリーンカードも持っていましたしね、今度は追い風が吹いていて、たまたまうまくいったということですね。
−−証券会社に勤務されていたわけですが、映画の世界に入ることに不安はありませんでしたか?
不安よりも期待の方が大きかったです。そして実は自信もありました。なんとなく、やれるのでは?という自分に対する変な期待もありました(笑い)。
たまたま自分のやりたいこととできることがうまくマッチしていたということです。日本では、やっぱり40歳超えて、学歴も(映画畑とは)違うし、経験も全然違うし、職業を代わるというのはなかなか考えにくいですよね。でも米国はそういう色を全部取って、その人が何を勉強してきて、どんな学校に行ったじゃなくて、米国はその人のアウトプットした作品を見て、それが素晴らしければ、それを見て評価をしてくれるシステムになっているんですね。年齢も関係なく。
−−「アイアンマン3」についてお聞きしたいのですが、「アイアンマン」のように世界的に人気のキャラクターのモデリングを手がけるにあたってプレッシャーはありましたか?
ありました。本当にこの仕事に携わることができて光栄で感動したんですけど、自分が造形したものが映画になって世界に出てしまうということを考えるとすごいプレッシャーで、毎日本当に緊張して仕事をしていました。
−−「アイアンマン」の原作はご存じでしたか?
原作は知らなかったです(苦笑)。「アイアンマン」の映画は「1」も「2」も僕は映画好きなので映画の中の1本として見ているんです。マーベルコミック、マーベルのキャラクターの大ファンとかいうわけではなかったのですが、デジタル・ドメイン社が自分がCGを知ったときの憧れの会社でもあって、そこがたまたまモデリングのリーダーを募集していて、それにトライして受かって入ってみたら(作品が)「アイアンマン」の新作だったというわけです。
−−「アイアンマン3」の中で担当したキャラクターやシーンを教えてください。
担当したキャラクターは「アイアンマン マーク42」「アイアンパトリオット」「アイアンマン マーク8~41」。その中でも“スペーススーツ”“ハートブレイカー”“レッドスナッパー”(番号ではなくキャラクターそれぞれに名前がある)というキャラを担当しました。ただ、マーク42に関しましては他の2社も独自にモデリングしていますので、映画に出てくるすべてのマーク42を担当したわけではありません。
担当したシーンは「雪の平原でのシーン」「エアフォースワンから落ちる人をアイアンマンが助けるシーン」「アイアンパトリオットの登場シーン」「ネプチューンネットカフェのマーク7のシーン」「チャイニーズシアター爆破のシーン」「ワインセラーのシーン」です。
−−特に苦労したシーン、キャラは?
シーンやキャラクターではなく、苦労したのはアイアンスーツの内側のビジュアルを作ることでした。マーベルからもらうコンセプトアートは表面的なビジュアルのみなので、アイアンスーツの内側がシーンに出るときはすべて想像で作るしかありませんでした。苦労した点でもあり、楽しかった点でもあります。
−−成田さんらしい「アイアンマン」への味付けは? ご自身で工夫された点はありますか。
プロポーションが「アイアンマン」には非常に重要です。“スペーススーツ”と“ハートブレーカー”は私が造形したスーツなので、ここにすべて私の思いと技術が込められていると思います。これを見ていただければ私の思いがすべて伝わると思います。
−−今回のアイアンマンスーツ「マーク42」に成田さんの意見が反映された部分は?
アイアンスーツの内側や空中でのエアブレーキのデザインです。特にマーク42が雪原で開くシーンでは、内側のパーツはすべてイマジネーションを働かせて作りました。なので意見を提案するというよりも丸ごと任されていた感じです。
−−成田さんは多くの人が果たせぬ夢をかなえた方だと思います。あとに続く人にメッセージをお願いします。
若い人はどんどん米国に来るべきだと思います。実は思っているよりもハードルは低いと思います。私の印象としては、日本の方がこのような分野は新参者が受け入れられない状況かと思います。米国はそのメンタリティーが根本的に異なり、今までの経験などは一切問わず、そのときに作った作品を評価するという風潮です。なので、誰にでもチャンスはあると思います。
<プロフィル>
1963年生まれ、愛知県出身。85年 名古屋大学工学部を卒業後、NECに入社。88年、日興証券へ転職。IT部門で技術リサーチを担当。93年、シリコンバレー先端技術研究所開設に伴い米国赴任し、05年、所長としてニューヨーク駐在員事務所へ転勤。ハリウッド映画業界で働くという自らの夢を追うため、08年7月に退職し、学校に通う。09年4月、46歳でハリウッドのVFX業界でプロデビューを飾る。現在はデジタルドメイン社で「アイアンマン3」のモデリングリードを勤めた後、同じくモデリングリードとして新しい映画に従事している。これまでに手がけたCMは20本、映画は11本に上る。
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