武論尊:「北斗の拳」実は綱渡りだった 26年ぶり伏線回収に「出しきった」

26年ぶりに執筆された「北斗の拳」のイラスト(C)武論尊・原哲夫/NSP 1983
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26年ぶりに執筆された「北斗の拳」のイラスト(C)武論尊・原哲夫/NSP 1983

 「おまえはもう死んでいる」の名言で1980年代に社会的ブームとなり、コミックス累計発行部数1億部を誇る人気マンガ「北斗の拳」の26年ぶりとなる本編の新エピソードが19日発売のコミックスで発表された。世紀末を舞台にした格闘マンガという一大ジャンルを確立した伝説のマンガだが、本編連載中は綱渡り状態で、ケンシロウの胸の傷も恋人ユリアの存在も即興で考え出されたもので、伏線の張り方は直感頼みだったという。大ヒット作の誕生秘話や舞台裏について、原作を担当した武論尊さん(66)に聞いた。

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 ◇カンボジアで見た世紀末

 「北斗の拳」は1983年から約5年間、週刊少年ジャンプ(集英社)で連載された。暴力が支配する核戦争後の世界を舞台に、伝説の暗殺拳「北斗神拳」の伝承者ケンシロウが、兄でもある“覇王”ラオウら強敵たちと拳を交える……という物語だ。

 「北斗の拳」は、最初に作画担当の原哲夫さんの手による同名の読み切りマンガがあり、現代を舞台に拳法で悪人を倒すという内容だった。物足りなさを感じた担当編集の堀江信彦さんが、1970年代の人気マンガ「ドーベルマン刑事」の原作を手掛けた武論尊さんに「何とかならないか?」と相談したのがきっかけだった。武論尊さんは「拳法で相手を倒すのは面白い。そこに原始の世界を」と考えて、核戦争が起こって力が支配する世界を舞台にした。

 実は「北斗の拳」が、連載開始の数年前にヒットした映画「マッドマックス2」(1981年公開)の影響があることはファンに知られているが、ポル・ポトの支配下で多くの人が殺されたカンボジアの影響もあることはあまり知られていない。武論尊さんは、恐怖政治から脱したばかりのカンボジアを訪れたことがあり、10歳ぐらいの子供に護衛になってもらい、町に積み上げられたガイコツの山を見た。「まさに世紀末。正義が通用しない世界。だからラオウが、乱れた力で制圧しないといけない思想は当たり前なんだよね」と話す。

 ◇第2話で激論 以後3年間首位

 連載時の「北斗の拳」で、最も気を使ったのは第2話だ。

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堀江さんの「第2話が大事」という哲学もあり、推敲(すいこう)を重ねて大げんかになり、一度仕上がった原稿を堀江さんが破り、原さんが泣いたほど。完成した第2話は、か弱い老人が命がけで種もみを守り、悪党に殺されて、ケンシロウが怒りを燃やすという内容だった。豪華な連載陣がそろう週刊少年ジャンプで、「北斗の拳」の人気は初回で2位、そして第2話で1位に浮上し、その後3年間はトップの座を譲らなかったという。

 だが連載は、毎回綱渡りだった。多くの魅力的なキャラクターが登場するが、ほとんどの設定は1話ごとや即興で考え抜いたもので、伏線の張り方も直感頼り。ケンシロウの胸の北斗七星の傷も、恋人のユリアも、北斗四兄弟の設定もそう。武論尊さんは自身のことを「天才的なうそつきだよね」と笑いながら「当時はよく先の展開が分からないと言われたけど当然だよね。だって作者が分かってないもの」と笑う。

 ◇3人で命の削り合い

 激務の連載完結から26年ぶりの新エピソードは、ケンシロウがラオウを倒した後、復活するまでの空白期間を描いており、19日に発売されたコミックス「北斗の拳 究極版」11巻に収録した。主役は、ラオウとケンシロウの愛馬である黒王号だ。武論尊さんは「人で描くところが馬になっただけだよ」と振り返りながら「俺の中で完結していない部分があったの。これでキレイに完結したし、力は出し切った」と話す。

 連載当時について「原君の絵がすごいから楽しいし、俺の想像を超えるの。いい絵があるといいフレーズも出るよね。『鬼の哭(な)く街カサンドラ』とかさ……」と話す。「まあ、堀江君も妥協しないの。3人で命の削り合いだったよね」という武論尊さんの表情は、どこかうれしそうだったのが印象的だった。

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