鉄くず拾いの物語:タノビッチ監督に聞く 医療拒否の実話「人を人と思わないシステム」を批判

「鉄くず拾いの物語」について語るダニス・タノビッチ監督
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「鉄くず拾いの物語」について語るダニス・タノビッチ監督

 保険証を持っていなかったため、命の危機にあるにもかかわらず治療を受けられない……。ボスニア・ヘルツェゴビナの村に住む一家に起きた実話を、「ノー・マンズ・ランド」のダニス・タノビッチ監督が本人たち出演で9日間で撮り上げた映画「鉄くず拾いの物語」が、11日から新宿武蔵野館(東京都新宿区)ほか全国で順次公開中だ。ベルリン国際映画祭で審査員のウォン・カーウァイさんやティム・ロビンスさんに絶賛され、銀熊賞ダブル受賞に加えてエキュメニカル賞特別賞の3冠に輝いた。新聞に掲載された小さな記事から映画化を思い立ったというタノビッチ監督は、映画製作へのきっかけを「怒りから走り出した」と語る。

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 ◇本人が出演 脚本もなし

 ナジフさんは妻セナダさんと幼い2人の子どもと暮らしている。定職がなく、家族を鉄くず拾いで養っている。ある日、3人目を妊娠した妻が体調不良を訴える。おなかの子は流産し、すぐに手術が必要となったが、医療保険証を持っていなかったため、手当てがされないまま病院から帰されてしまう。映画は、妻のために夫が奔走する姿を、ドキュメンタリータッチで描く。

 2011年、新聞記事でこの出来事を知ったタノビッチ監督。自身も4人の子どもの父親であり、妻が流産した経験もあったため、人ごとではない怒りを覚えたと、「アングリー」という単語を4度も使って力を込めて語り出した。

 「セナダさんは10日間も治療を受けられず、敗血症でもう少しで命を落とすところでした。それなのに医療者は誰も助けてくれなかった。この記事を読んで腹の底から怒りを感じて、感情的な部分から映画にしなければ、と走り出しました」

 当事者である夫婦を村まで訪ね、出演を交渉した。脚本は書かずに、体験に基づいて再現してもらいながら撮影していった。

 「普通の映画作りとはまったく違います。照明も使いませんでした。脚本はもちろん、せりふも書いて渡していません。大変でしたが、こういうスタイルの方が楽しいと思いました」

 ボスニア紛争時、カメラマンとして戦場を撮影したタノビッチ監督。今作を撮るにあたって、そのときの経験が役立ったという。

 「戦場では何を撮りたいのか、素早く判断して即時に行動しなければなりません。いつでも撮れる状態でいて、目の前にあるもの(機材、素材)を使います。今作ではもちろん準備もしていますが、現場でその都度どう撮るのかを考えていきました。戦場で自然に身についていたことを生かせました」

 ◇生活の厳しさは「戦場の方がまだよかった」

 劇中、ナジフさんが自動車の窓ガラスについた氷をはらう場面が出てくるが、たまたま目にしたこの動作を「映画的だ」と思って、カメラの前で再現してもらった。「貧しい人々の厳しい生活を表現できた」とタノビッチ監督は話す。生活の厳しさは「戦場の方がまだよかった」というナジフさんの言葉からもうかがい知れる。妻を助けたい一心で「分割払いに」と病院にかけ合ったり、国の組織に助けを求めに行くナジフさん。映画は、妻をいたわる夫の優しさであふれている。「もともとの記事は医療拒否にあった妻を中心に書かれていましたが、撮影を始めてみたら夫の物語になっていました」とタノビッチ監督は明かす。

 簡素な暮らしぶりが見て取れる彼らが住む村は、300年前から代々ロマ(移動型民族)の人々が住む村だという。その村から病院まで、ナジフさんがセナダさんを乗せた車を走らせるシーンが印象的だ。車窓から煙が上がる建造物が見える。これは旧ユーゴスラビア時代に建てられた火力発電所だ。異様な圧迫感と冷たさを感じる光景だ。

 「社会主義時代に労働者階級をたたえるために建てられたものの一つで、今や取り残されている過去のシステムの名残です。人を人と思わぬシステムの象徴としてじっくりと撮りました。今、ボスニアでは労働者階級は不在で、経済すら成り立っていない」

 社会主義共和国の崩壊、ボスニア紛争をへて、自由主義経済へ。「人を人と思わぬシステム」は、医療拒否という実話と重なる。今作は声高ではないが、貧しい人々が置き去りになっている社会を静かに批判している。

 しかし、映画はまるで一家の未来を予兆したかのように、明るい雰囲気で幕を閉じる。現在、ナジフさんは公園清掃の職を得て、医療保険証も手にした。そして、一家には3番目の子が無事に誕生したという。

 <プロフィル>

 1969年、ボスニア・ヘルツェゴビナ生まれ。サラエボのフィルム・アカデミーで撮影した後、92年ボスニア紛争勃発。軍に参加し、「ボスニア軍フィルム・アーカイブ」を設立。94年、ベルギーに移住。2001年「ノー・マンズ・ランド」で監督デビューを果たし、米アカデミー賞外国語映画賞をはじめ、数々の賞を受賞。作品に、クシシュトフ・キエスロフスキ監督の遺稿を映画化した「美しき運命の傷痕」(05年)、コリン・ファレル主演の「戦場カメラマン 真実の証明」(09年)などがある。  

 (インタビュー・文・撮影:上村恭子)

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