山崎邦正さんが月亭方正に、「世界のナベアツ」さんが桂三度にと、関西出身のタレントがそれぞれ名前を変え、上方落語家に転身し活躍している。東京出身で末高斗夢(すえたか・とむ)の名でピン芸人だった、三遊亭とむさんも転身組の一人。「東京五輪の2020年までには真打ちに昇進して、日本武道館で披露興行を」と高い目標を持っている。24日に東京・新宿で独演会を開く、とむさんに聞いた。
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この春までレギュラーだったラジオ番組で、大竹まことさんから「なんだお前、そのよく分からない転身は。なんで落語家なんだよ」と、さんざんいじられた、とむさん。
「すごく失礼な話ですけど、落語は全く知らなかった」。でも、落語との接点はあった。前の所属事務所の社長から「これを聴け」と、先代林家三平さんの落語の音源を渡され、「ダジャレのあとの『間(ま)』はすごく勉強になった。ストップウオッチで測りましたよ」と明かす。
自分もライブをやっていた新宿明治安田生命ホール(東京都新宿区)で立川志の輔さんの落語を聴いて「衝撃でした。落語ってカッコいいなと。当時の僕は大道具を使うので、10分の芸なのに宅配便会社に連絡しないといけない。それが志の輔師匠は1時間、しゃべりだけで泣かせて笑わせる。あれだけ心をつかまれる話芸を僕もやりたい」と思うようになった。
春風亭小朝さんの楽屋を訪ね、「落語をやりたいんです」と相談。「軽い気持ちだったんです。そうしたら、びっくりしちゃうんですが、桂米朝師匠(が創作した人情噺)の『一文笛(いちもんぶえ)』を教えてもらって」。高座の録画を見せ「落語を続けたい」と話すと、小朝師匠は入門を勧めてくれた。ただし「でもうちはダメ。君みたいのはつぶされちゃうから。好楽兄さんのとこかな」と、「笑点」のピンクの着物でおなじみ、三遊亭好楽師匠を紹介してくれた。
そのころ、芸に悩みもあった。先輩のつぶやきシローさんからは「よくも悪くも芸が固まっちゃっている。俺はこの年だからできないけど、お前は若いんだから新しいことやったら」と言われた。東日本大震災の被災地では、スベってしまい、「頑張れ~って、被災地に応援に行って、逆に応援されてどうするんだって、すごく落ち込みました」という。
思い切って好楽さんのもとへ。「お笑いと落語の二足のわらじは厳しいと思います」と話し、「だからすいません……と言おうと思ったら、そこから言葉が出なくなっちゃった」。すると、好楽さんは「大丈夫。その考えがあったら大丈夫、あした私の誕生日だからあした入門ね、おめでとう」。とむさんは「はい、よろしくお願いします」と即答した。迷っていた入門は、あっけなく、まるで落語のように決まった。
2011年8月、三遊亭こうもりの名で入門し、昨年、二ツ目に昇進して、再び「とむ」へ。二ツ目では異例の披露公演とパーティーを開いた。「会費をとって何もやらないんじゃ、ぼったくりパーティーと言われてしまう……」と。そこで考えたのが「師匠への手紙」。「笑点には出ないエピソードや、師匠のおかみさんが怖いというエピソードを手紙にしてみようと。演じてみたら意外と評判がよかったので、そこから何度も練って、師匠がやりそうなことも入れてみました」。今も進化する持ちネタの誕生だ。「中身は事実3割、想像7割。短い時間でもできるので、お笑いライブなどでやってます」と話す。
大竹まことさんにはいつもいじられるが、笑福亭鶴瓶さんは、唯一、「とむはしゃべりがうまい」と言ってくれた。「師匠がそう言ってくれるなら、常にうまくなきゃ、ちゃんとしてなきゃ。世の中に知ってもらわないと。あの人はテレビ出ないけどうまい、じゃなくて、知ってもらってから全国の人にダメ出しされるように、勝負していきたいなとエラそうに思ってます」と意欲を語った。
三遊亭とむさんの独演会「ラブファントム」は24日午後4時、レフカダ(新宿区新宿5-12-4、電話03-5366-0775)。ゲストあり。詳細はとむさんのブログ「こうらく日和」(http://ameblo.jp/suetaka-tomu/)を参照のこと。(油井雅和/毎日新聞)