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ビッグに聞く:第19回 横尾忠則 60年代後半の熱い空気感 マンガから遠ざかりアートに

マンガ
連載企画「ビッグに聞く」に登場した横尾忠則さん

 今年、創刊50周年のマンガ誌「ビッグコミック」(小学館)の関係者に、名作誕生の裏側や同誌について聞く連載企画「ビッグに聞く」。第19回は、画家の横尾忠則さんが登場。アート界の巨人が、創刊された1968年の熱い空気感やマンガについて語る。

 ◇ニューヨークでサイケデリック革命を経験

 横尾さんにとって「ビッグコミック」創刊の68年は“ニューヨーク時代”で、ニューヨークと日本を行き来していた。「67~69年のニューヨークはえらいことになっていたよ。サイケデリック革命です。音楽も映画も文学もぶっ飛んでいたね。そんな時期にアンディ・ウォーホルやヨーコ・オノやジョン・レノンとも知り合った。『ビートルズよりヤバいバンドが来る』と聞いてクリームを見に行ったりしたな。米国はベトナム戦争に直面していたし、人種問題にもがいていた。切迫していた中で、やっと新しい表現をつかみ取った矢先だったね」と振り返る。

 横尾さんとマンガは一見関係ないようだが、実は小、中学生時代、雑誌「漫画少年」(学童社)にマンガを投稿したことがあった。「手塚治虫の『ジャングル大帝』が連載されていたんだけど、投稿コーナーが充実している雑誌でね、読者全員が何かを投稿していたんじゃないかな。僕は賞はもらったけれど載せてはもらえなかった。赤塚不二夫や、石ノ森章太郎は載せてもらってたんだ。その恨みが募って、マンガから遠ざかって、アートの方に行ったんだよ!」と明かす。

 ◇マンガは変わらないねえ…

 横尾さんは「ビッグコミック」68年8月号で巻頭イラストを描いたこともある。「飛ぶ鳥を落とす勢いだった沢田研二が老婆になって地獄の女湯に入っているところ。巻頭にえらい不吉な絵を載せてもらったね。僕は死の匂いがするものを好んで描いてきたからね」と話すように、前衛的なイラストだった。

 「週刊少年マガジン」(講談社)の表紙を担当したこともあり、マンガ界と縁遠かったわけではない。「漂流教室」「まことちゃん」などの楳図かずおさんとも交流があった。「楳図かずおさんのマンガは絵が気持ち悪くて好きでした。まあ、僕はマンガの絵をじっと見ちゃうんだよね。『おろち』や『漂流教室』はよかったなあ。よく楳図さんと一緒にご飯を食べました。『終電がなくなったからウチに泊まっていったら?』と言っても、彼は必ず歩いて帰る人でしたよ。4時間くらいかけて歩いてた」と話す。

 「ビッグコミック」編集部から「あなたの夢をマンガにしたいです」と依頼されたこともあった。「僕が原作をやって、奇妙で気持ち悪い絵を描く、まだ色のついてない方と組む構想だったんですよ。けど、ぴったりのマンガ家が見付からなかったな。あの話はあれから宙ぶらりんになったままだ(笑い)」と明かす。

 「ビッグコミック」創刊号と最新号を見比べながら「マンガは変わらないねえ。こんなに丁寧に髪の毛を一本一本描いていたら死んじゃうよ。だから、読む人はマンガをゆっくり読まないと。こんなにたくさんの線が描き込まれているのだから」と語る横尾さん。アート界の巨人は独自の視線でマンガを読み解いているようだ。

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