猿の惑星:新世紀:マット・リーブス監督に聞く「シーザーとその家族の未来がオリジナルに近づいていく」

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 高度な知能を獲得した猿と人類との関係を描いた映画「猿の惑星」の新作「猿の惑星:新世紀(ライジング)」が全国でヒット中だ。前作「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」(2011年)の続編で、前作から10年後の世界を描いている。今作から携わるようになったマット・リーブス監督は、最先端のデジタル技術を駆使し、細部に至るまでリアルな猿の表情や臨場感あふれる戦闘シーンを描いている。物語は、「猿と人類」というメインテーマに加え、家族の絆に焦点を当てた。今作についてリーブス監督に電話で話を聞いた。

ウナギノボリ

 −−前作のルパート・ワイアット監督からバトンタッチされた形で製作されたと思いますが、ワイアット監督から何か引き継ぎ事項、続編を作るにあたっての要望などはありましたか。

 ルパートさんに会ったのは、この映画が完成する間近だったんです。FOXのスタジオにいたときに彼もいることが分かって、「あなたがルパートだよね?」と言って。その後1時間くらい彼と話しました。ものすごくすてきな人でした。

 スタジオから私に提示されたアウトラインに書いてあったものは“人類滅亡後の世界”でした。私は“人類滅亡後の世界”に全然興味がなかったし、猿の視点からも描かれていなかったので「これだったらやる気はない」と言いました。そうしたら、スタジオから「君だったらどういう映画を作りたいのか」と聞いてくれたので、「シーザーを主人公に据え、猿側の視点で描きたい。そして、猿たちの世界を見せたあとに人間が登場する。そこからは西部劇調になって、暴力というものの構造を見せていきたい」と提案しました。それをスタジオがアプルーブ(賛成)してくれました。「何かスタジオ側からの要望、リクエストがあるか」と聞いたら、「もう公開日が決まっているので、今すぐ始めてほしい」といわれました。製作にあたっての流れはこのような感じでした。

 −−今作では猿のシーザーと主人公の双方の家族に強くフォーカスしており、“家族愛”が重要なテーマだと感じましたが、どうでしょうか。また、そうであればその意図は?

 先程お話しした暴力の構造を見せるにあたって、どれだけのどのような危険が迫っているのかなど、“暴力”というものを際立たせるためには“家族”のことを描かないといけないと思いました。逆もいえると思います。この映画の中には悪役が全然いない。特に私がフォーカスしたかったのは、猿側と人間側この二つの家族です。そして、彼ら双方の視点がきちんと正当化される理由があって、そして歴史があるからこそ、こういう状態になっているということを見せたかった。彼らの視点というのをしっかりと描きたかったんです。そして、平和というのはあり得ない。なぜかというと、双方がうまくやっていけるようにと我々は望むけれど、猿と人間の戦いがあって歴史がありますから。でもそういうものを際立たせるためには小さな人間の感情的なシーンを描くということが非常に大事だと思いました。

 −−3D映像と、特に音響が非常にインパクトがあり効果的だと感じたましたが、3Dと音響にはどういう狙いがありましたか。

 映画の世界に入り込める映画体験にさせたかったし、映画の力というものはキャラクターになり切ったり、キャラクターと一緒になって感じたり、そうやって完全に入り込むということだと思うんです。3Dというのは正にこの世界観に完全に没頭できるものですし、また、音響によってその世界にも入り込める。

 でも、音の使い方は“実際の音”というよりも、たまには全く音が聞こえないような場面を心理的に使うこともあります。前回「創世記(ジェネシス)」では、ゴールデン・ゲートブリッジのところでも、とにかく猿側に付くしかないくらいの感情に皆さんがなったと思います。しかし、今回の「新世紀(ライジング)」はすべてにおいて非常に悲劇的な感覚があるので、音や音楽を使って、例えばコバの感じている復讐(ふくしゅう)心や、ブルーアイズが初めて戦争という恐ろしさに気づく悲劇、戦争というものの感覚、悲劇を、音や3D、そして映像によって完全に皆さんに見せたいと思いました。

 −−疫病がまん延し人類が終わりに向かうディストピアが描かれていますが、意図することは?

 ディストピアを描くというのは、こういうことが実際に起きるかもしれないという暗示だと思うんです。正に我々はニューオリンズで撮影しましたが、ハリケーン・カトリーナのあとだったので、正にディストピアを想像させるような場所が結構ありました。我々が本当に今、文明の終わりに来ているかのような錯覚させるような、本当にもうそこにすぐ近くのところにいるような、そういう場所が結構ありました。

 ストーリーの中では、それももちろん重要な部分ですが、私としては、猿の文明というものがどう発達していくかを見せたかった。それは、今までに映画の中で見せたことがない部分だと思います。人間という種族とは違って、猿だったら猿らしいというか……。やはり、森の中で文明が発達していくと思います。そういう部分が結構私にとってはとっても重要な事でした。

 −−ラストシーンが続編を期待させるものでしたが、続編は意識していますか? 続編について何か決まっていることがあれば教えてください。

 1968年版のオリジナルがあるので、我々としては皆“猿の惑星になる”ということが分かっていますよね。「人間と猿の惑星」っていう題名が付いていない以上、そうなることはもう間違いない、避けられない、と思うんです。でも、私はこの作品で、もしかすると「人間と猿の惑星」になったかもしれない、そういうチャンスがあったかもしれないということを描きたかった。

 今作の最後でシーザーは将来を見据えながら、自分が考えていた世界にはなっていかない、ということを認識するし、また、非常に痛みを感じています。この「猿の惑星」の世界の中で彼は非常に貴重でまれな存在です。「育ての父」が人間なわけですから。猿の中で唯一人間的な部分も持っているし、人間のことをよく分かっている。ですから、次回作で彼は難しい、非常に困難な現実に直面することになると思います。しかし、この世界観の中で彼は神話的なステータスに上りつめると思います。

 「創世記」から始まったこの作品群を「シーザーサイクル」と呼んでる人たちがいますけれど、私もそう思います。シーザーとその家族、そして彼のこれからの未来、将来ということが、だんだん68年のオリジナルの「猿の惑星」に近づいていくということは事実です。

 −−日本で「猿の惑星:新世紀(ライジング)」の公開を楽しみにしている人へメッセージをお願いします。

 「クローバーフィールド/HAKAISHA」で日本を訪れたことは、自分の中では思い出深く、かつ非常に重要な経験でした。今回、この映画で来日できなかったことはとっても寂しいですが、今はもう次回作の準備に入っていますので、次回作を含めて、日本の方々には楽しんでいただきたいと思います。これはとっても米国的な映画だとも思いますが、非常に黒澤(明監督の)映画の影響も受けています。日本の皆さんにもつながりを持てるのではないかと思います。

 −−先ほど黒澤映画の話が出ましたが、具体的に影響を受けた黒澤映画を教えてください。

 特に最近「乱」(85年)を見たので、お城を燃やすシーンというのが、今回ちょっとつながっていると思います。コバが怒りをあらわにするシーンと、「乱」の中のシーンが重なる部分があると思います。また、とにかく黒澤監督の大ファンなので、「七人の侍」(54年)のヒューマニズムに到達できなかったとは思うけれど、ああいうものに憧れるというか、非常に若いころから傾倒しています。

 <プロフィル>

 1966年生まれ、ニューヨーク州出身。南カリフォルニア大学在学中に「暴走特急」(95年)の脚本を手がけ、卒業後に初の長編映画「ハッピィブルー」(96年)を監督。その後、旧友のJ.J.エイブラムス監督とともに98年にスタートしたテレビシリーズ「フェリシティの青春」の企画に携わり、エイブラムス監督のモンスターパニック映画「クローバーフィールド/HAKAISHA」(08年)の監督を務める。スウェーデン映画「ぼくのエリ 200歳の少女」(08年)のハリウッドリメーク版「モールス」(10年)も絶賛された。

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