黒川文雄のサブカル黙示録:ファミコン30年後の任天堂 我が道進めるか

 先日、京都で開催されたイラストレーター・寺田克也さんの展覧会「ココ十年展」を鑑賞した足で、京都に来たならばと、任天堂の本社に立ち寄りました。経営的に厳しい数字が並ぶ中、本社の近くのゴルフ場跡地を買い上げて新社屋を建設しているあたり、底力を感じさせます。

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 7月15日、任天堂の家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」が発売されてから30年を迎えました。ファミコン以前はアタリのVCS(ビデオコンピューターシステム)などがありましたが、日本におけるテレビゲームの歴史は実質的に「ファミコン」の発売からといえるでしょう。その遺伝子はその後のゲーム機に受け継がれ、携帯型ゲーム機も生み出してきました。着想はアタリから得ているとはいえ、日本独自のゲーム的文法が構築できたのはまぎれもなくファミコンのお陰です。

 しかし、30年をへて任天堂は揺れています。スマートフォン向けの多様化するゲームやアプリが台頭し、家庭用ゲーム機への関心が薄れているという論調で、2期連続の営業赤字なども報じられています。そして報道では「なぜスマートフォン向けコンテンツに取り組まないのか?」という論旨が目に付きます。

 けれども私は、任天堂には「我が道を進んでほしい」という気持ちがあります。まず任天堂のゲームはおもちゃ(玩具)の延長線上にあり、最先端のテクノロジーを具現化しようというマインドは感じることができません。さらに、子供たちのお小遣いを意識していることを感じます。つまり、スマートフォン向けコンテンツの会社と同じ視点で語り、比較するのは筋違いで、同じゲームのカテゴリー(分類)の会社であっても、そのルーツや思想は異なると思えるのです。

 無論、利益を追求する“株式(公開)会社”である以上、赤字は許されません。しかし、スマートフォン向けコンテンツを見ると、少し前まで利益の”源泉”だったカードゲーム系は明らかに飽和状態で、新作のスマホゲームでは従来の家庭用ゲーム的な要素を含んだ作品が生まれています。流行のサイクルを考えると、私は再び任天堂の時代が来るであろうことを予想し、そのときの世の中の反応にワクワクしています。

 寺田さんのイラストを見て思ったことですが、美麗なイラストもあれば、ペン1本で描かれた精緻なものもあり表現は多彩ですが、根底は変わることはなく、すべてまぎれもない寺田ワールドです。批判されているときは、周囲の論調に合わせる方が楽ですが、己の哲学を守り、多様な作品を作り続けてほしい。また、それがきちんと評価される時代であってほしいと思います。

 ◇プロフィル

 くろかわ・ふみお 1960年、東京都生まれ。音楽ビジネス、映画・映像ビジネス、ゲームソフトビジネス、オンラインコンテンツ、そしてカードゲームビジネスなどエンターテインメントビジネスとコンテンツの表と裏を知りつくすメディアコンテンツ研究家。コラム執筆家。黒川メディアコンテンツ研究所・所長。

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