シドニー五輪女子マラソンの金メダリストでスポーツキャスターなどで活躍する高橋尚子さん(38)が、日本の子どもたちが履かなくなった中古靴を回収してケニアの子どもたちに贈る「スマイル アフリカ プロジェクト」に参加している。09年に続き、現地ケニアを訪問した高橋さんに話を聞いた。(毎日新聞デジタル)
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09年から始まった「スマイル アフリカ プロジェクト」は、ケニアのスラム街に住み、裸足や裸足に近い状態で暮らす子どもたちに日本の子供たちが履かなくなった靴を提供する活動で、今回は09年4月~10年3月に集まった約1万5000足の靴を提供した。高橋さんは「みなさんの温かい気持ちがなければ、靴の提供はなかった。(提供してくださった)みなさんにお礼を申し上げたい」と感謝の意を表し、「(贈られた靴を)履いている子どもたちに会って、靴を寄贈してくれた人たちの目となり体となり、見て感じてくることが、私のいちばんの責任だという挑むような気持ちでケニアに行って来ました」と今回の訪問について語る。
高橋さんは現地で、子どもたちに一足ずつ靴を履かせて履き心地を確認したり、昨年靴を贈った子どもたちに感想を聞いたりした。陸上選手を目指しているという子どもが1年間履いたという靴の写真を見せながら、「まだ履いている靴をその場で脱いでもらって(写真を)撮った。『毎日毎日ちゃんと洗っていたんだけど、こんなに黒くなっちゃったんだ。ごめんね』ってちょっと恥ずかしそうに言っていた。これだけ履きつぶした靴を見たことがない」と話し、「捨てようかなと思っていた靴を『もう少し履ける』と思って捨てるのをやめました。もっと(ものを)大切にしなきゃいけないということを教えてもらいました」と振り返った。
現地の子どもたちが置かれている現状について「昨年、常識を打ち砕かれた。(靴を持たない)子どもたちは、(足の)ケガから寄生虫やばい菌が入って、足を切断したり、命を落としたりする可能性があるのを間近で見て、靴は命を守る防具になるんだなと感じた」と話し、今年は母校の小学校からも靴の提供を受けたという。「靴が渡ったのは、スラム街の子の一部。現状は本当に変わらない」と嘆くが、「(靴を)渡した人たちっていうのは確実に健康が守られて、楽しく元気に走り回れている。夢は健康でないとかなえられない。最小限ですが、靴という防具を渡すことで、道を照らすものを渡せたかなと思う」と希望も見いだしているようだった。
同プロジェクトでは昨年に続き、高橋さんや日本人、現地のスラム街に住む人々が参加したマラソン「ソトコト サファリマラソン」も開催。スタート地点、ゴール地点の整備に現地の人々を200人雇用したほか、地下水をくみ上げて浄水・生成した5万本のミネラルウォーターをマラソンの給水に使用し、その売り上げを現地の学費に使用するなど新たな取り組みも行われた。またマラソンの先導車にソーラーカーを起用して環境にも配慮している。これらの取り組みについて高橋さんは「非常に大きな一歩」と話している。
現地で高橋さんは著名なランナーとして知られているというが、高橋さんは「『僕は走ったら負けない』って言われます。みんな自分がいちばん速いと思ってる。パワーがありますね」と笑顔で話す。ケニアの子どもには「闘争心と勢いが非常にある」と語り、日本の子どもたちは「優しさ、親切さに優れている。(マラソンで)遅れてきた子どもたちに日本の子どもがぱっと手をさしのべてあげられる。見習うべきところ」という。両者の関係について「ケニアの子どもたちは日本の人の優しさを知って、それを得て生活をしていく。(日本人の子供たちは)贈った靴をこれだけ使っているのを見て、ものを大切にしなければいけないという気持ちになってくれるとうれしい。いいところを吸収し合って、もっといいつながりができるんじゃないか」と期待を寄せる。
また、高橋さんはオバマ米大統領の祖母サラ・オバマさんの住むコゲロ村を訪問。子どもたちがオバマさんを「『ママ、ママ』って、お母さんのように慕っている」と話し、「彼女が先頭に立って、子どもたちにいろんなことを教えているんだなと思いました。『勉強は大切だ』って何回も言っていた」と振り返った。オバマさんは今回の活動について「子どもたちに夢が広がるので非常にうれしい」と話しているという。
同村では、靴1足につき1本の木の苗を子どもたちに配布し、子どもたちはその苗を自宅に植えた。その目的について高橋さんは「(ケニアでは)燃料が木炭や木なので、(人々は)身近な木から切っていって、それがなくなると森に入っていって森の木を倒していく。それが大きな問題。子どもたちに靴と共に木を贈って、木の大切さ、環境への取り組みを理解してもらえる」と説明する。「靴は1年たつと消耗するが、木はどんどん育っていく。木を見て日本人の贈った靴と、その思いを思い返すことができる。日本の子どもたちの木でもあるし、ケニアの子どもたちの木でもある」と言い、日本の子どもたちに対しては「ケニアの子からヒマワリの種が贈られてくるので、その花を大きく咲かせてほしい」との願いを持っている。
高橋さんは一連の活動で得たことを「子どもが小さいころにいろいろ吸収するかのように、生きるためのたくましさなど、いろいろ学んだ。ものが豊富でなくても、あの笑顔でいられる秘けつ。それは夢の持ち方や、家族を大切に思う気持ち」と振り返った。
また高橋さんは新たに「農業を始めました」という。「現役時代から、新鮮なもの、バランスがいい食事を心がけ、今までは栄養士さんが提案をしてくれたものと、できるだけオーガニックなものにしていた。それを身近に感じて知るためにも、農業には非常に興味があった」と語り、ブロッコリーやアスパラガス、コーンなど7種類の野菜の種植えを行って「あんなに大変なことだとは思いませんでした」と語っている。
社会貢献や環境問題に対して積極的に取り組んでいる高橋さんだが、国政に興味はあるかと尋ねると「ないです」と即答。「まだまだ現場で勉強させられることが非常に多い。ケニアでの活動は小さいけれど確実な国際交流。一歩ずつ前進している。近くの未来よりも先の未来を見据えて一歩ずつしていきたい」と話し、「現役の時、結果を出すには、今日一日何をするかっていうことがいちばんの課題だった。今日、腹筋を30回、40回、50回した方が結果に近くなるというのが、いちばんの考え。だから、なにができるかという大きなことよりも、すぐにできることをやっていきたい」と意気込んでいる。
<プロフィル>
72年5月6日、岐阜県生まれ。95年に小出義雄監督のいるリクルートに入社。97年1月に「大阪国際女子マラソン」で初マラソンに出場し、7位に入賞。同年4月、小出監督とともに積水化学に移籍。98年3月の名古屋国際女子マラソンで初優勝。00年のシドニー五輪女子マラソンで日本女子初の金メダルを獲得した。01年9月のベルリンマラソンでは2時間19分46秒の当時の世界最高記録を樹立。05年、小出監督と師弟関係を解消し、「チームQ」を結成してマラソン数々のレースに挑んだが、08年10月に現役を引退した。