桐島、部活やめるってよ:吉田監督に聞く 青春とは「イメージと現実の折り合いがつかないこと」

「桐島、部活やめるってよ」について語る吉田大八監督
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「桐島、部活やめるってよ」について語る吉田大八監督

 朝井リョウさんの小説が映像化され、11日から全国で公開される。学校内の“スター”桐島が、バレーボール部をやめるというニュースが校内に流れ、それによって振り回される部員やクラスメートらの様子が描かれていく。メガホンをとったのは、「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」(07年)や「パーマネント野ばら」(10年)の吉田大八監督。映画部に所属する主人公・前田涼也を神木隆之介さんが演じるほか橋本愛さん、大後寿々花さんらが出演している。吉田監督は63年生まれ。10代の若者たちとの仕事を「いい意味で緊張感があった」と振り返る吉田監督に話を聞いた。(りんたいこ/毎日新聞デジタル)

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◇自分に描ける資格があるとは思えなかった

 −−クラスメートの中に序列があったり、同性同士でもわだかまりがあったり。高校を卒業して四半世紀以上がたった者には、正直なところ、今作に出てくる高校生心理がいまいち理解できませんでした。

 そうおっしゃる方もいるし、自分の高校時代と変わらないとおっしゃる方もいる。それだけ高校時代の経験は千差万別ということかもしれませんね。僕は男子校だったし、携帯電話などない時代ですから、ディテールを含めて違うところを探せばきりがありません。今回の企画も、今の高校生の話だと聞いた時点で、自分に描ける資格があるとは思えないというところから入りました。ただ、高校で起こることというのは、人間が集まる場所、すべてで起こりうること。今の高校生がやっていること、しゃべっていることは、翻訳していけば分かる。彼らとの間の回路が、たまたま切れているだけで、それがつながれば理解できるのではないかと、原作を読んで思うようになりました。

 −−作品を拝見する前は、この作品が吉田監督の過去の作品とは異質というか、吉田監督らしくない作品だと感じたのですが、ご自身としてはすんなり受け入れられたのでしょうか。

 今作については、タイトルが変わっていたし、目立つ表紙だったので、書店に置いてあるのを見てはいました。それが、何を間違って自分のところに来たんだろうという感じは、正直ありました。ただ、僕は映画は4本目ですが、CMはいろいろやっていて、自分のイメージと開きのあるものをやったときのほうが、いい結果が得られるという経験をいままで何度もしてきました。テーマやモチーフに対して自分と距離があったほうが、むしろそこに飛び込むスピードや力が出るからなのでしょう。

 −−これまでの4本の監督作は、ジャンル分けするとなんになるのでしょう。青春映画でしょうか。

 1作目の「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」以降、いつも僕の映画は、青春ドラマなのか、コメディーなのか、ブラックなのか、人間ドラマなのか、どのジャンルに入るのか分からないといわれます。でもそれは作り手に答えられることではなく、逆にみなさんがどう見るかだと思うんです。確かに1作目のときは青春ドラマと僕自身いったことは覚えています。ただあれは、主人公を女性ととらえておらず、“青春の真ん中にいる人間”として共感しながら描いたからなのです。

 −−吉田監督が考える青春とは?

 いろんな言い方があると思いますが、自分のイメージと現実の折り合いがうまくつけられない人間のこと。結局僕はエキセントリックな人間が大好きなんです。これまでそういう人を描いてきたし、自分の映画のまん中にいてエンジンをかけるのはそういう存在。ですから、これまでの4本の作品では、独特の育ち方をした主人公のイメージが、ある日突然暴走したり、爆発したりする瞬間というのを具体的に描いている場面が必ずあるのです。

 ◇2Dなのに3D映画

 −−今作においてのそれが、後半の写真部に所属する前田(神木さん)が、屋上でゾンビ映画を撮影するシーンですか?

 そうですね。学校の中にもぼんやりとヒエラルキー(階級)があって、映画部の子たちはなんとなく“下”のほうにいる。僕も大学生のとき自主映画にかかわっていて、やはりそういう感覚がありました。そういう“下”の人間の思いが、ゾンビ映画には乗せやすい。というのも、ゾンビは死人。それが、生きているきれいな人間とか立派な金持ちにかみついて、一瞬にして自分と同じ腐っていく死体にしてしまうわけですから。

 −−原作は各章別々の人間を主人公にしたオムニバスですが、映画は構成を変え、同じ出来事を時間と視点をずらして繰り返し描くという手法をとっています。

 アクションだったり表情だったり、映画の持ち味が生かせる方法で、原作の世界観をどう捕まえていくかを考えた結果です。ただ、違う視点から一つの出来事を何度もトレースしていくというのは原作にもありました。ですから(映画では)金曜日が4回続く中で、同じ出来事でも、モテる子たちから見る、モテない子たちから見る、男子から見る、女子から見る、そういういくつかの視点があるほうが、見ている人の気持ちがより入りこみやすくなるのではないかと思ったんです。

 −−土曜日と日曜日を入れたのは。

 これは、学校の中でどんどん圧力を高めていって、それが一気に解放され、また学校の中で収まっていくという、ほぼ学校の中しか出てこない話。金曜日が4回続くと、見ている方は重苦しくて結構キツい。土日でちょっと軽くしておいて月曜日に向かわせる。観客の生理的なリズムを想像した上でそうしました。

 −−前田は劇中、フィルム撮影に対するこだわりを口にしますが、今作はフィルム撮影ですか?

 ビデオです。その話(前田のこだわり)がビデオで撮られているというのが、逆に大人の世界の残酷さなんです。彼のこだわりは現実的には意味がない。もちろん8ミリとホームビデオの間には明確な差はありますが、映画の世界でいうと、フィルムとビデオの差が持つ意味は、もはやどんどん小さくなっている。だからこそ、フィルムにしがみついている前田の気持ちのありように、前田としての意味があるわけです。彼がこの先どういう道に進むか分かりませんが、2~3年たったら、自分もあんなことにこだわっていたんだなと思うかもしれないし、全部忘れてしまうのかもしれない。

 −−それもまた青春の残酷さですね。

 そう思います。でも、当事者にとってはそのときは絶対、大事なものだったりするんです。学校を出てから、ああ、そんなことなかったなと思えるのは、僕たちの立場で振り返っていうだけのことなんです。

 −−最後に、監督ならではの観賞のポイントを。

 今、高校生の人も、かつて高校生だった人も、特にそうしようと思わなくても、どこかで自分の記憶だったり、リアルタイムに経験していることだったりが、この物語の中にスポっとはまってしまうと思います。その視点に乗っかって、登場人物と一緒になって桐島を探したり、なぜ彼が部をやめたんだろうと考えたりしながら見る。その意味では、映画自体は3Dではありませんが、3D的な立体感ある経験として楽しんでもらえるのではないかと思います。

 <プロフィル>

 1963年生まれ、鹿児島県出身。早稲田大学第1文学部卒。87年、CM制作会社ティー・ワイ・オーに入社。以降、CMディレクターとしてテレビCMを手掛け、さまざまな広告賞を受賞。07年、長編劇映画監督デビュー作「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」がカンヌ国際映画祭批評家週間部門に招待されたほか、数々の映画賞に輝いた。09年、「クヒオ大佐」、10年、「パーマネント野ばら」に続き今作が4作目の監督作。初めてハマったポップカルチャーはパンクロック。当時好きだったバンドのスターリンやザ・ルースターズらが出演する映画「爆裂都市 BURST CITY」(82年)を見に行ったのが、映像制作に興味を持つきっかけとなった。

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