週刊少年サンデー:創刊の舞台裏 集英社の独立も影響 亡き初代編集長のインタビュー公開・前編

マンガ誌「週刊少年サンデー」の公式サイト
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マンガ誌「週刊少年サンデー」の公式サイト

 これまで多くのヒット作を世に送り出してきた小学館のマンガ誌「週刊少年サンデー」。今は、マンガ誌全体の部数も減る“冬の時代”だが、かつてのマンガ誌は、何もないところから黄金時代を作り上げた。そこで、同誌初代編集長の故・豊田亀市(きいち)さんへの2008年の未発表インタビューを前後編で公開し、サンデー創刊の舞台裏を明かす。

ウナギノボリ

 ◇サンデーは学年誌強化のために誕生

――「週刊少年サンデー」は豊田さんの企画から生まれたと聞いています。まず、どうして「サンデー」を創刊しようと思ったのか、その意図から聞かせてください。

 マンガを中心とした「少年週刊誌」を出したいという考えは、かなり早くから持っていました。というのも、学習雑誌(「小学一年生」などの学年誌)でマンガに力を入れるべきだと考えていたから。小学館はマンガ月刊誌を出していなかった。マンガを中心にした雑誌を出すことで傑出したマンガ家を育て、それを学年誌で使おうという野心があったんです。

 当時の学年誌でやっていたマンガは面白くなかった。伝統に甘えている部分があったんですね。だけど本を作る以上、面白くなければいけない。マンガを強化するには、マンガ中心の雑誌が必要だと。

 1958年の夏、相賀徹夫社長(第2代社長。豊田さんと同じ1925年生まれ)に「マンガを中心とした少年週刊誌を出したい」と言うと、即決で企画が採用された。社長はなかなかの人物ですよ。僕は感心しましたね。

 僕は小学館という会社よりも、「小学館の読者」が好きなんですよ。彼らが読んでくれる学習雑誌(学年誌)を守るためには、もっと面白くしなければいけない。そのためにはマンガを強くすること。それで少年週刊誌が必要だというわけです。それを細かく説明しなくても、社長はすぐに理解してくれましたからね。

――同じ日に講談社の「週刊少年マガジン」も創刊しています。これは当時の野間省一社長(第4代)自らの発案だったようですが、「少年週刊誌」という企画は「サンデー」のほうが早かったわけですか?

 うん。おそらく、「サンデー」が先ですよ。それを聞きつけた講談社の野間社長が「うちもすぐ作れ」となったんでしょう。当時、「マガジン」が創刊すると僕が聞いたのは、ずっと後になってからです。こっちが全部、連載も決めた後だったから。

 ひと月ほど経ってから、社長に「編集長はどうするんだ?」と聞かれ、一人ずつ候補を当たっていきました。ところが、誰も引き受けようとしない。今までにない少年週刊誌ですからね。秋になって社長に「じゃあ、自分でやれ」と(笑い)。それで私が初代編集長になったわけです。当時は「小学一年生」などの編集長も兼務していました。もともと僕は現場が好きだから、部長になってからも、ずっとどこかの編集長を兼務していた。

――「フライデー」などと違って、「少年サンデー」は日曜日に出る雑誌ではありません。その誌名には、どんな意味があったのでしょう?

 1958年の暮れ、そろそろ宣伝も始めなくてはいけないというころに僕が考えました。「休日」「明るい」「エンターテインメント」といったイメージですね。

 最初は僕が4月生まれということもあって、4月1日に創刊する予定だったんです。ところが「マガジン」とお互い、1日でも早く出そうとしていった結果、3月17日の同時創刊に落ち着いた。

 創刊号の構成が似ているのは偶然でしょうね。発売日の情報は入ってきても、内容の情報までは入ってこなかった。歴史的に見れば、講談社が持つマンガのノウハウにはかなわない。ただ、少年週刊誌ふたつは成り立つと思っていました。「マガジン」はライバルとして分析したけど、敵視はしませんよ。世間から見れば、もともと講談社の領域に「サンデー」創刊で小学館が殴り込みをかけた格好なんだから。むしろ、講談社に敵視される立場でしょう。

◇「ジャンプ」初代編集長は直属の部下

――講談社と小学館の社風には、どのような違いがありますか?

 講談社というのは、「健全な娯楽」の中心地だったと思います。それに対し、小学館は積極的に攻めていかざるをえない。最大のライバルなんて言われても、講談社に比べたらずっと小さいわけだから。もともと小学館は「そこそこに手堅く、健全な」出版社です。戦前は滑稽(こっけい)小説も出したけど、学年誌の伝統があるから、そのブランドを壊してはいけなかった。

 子供のころから小学館の本はなじみがありましたけど、講談社の本も「幼年クラブ」から徹底的に読みましたよ。就職するとき、講談社が募集していれば試験を受けたでしょう。講談社の社風である「健全な娯楽」という要素を小学館に取り入れる必要がある。それも「サンデー」創刊の一因になっています。

 小学館の娯楽部門としては集英社がありました。集英社が出した山川惣治さんの「少年王者」は、戦後すぐのベストセラーですよ。小学館がマンガ月刊誌を出さなかったのは、娯楽部門を集英社に任せていたから。ところが、その集英社が独立することになった。だから「サンデー」は集英社ではなく、小学館から出さなければならなかったんです。いかに兄弟会社とはいえ、ドル箱を渡せないでしょう。

 集英社が独立するとき、僕は「小学六年生」の編集長をしていて、部下に「(週刊少年)ジャンプ」を創刊した長野規(ただす)くんがいたんです(豊田さんの2期下)。上から「誰か集英社に出せ」と言われ、彼を出したのは僕のミス。長野くんは小学館に取っておくべきだった。そして、「サンデー」をやるときに使うべきでした。

――創刊の時点で、編集部には何人のスタッフが?

 最初、会社は8人で作らせるつもりだったんですが、僕が計算してみるとどうしても13人は必要だった。後から牧野さん(牧野武朗さん。「週刊少年マガジン」初代編集長)に「お前のところは何人だ?」と聞いたら「15人」と答えました。やはり少年週刊誌にはこれくらいの人数は必要なんです。

 創刊号から5号目くらいまで、「サンデー」と「マガジン」は全く性格が違う。「マガジン」は従来の「少年画報」「冒険王」「ぼくら」などの少年月刊誌に近い編集方針でしょう。それに対して、「サンデー」は手塚(治虫)さん、寺田(ヒロオ)さん、藤子(不二雄)さんらトキワ荘を中心にしていた。重厚な「マガジン」に対して、「サンデー」は明るくて軽い。それは僕と牧野さんの性格の違いかもしれません。牧野さんは強い人ですよ。商売を考えられる編集者。アクが強くて、小学館にはいないタイプです。(後編に続く)(伊藤和弘/フリーライター)

小学館のマンガサイト「サンデーうぇぶり」では、1日に小山ゆうさん、8日に石渡治さんのロングインタビューを掲載する。

とよだきいち 1925年、東京都生まれ。国学院大学文学部卒業。49年小学館入社。50年から「小学六年生」など学年誌の編集長を歴任する。雑誌部次長だった58年に「週刊少年サンデー」を企画し、創刊編集長に。編集担当取締役で退職。2008年の取材当時は日本ユニ著作権センター代表理事を務めていた。2013年に満87歳で没。

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