北川景子:出産前と後に撮影「忘れられない作品」に 妊娠時は不安も 「キネマの神様」で“銀幕女優”役

映画「キネマの神様」で昭和の銀幕スター・桂園子を演じる女優の北川景子さん
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映画「キネマの神様」で昭和の銀幕スター・桂園子を演じる女優の北川景子さん

 映画「キネマの神様」(山田洋次監督、8月6日公開)で、昭和の銀幕スター・桂園子を演じている女優の北川景子さん。「現在に生きている自分が、当時の銀幕女優の雰囲気を醸し出すことは、ずっとテーマでした」という北川さん。プレッシャーを抱えながら難役に挑戦し、華やかさと気品を兼ね備えた銀幕女優を演じ切った。役のオファーの後に妊娠が判明するなど、撮影には困難もあったが、山田監督からの言葉に励まされて出産前後で出演を果たし、「改めてこの仕事が好きだなと思えた」と振り返る北川さんに、撮影エピソードや女優としての思いなどを聞いた。

 ◇銀幕女優役にプレッシャー

 「キネマの神様」は人気作家・原田マハさんの同名小説が原作。1920年に松竹の前身となる松竹キネマ合名社が設立され100周年を迎えることを記念して製作された。歌手で俳優の沢田研二さんと菅田将暉さんのダブル主演で、ギャンブル漬けで借金まみれのゴウを沢田さん、若き日のゴウを菅田さんが演じている。

 若き日のゴウ(菅田さん)は助監督として青春を謳歌(おうか)していたが、初監督作品「キネマの神様」の撮影初日に転落事故で大けがをし、作品は幻となってしまう。半世紀後の2020年、あの日の脚本が出てきたことで、ゴウの中で止まっていた夢が再び動き始める……というストーリー。当初は、昨年3月に死去した志村けんさんが現代のゴウを演じる予定だった。

 北川さんは昭和の銀幕スターという難役への挑戦に加え、今作が山田組への初参加だったため、普段よりプレッシャーがかかっていたと明かす。「本当に難しい役柄で……。松竹映画100周年記念作品という、松竹さんにとっても特別な作品ですし、山田監督とご一緒させていただくのも初めてで、すごく緊張していました」と当時の心境を吐露する。

 「数多くの素晴らしい銀幕女優を撮ってきた山田監督が脚本を執筆されているので、園子役も原作とは違いました。監督がこれまでに見てきた、すてきな女優さんたちとの思い出や、心に残っている方々のエッセンスが全部詰め込まれた役柄なんだろうな、と脚本を読んで分かったんです。『東京物語』(1953年)のようなシーンもあり、原節子さんら、そうそうたる女優の名前が、撮影の合間に監督の口から出てくる。『あのときの原さんはすてきだった』などのエピソードをたくさん聞いたので、日々プレッシャーがありました。すてきな方々を見てきた監督の前で銀幕女優の役を演じることに、『自分でいいのかな』という思いもありました」と明かす。

 そんなプレッシャーに加え、自身が生まれていない時代の女優を演じることになり、想像することしかできない難しさもあった。北川さんは銀幕女優のイメージを「特別な雰囲気、存在感、お客さんの視線をひきつけるオーラ、華やかさ、クローズアップをワンカット見るだけで『いいものを見た』と思えるたたずまい……それらは当時の女優にしかないもの」と話し、「『やっぱり(自分は)なり切れていないんじゃないかな』という思いが毎日ありました」と心情を吐露する。

 「匂い立つ雰囲気、まとっている空気のようなものまで銀幕女優になり切ることが、すごく難しかったです。撮影前からずっと不安で、クランクインしてもそこがネックで。現在に生きている自分が、当時の銀幕女優の雰囲気を醸し出すということは、ずっと(自身の中で)テーマだったと思います」と振り返る。

 ◇「東京物語」にそっくりの衣装やメークで「何かをつかめる気がした」

 そんな雰囲気をまとう上で、衣装やメークの存在が大きかったという。「衣装やかつらを何パターンか用意していただいて、ヘアスタイルも変えて。オマージュになっている『東京物語』のシーンでは、本当に『東京物語』の衣装やメークそっくりに作ってくださったんです。皆さんで作り上げてくださったものが役作りの助けになりました」と語る。

 「本読みだけではつかめない部分があったけれど、扮装してセットに入ると、何かつかめる気がしました」と手応えも感じたという。山田監督の思い出話からもイマジネーションがかき立てられたという。他にも、「昔の女優さんの画像を検索したり、原さんの写真集を見たり、松竹映画のこれまでの名シーンが全部載っている本を見たり、手探りで役を作っていった感じでした」と語る。

 豪華な顔ぶれがそろった主要キャストの中で、リリー・フランキーさん以外は初共演だったという。特に、ゴウと共に撮影所で映写技師として働く“テラシン”の若い頃を演じたRADWIMPSの野田洋次郎さんには「本当に驚きました」と語る。「芝居をしようとしているわけではなく、感じてテラシンになっているところが……。感じているだけではなく、賢い方なので、考えている部分もある。たぶん自分を俯瞰(ふかん)で見ている部分があるんだと思いますが、バランスがすごいと思いました」と感嘆する。

 ◇妊娠を報告した際の山田洋次監督の言葉に涙

 難役に加え、オファー後には妊娠も判明した。昨年9月に第1子女児を出産したが、「撮影中にちょうど子供を授かった」という。頭をよぎったのは、「作品に迷惑をかけてしまうんじゃないか」という不安だったと明かす。

 「最初にお話をいただいたときは、子供を授かるとは思っていなかったので、『ご迷惑をおかけしてしまうかもしれない』という思いが強かったです。だんだんおなかも大きくなってくるので、衣装も、妊娠していない状態でフィッティングしたものが、徐々に入らなくなる。そんな心配が頭をよぎりましたし、『各部署の皆さんに迷惑かけてしまうのかな、どうしよう』という気持ちが強かったですね。でも、どうなるか分からない初期の初期の段階だったので、人にも言えず、なんとか自分の中にとどめていました」と北川さんは語る。

 だが、撮影中に衣装が徐々にきつくなり、山田監督に報告することを決意。そのとき、山田監督からは「いいお母さんになってくださいね」「子供を持つという経験が、女優業をしていく上で糧になって成長できるでしょうから、次のステップに行っても頑張ってください」と温かい声をかけられ、涙した。

 「作品に迷惑をかけてしまうんじゃないかという不安があり、もちろんそれを感じさせないように働きたいとは思っていたけれど、『いつも通りの北川さんで来てほしかった』と思われるんじゃないかと思ってしまっていたので、温かい言葉をかけていただけたことが、うれしかったです」と北川さんは笑顔で語る。

 ◇「元気な子を産もう」と「この仕事が好き」と改めて思えた

 そんな経験を乗り越え、撮影を終えて、「忘れられない作品になった」と語る北川さん。実は出産前と出産後に撮影したという。「私は撮影期間が短かったので、無事に終わり、あとは明後日に志村さんとご一緒するシーンだけ……というときに、『(志村さんの)体調がお悪いみたいで、撮影できなそうです』と撮影が止まりまして。その時点でラストシーンだけ残っていたので、そこは産んだ後に撮影しました」と明かす。

 「子供がおなかの中にいたときと、産んだ後、両方の姿を一つの映画に収めていただくことってなかなかないことだと思います。100周年記念の作品で、初めて山田監督とご一緒して、自分の人生の節目がこの作品に残った……ということで、やっぱり忘れられない作品になりますね」と感慨深げに語る。

 「山田監督に、『その経験が、必ず役者を続けていく上で生きる』と励ましていただいて、『元気な子供を産もう』ということと、『子供を産む前と同じようにはいかないかもしれないけれど、役者という仕事もあきらめないで、ご縁がある作品には果敢に挑戦していきたい』と思えました。改めて『この仕事が好きだな』と思えて、良かったなと思います」と北川さんは、最後にほほ笑んだ。

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