小さな机のような釈台の前に座り、張り扇でパンパンとたたき読み物を聴かせる講談。かつては落語と並ぶ人気の演芸で、出版社の講談社の名称も“講談”からきている。一見、そんな堅苦しそうな世界に憧れた女子大生がいた。1999年に入門した神田京子さん。来春、一人前ともいえる真打ち昇進も決まり、これまでの修業の成果を披露する独演会を9日に開く。
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日大芸術学部4年生のときに、二代目神田山陽さんに入門。当時の師匠は90歳。年の離れた師匠からは短い期間ではあったが、講談の心意気を学んだ。2000年、師匠の死去により姉弟子の神田陽子門下へ。
「独演会で私のような若手が忠臣蔵や四谷怪談を演じるのはまだまだなんですが、横浜にぎわい座小ホール『のげシャーレ』で年3回の会を続けてきました。その成果を見ていただきたい」と話す。
「のげシャーレ」は約140席。「お客さまが100人を切ったり、内容が伴わなかったら、会は続けることができないんです。本当にありがたかったですね。女だからということでお客さまが増えても、きちんと演じないと、また勢いがなくなると、お客さまは減ってしまうんです」
二つ目に昇進したころ、「ありがたいことにラジオの仕事が週3本あったんです。それをこなすのがすごく大変で……。講談をやりたくて入ったのに、ラジオの仕事で悩んでいる私ってなんだろう、と思うようになったんです」と悩みを明かす。
そこでラジオの仕事を一時やめることにした。「腹をくくったんです。講談でお客さんを喜ばせられないまま、ラジオに出られない。二つ目になっていろんな会に出たりもしたんですが、かえって散漫になってしまった。私って器用に見えて不器用なんです。一度、仕事を絞らないといけないと」と決心した。
二つ目にとってラジオの出演料がなくなるのは痛い。「一気に収入が減ってビックリしましたけど、ストレスがなくなりました。講談のお客さまも一時減り、つらい時期もありましたが、講談が不安定になってはいけないと。のげシャーレの年3回の会は、じっくり取り組めることになりました」と振り返る。
今回、文化庁芸術祭に初めて参加した。「(真打ち昇進前の)二つ目最後なんで、めっちゃドキドキしています。二つ目のうちに、挑戦できるものなら挑戦したいと思ってエントリーしました。新人賞を取ってやろうということではなくて、14年間の修業をへて、次のステップへの励みになる会にしたい」という。
今回の演目は、まずは「神田京子十八番ヒットパレード!?」だ。「寄席でやっている短いネタを2、3本ポンポンと。二代目山陽が作り、陽子が凝縮。二つ目の私がやってきたものをお聞かせします」と意気込みを語る。
続いては、講談では代表的な演目、忠臣蔵「赤穂義士伝より」。「二代目山陽仕込み、講談のスタンダードを未熟なりにもお見せしたい。東日本大震災以降、被災地を回って、盛り上げるんですが、にぎやかなものよりも、みんなが志を一つにしようとか、時がたっても結束するといった忠臣蔵が喜ばれることが分かったんです。今の時代、話をガチっと聞かせる時代なんだと思ったんです」と手応えを語る。
そして最後は、四世鶴屋南北を原作にした自作、不忠臣蔵「東海道四谷怪談」だ。「鶴屋南北は時代を先読みしていた人。美談ばかり残しても、心が美しいままではいられない。むしろ人間が選んではいけないものを選ぶとその末路はひどいものだということを表現することで、ちゃんと生きねばならない、ということを四谷怪談で描こうとしたと思います。出世欲、金銭欲、色欲……、いろんな人間の欲をかなえたと思ったら、実はそうではなくてろくな死に方をしない。主人公のたまたまよかれと思った選択がどんどん間違っていく。その発端は性根が悪かった。南北は極悪人に描いたけれど、本当はいい人のはずなのにちょっとした間違いから悪人になるのは誰にも起きる、ということを表現したい」と意気込みを語った。
文化庁芸術祭参加公演「神田京子独演会」は、9日午後7時から国立演芸場(東京都千代田区、東京メトロ半蔵門駅、永田町駅下車)。2500円(前売り・予約2000円)。予約・問い合わせは「hanai studio」(電話・ファクス03・3621・0406、メールはstudiohanai@gmail.com)。詳しくはブログ「京子喫茶室」(http://blog.kandakyoko.com/)まで。(油井雅和/毎日新聞)