シンガー・ソングライターの原田真二さんが、初めて自ら選曲とプロデュースを手がけたベストアルバム「BEST VISION」を4月にリリースした。今作には「てぃーんず ぶるーす」「キャンディ」「シャドー・ボクサー」「タイム・トラベル」といったヒット曲を収録。スピッツや斉藤和義さんなど数々アーティストがカバーし、歌い継がれている名曲が並んでいる。そんなベスト盤の制作秘話や当時のエピソードなどについて、原田さんに聞いた。
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−−デビュー曲「てぃーんず ぶるーす」は、今作に収録されている2007年のセルフカバーバージョン以外にも何度かリメークをしているそうですね。
デビュー10カ月目の日本武道館(東京都千代田区)公演のときも原曲とまったく違うんですよ。いかにロックにしたかったかというのがはっきり出てるんですけど、バリバリのギターサウンドで、8割方、上半身脱いでるようなステージで(笑い)。(今作の「てぃーんず ぶるーす」は)ギターで作っていて、デモテープに近いバージョン。僕はもともとギター(を始めたのが先)なんですね。それで高校1年生ぐらいからピアノに触り始めて、ちょうどデビューのときに、テレビに関してはピアノで歌うという方向性を決めたんです。
−−原曲に対してリアレンジや再録音を行っているケースが多いようですが、その理由は?
特にデビューのころの曲は、自分がこのころ目指していた音ではなかったんですね。新人が自分の曲でデビューするのも難しい時代で、僕は(自分を)ロックアーティストだと思ってるんですが、テレビを使ったアイドル的な売り出し方がいいんじゃないかっていう(レコード)メーカー側の意向の中でデビューが決まったもので。まあ、事務所サイドには、自分の作品を評価してもらってたので、「これ(自作の曲)で出なきゃ意味がないじゃないですか」っていう話で、メーカー側とのミーティングの中で僕の曲が決まったんですが、当時は歌詞も自分で書けない状況で……。
−−当時はアイドル的に見られることへの反発心はあったんでしょうか?
そうですね。今は逆にアイドル的に見られたいんですけど(笑い)、当時はすごく背伸びして。テレビに出ているほかの歌謡曲の方々とは違う、自分で作ってるクリエーターなんだっていうのをアピールしたかったんだと思うんです。必死で抵抗をしていたときだったなと。でもそのときのセールスがあったからこそ、僕は36年間、音楽だけでやってきてるわけで、ありがたいデビューをさせていただけたなと思います。
−−最近では、斉藤和義さんが「キャンディ」を、スピッツが「タイム・トラベル」をカバーしていますね。
斉藤君にしても(スピッツのボーカルの)草野(マサムネ)君にしても、カラーがある声ですよね。そういう方に曲をピックアップしていただけるのはホントに感激で、さらにそれが、その人のオリジナルのごとく、自分の曲として歌ってもらえてるのがうれしいし、客観的に聴いてすごくマッチしている。それだけ声の個性が強いんだと思います。
−−いわゆる“アイドル時代”の後、1982年に1年間、ご自身が音楽的に影響を受けたという米国で楽曲制作を行っていたそうですが、その後のソングライティングに変化はありましたか?
日本では、テレビでもTシャツにGパンとか、すごくロック色の強い渋い方向にいってたんです。でも、僕はもともと米国のエンターテインメントや50、60年代のミュージカルが大好きなんですよ。それを米国で再認識して。かたや、音楽を作るという面では、洋楽から離れて日本を意識するようになったんですね。隣近所の助け合いの精神っていう日本の環境と比較すると、米国は実にドライで、日本ってすごいなって思うカルチャーショックがいっぱいあって。その中で、邦楽にあるようなサウンドが見えてきて、日本の童謡のメロディーとかにシンプルでスタンダードになり得るようなものがあったり。日本にいたときは米国に目を向けてたのに、米国に住んだら今度は日本に目を向ける状況になって、そこから米国の(音楽の自分で)忘れていた部分を取り戻したり、知らなかった日本のものを取り入れたりして、自分のオリジナリティーを確立していった気はします。
−−ライブではお芝居やダンスを取り入れたりしたそうですね。
日本に帰ってきてブレークダンスを教えてくれるダンススタジオを調べたら、代々木(東京都渋谷区)の方に一軒だけあって、一人で行ったら、僕のことを知っていただけている方だったので、えらいびっくりされて。それで2回ぐらい行きましたけど、ブレークダンスって人のマネから入るもので、「映画やいろんな映像からとっていってください」みたいな話になって。それで振り付けも始めるようになりましたね。僕が最初に企画した「Friday Night Club」(85年)というライブイベントにはTRFにも参加してもらいました。楽曲もパフォーマンス自体も、いろんなことをやってましたね。
−−そんな中で「心に愛を持てるだろう……」と歌う「OUR SONG」をアルバムの最後の曲にした意味合いは?
僕は音楽を作り始めたころから、音楽で人を元気にしたり幸せにしたり、優しい気持ちにするというのが最大のテーマだったんです。それがここ10年くらいで非常に具体的になってきて、それは海外でのことが大きいんですけど、米国での活動や、曲を世界配信する企画もあったり。そういう中で、日本でこの「BEST VISION」をお届けできることは、非常にいいタイミングだなと思ってます。
<プロフィル>
1958年12月5日生まれ、広島県出身。77年10月、シングル「てぃーんず ぶるーす」でデビュー。同年11月に「キャンディ」、12月に「シャドー・ボクサー」とシングルを連続リリース。2000年から環境チャリティーイベント「鎮守の杜コンサート」を定期的に開催。06年からは米国の「9.11追悼セレモニー」「ニューヨーク国連本部 平和会議イベント」で毎年演奏。原田さんが初めてハマッたポップカルチャーは、ビートルズと同時期に人気を博した米バンド「ザ・モンキーズ」。「小学校2、3年のころ、『ザ・モンキーズ・ショー』というテレビが面白くてハマりまくってました。それがポップミュージックに向かうきっかけになったことは事実ですね」と話した。
(インタビュー・文・撮影:水白京)
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