ドラゴンボールDAIMA
第6話 イナヅマ
11月18日(月)放送分
人気アニメ「ガンダム」シリーズの生みの親として知られる富野由悠季監督がこのほど、KADOKAWA・ドワンゴによる“ネットの高校”N高等学校・S高等学校(N/S高)の生徒に向けた特別授業「学園生のための特別授業 富野講座」に登場した。富野監督は「富野由悠季です!」と一言のあいさつだけでマイクを置き、「わざわざ紹介する必要はないと思います。こういうことは時間の無駄。知らない人はネットで調べてください! 以上、次いきましょう!」と一喝し、ただならぬ緊張感が漂う中、授業が始まった。
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「監督が今、10代だったら何を目指しますか?」という質問に「そういう質問は、80歳を過ぎた年寄りにはナンセンスです。というのは、僕はもう死んでいくための準備を始めました。体の自由も利きません。苦しまずに死ぬにはどうしたらいいのかを考えています。ただ、あえて、どら焼きさん(質問者)の質問に答えるならば、こういうことです。“高校時代から何になりたいか決めろ!”と学校とか先生とか大人が言ったりしますが、そんな目標がきちんとある人がいたら教えてほしいのです。なのに大人たちは、平気で言いますよね。“俺さ、まだよく分かんないんだよね”という気分を分かってくれない大人が、ものすごく多いと思いませんか?そういう大人社会に入っていってどうなるかというと、だんだんバカな社会人になっていくんです」と語った。
「ちなみに富野監督が10代の頃はどんな学生だったんですか?」と聞かれると「出来の悪い学生でしたので、未来への希望は一切持っていませんでした。ただ何となく中学高校時代から好きで、“こういう方向しかないだろう”と思っていた職業が映画監督でした。ですが、僕が大学時代に映画産業が徹底的に衰退してしまって、大学3年時には、映画会社が新規採用を一切しなくなってしまったんです。考えても絶望感しかなかったので、大学4年のときには、就職のことは一切考えませんでした。ただ偶然、新聞の3行広告に、虫プロダクションが新規採用をするという募集が一回だけ載りました。 それに応募したら受かったので、この職業に入ったということです。そうしてアニメみたいな嫌いなものをやるようになってしまった、というのがぼくのキャリアです。だからアニメの監督を目指していたなんていうことは金輪際ありませんでした。つまり学生時代までのことを言うと、全く何にもない学生でした」と明かした。
「富野監督がガンダムを作る際になぜ明確な悪との戦いではなく、人々との戦争という形にしたのですか?」という生徒の質問に対して「順序が逆です。巨大ロボットものを作らざるを得ないんだから、戦闘シーンがなくてはならない。悪いやつがいなくてはいけない。だから初めから戦争があるところで物語を作れば、戦闘シーンが作れるわけです。それだけのことです。仲やんさん(質問者)は、生真面目過ぎますね。もっとフレキシブルに柔軟性を持って物事を考えていくようにしてください。生真面目は宝かって言うと、生真面目は良いことなんですが、生きていく上では武器になりませんという側面は覚えておいてください」とコメント。
「ガンダムで大事なのは、宇宙人の敵は出てこないということです。それまでの巨大ロボットものの敵は、全部宇宙人でした。なぜかというと子供たちから見たら、敵が宇宙人の方が分かりやすいからという大人の理屈です。これって子供をなめてませんか? 子供をバカにしてはいけないと思ったので、ガンダムでは20数メートルにしました。“戦闘機の大きさと同じです。一人乗りの乗り物にします。一人乗りの兵器にします。だから人型でもコックピットに人が乗ります……”というふうに説得しました。放送されて視聴率が取れれば良かったのですが、悪かったので打ち切りになってしまいました。そういう現実がありました」と続けた。
さらに「ところが、放送が終わった瞬間に人気が出てしまったというのが、ガンダムの持っている宿命です。これが世の中というものです。それは僕にはコントロールできません。ですから、打ち切りになった半年後に、“映画にならないか?”という話が出てきたときに、敵も人間にしているし、ドラマがそこにはあったので、“はい、作って見せますよ!”と即答できました。それでテレビの再編集もので映画を作りました。 公開した瞬間に、応援団のファンがバーッ!とついてきたので、“即2本目を作ってくれ!”となったのが、ガンダムの事情です。これも作り手にはコントロールできないことです。その時に、そういう状況に対応できる自分、対応できる作品にしておいて良かったと思いました。つまり敵が人間で、人間同士のドラマが作れるようになっていたので、“はい、2本でも3本でも作ってみせます!”と言えたのです。これは、生真面目だけでは作れません。キャンユーアンダースタンド?」と熱弁した。
「映画」と話題になると「ここ20年ぐらい骨身にしみていることがあります。“映画の根本って何?”ということです。最近、ようやく分かってきました。それは恋愛映画です。つまり人の話でしかないのですね。結局、一般客は人の物語しか見ていません。“自分はメカものが好きだ!”とか言っているようなオタッキーな人でも、10年ぐらいすると、“あのアニメは良かったよね”“あの映画は良かったよね”と中身は恋愛話をしています。我々は男と女に分化して、成長して、文化を作ってきた人類です。 そういう生物ですから、根本的な恋愛話にスーッと入っていけるのでしょう。たとえば、アガサ・クリスティの良くできたミステリーを見ていると、強いて人間関係を描いていて、恋愛映画として作っているところがあります。そこを絶対に間違ってはいけません。今、皆さんはアニメも当たり前のように見るようになってきました。気をつけてほしいのは、絵にごまかされないで、“自分たちは一体何を見ているのか”、結局“人の物語を見ているんだよね”という部分をとても大事にしていただきたい。これだけは、千年たっても二千年たっても、人類は変わりません。オスとメスに分かれているのですから。それを覚えておいてください」と話した。
「つい最近、ものすごくびっくりする映画を見ました。『硫黄島からの手紙』です。メインの主役をやっているのが二宮和也さん。あの映画に出ている二宮さんは、演技をやっていないんです。そのまんまなのに、どんぴしゃりなんです。二等兵で、硫黄島で最後まで生き残っていく役をやっています。“こんなに演技者だったかな?”と思って、プロダクションノートで調べました。そうしたら“俺、アイドルなんだよね”と平気でクリント・イーストウッド監督の前で言っていて、カメラの前に立って、自然のままで演っていたそうです。 “あれは演技ではなかった”とも言っています。けれども『硫黄島からの手紙』では、ものすごい役者をやっています。これも人ができる可能性なのです。それは“演技を目指してやっていたんですか?違いますよね”ということです。つまり、生真面目にものを考えて、これからの自分の将来を決めつけるようなことは一切しないでくださいという教えです。“こういう事態に陥った”とか、“こういう会社に入ってしまった”とか、“こういう仕事をしなければならなくなってしまった”という時に、“へこたれずにそれをやってみせる”という気力、胆力、学習能力を作っていってください。それを積み上げていくと、30歳過ぎには、何とか自分のやりたい方向性というのは見つかります。ですから、中学高校時代に将来の職業を決められるなんてことは絶対にありません」とメッセージを送った。
「小さい時から“バイオリンをけいこしていました”とか、“スケートをやっていました”という人すべてが成功して、オリンピックで金メダルを取れるわけではありません。そうではない人がある日、突然出てきて、金メダルを持っていってしまうようなことも起こります。そう考えたときに、生真面目にやることだけが重要なことではないんです。 自分が立たされた現場や現実の中で、“こういう職業しかできないんだ”とか、“こういうところにしか居られないんだ”とか、何よりも東京で仕事ができないようなことが起っても、“俺はもう本当に都落ちもいいところだ”と、そこで人生を諦めてしまうのは簡単なんです。ところが人の暮らしというのは一度、こういうふうに生かされてしまったときに、そう簡単に人生をあきらめるわけにいきません。その時に、“5年後、10年後にも生きていられる私”を作るためにはどうするか、というふうに考えてほしいのです。 つまり現実を嫌がらずに見ていく。それを実感していくという能力を身につけてください。それを乗り越えていくための忍耐力というものを身につけてください。きょう、わざわざ大阪から来た生徒さんも居ます。大阪から来たという努力を持って帰っていってほしいから、ぼくは嘘の話ができないのです。とにかく“現実に耐えろ!”という自分を作ることはとても大事なことです。“好き嫌いなんか実は言っていてはいけないんだ!”というのが人生なのですから」と思いを明かした。
「アニメの中で絵に頼らないで物語で見せていくということをおっしゃいました。最近、アニメや映画を観る中で、物語って一体何の意義があるのだろうということを考え始めました。インターネットを見ても答えられる人が誰もいなかったので、監督にお聞きしたいです」と聞かれると「簡単に説明出来ていたら、ぼくはもっと有名になっています(笑い)。物語の本当の意味とか意義とかが分からないから、きょうまでこういうふうに、ぐだぐだ生きてきたといえます。実をいうと、“物語って意味があるのか?”については、基本的には、物語そのものに意味があります。でも、その意味というのは、必ずしも簡単には伝わらないところがあります。そして一番伝わる物語というのは、童話であったり神話であったりするものです。 “何で私は生きているの?”“生かされているから生きているんだよ”という一番ベースになっていることを物語っているのが、童話や神話だったりします。基本的にそれを“はなから認めろ!”という物語構造を持っています。これを100回ぐらい聞かされているうちに、そういうものだなと納得していくことができるのです。それを人間というのは、7~8歳、10歳ぐらいまで繰り返していく中で、それぞれが物語を作っていくんでしょうね」とコメント。
「それともう一つ。物語があることによって、“自分の人生と違う生き方があるんだな”ということを学習していくんです。そういう意味で、物語というものは必要です。僕にはそういう説明しかできません。たとえば『ロミオとジュリエット』の悲恋話があります。つまり、恋愛をして、ちょっとした誤解が起こったことによって、ジュリエットが死んでしまい、ロミオは自分も後追い自殺をしてしまう。ところが実は、ジュリエットは死んだのではなくて、偽の薬によって一晩寝ていただけだった。目覚めた時にロミオが死んでいるのを知ったジュリエットは、改めて自殺をするという話。そういうようなカップルがいたとすると、“俺はそんなバカなことはしないよね”と思うのも一つの教訓です。そういう教訓を10か20くらい、小学校くらいの間に取り込んでおくと、自分の中に物語というものができてきます。“俺はこうしない”“私はこういうふうにはしない”“私はこういうふうにして、もっとすてきな人を別のところで見つけてみせるんだ”というような決心をしていくことで、人生っていうのは始まっていく気がします。だから童話とか神話が持っているものを学習する必要があるのではないでしょうか」と続けた。
“物語”の話題は続き「古事記に出てくるような物語を、子供向けでも、マンガでもいいので読んでおく必要があります。つまり古事記にある国生みの話には、“神様が剣を立てて、そのしずくが落ちたところに佐渡島ができた!”というようなバカな話があります。それは本当にバカな話なのかというと、実は地球の生成ということから考えてみると事実なんですね。そういう物語を2000年前の人がどうして知っているのかというと、初めは想像力なのです。その想像力を積み上げていって神話というものができてくる。神話というものができるような時代になって、政治というものが起こってきたときに、政治学的に利用されていくような神話というものがさらにできてくる。日本の場合には、古事記という神話は、山の中で政権を取った人たちが作った話なので、海の話がほとんど出てこない。そのために古事記に日本人みんながとらわれてしまって、考古学者が九州地方、つまり海の民が生んだ文化というものを全部捨ててしまった。それでは申し訳ないということで、天照大神を作ったという話があるのですが、皆さんはご存知ですか? つまり物語というのはいろいろな要素が入っているということ。物語には、われわれが生きていく上での礎(いしずえ)になる指針が含まれている、ということを知る必要があるのです」と語った。
「それとゆうりさん(質問者)、もう一つ重要なことを言っていました。“ネットで調べて”とか、“ネットで良く説明をしている人がいない”とか。ネットできちんと説明できる人はいません。残念なことに、今のネットでは、表面だけの説明しかしていません。ネットでは一見いろいろなことを教えてくれているようですが、百科事典の項目をそのまま並べているだけです。 それでは、皆さん、百科事典って読みますか? つまり百科事典みたいに並んでいる知識がネットにはあふれていて、それをクリックしてその内の何行かを読んで勉強したような気になっているだけです。それではほとんど勉強になっていません。本当に意味を知りたいと思ったら、出典となっている本を読むというところまで行かない限り、知識と言うのは身に付きません。それだけは間違いなく承知してください。そういう意味では、僕はネットでの教育論を基本的に全否定する人間なので、実をいうと、このN/S高のシステムは大嫌いです」とばっさり。
「思考の流れを知る必要があるということでいいですか?」という質問に 「言葉でいえば全くそうなんですが、これが実は落とし穴です。では、“あなたはものを考えるという思考をしていますか?”ということです。思考していることがなくて、その流れだけをつかみとっていたら、ネット上とかパソコン上で、ウィキペディアをバーッと流して見せているようなものであって、そんなものは知識でも何でもありません。知識にしなくてはいけないのです。知恵にしなくてはいけないのです。ものすごく分かりやすい言い方をします。日本には四季があります。 日本の国土で、農民たちは九州から北海道までの土地で、土地の癖を天候と相談しながら、作物を作り、作物の品種改良をやってきました。それが知識です。知識というのは言葉ではありません。体感で伝えていくものです。体感を積み上げていくものです。体感とは、その場の気候風土というものと密着しているものなのです」と話した。
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