今月5日に急性呼吸窮迫(きゅうはく)症候群のため亡くなった歌舞伎俳優の中村勘三郎(本名・波野哲明=なみの・のりあき)さんの本葬が27日、築地本願寺(東京都中央区)で営まれ、芸能関係者や一般の弔問客など1万2000人が訪れた。
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法号(戒名)は「演暢院釋明鏡大居士(えんちょういんしゃくみょうきょうだいこじ)」。遺影は05年1月29日の「十八代目中村勘三郎を祝う会」で写真家の篠山紀信さんが撮影した写真が使用された。祭壇は父である十七代中村勘三郎さんの本葬(88年、同所)のときと同じようにそろえてあり、菊1万8000本とカーネーション1500本、胡蝶蘭(こちょうらん)150本で埋め尽くされた。
勘三郎さんの遺骨の乗せた車は東京都文京区の自宅を出発し、隅田公園(東京都台東区)、新橋演舞場、歌舞伎座など勘三郎さんゆかりの場所を回った後に築地本願寺に到着した。隅田公園には700人以上、歌舞伎座には200人が集まった。
葬儀では1959年4月に歌舞伎座で上演された初舞台「昔噺桃太郎」から今年5月に平成中村座で上演された「め組の喧嘩(けんか)」までの当たり役の数々とプライベート映像を交えた約15分の特別映像が流され、女優の大竹しのぶさん、劇作家の野田秀樹さんらが弔辞を読んだ。
勘三郎さんは1955年5月30日生まれ、東京都出身。59年に勘九郎を襲名し初舞台を踏んだ。05年に十八代目の勘三郎を襲名。古典歌舞伎を新演出で上演する「コクーン歌舞伎」や仮設劇場を設営して世界各地を回る「平成中村座」などで歌舞伎を世に広める活動を進めた。08年に紫綬褒章を受章している。今月5日午前2時33分、急性呼吸窮迫症候群のため東京都文京区の病院で亡くなった。57歳だった。通夜が10日、密葬が11日に東京都内の自宅で営まれた。27日の葬儀は長男の中村勘九郎さん、次男の中村七之助さんが喪主、松竹の大谷信義会長が葬儀委員長を務めた。(毎日新聞デジタル)