柴田淳:「歌詞が暗い歌手」とさしこ指名で全国区に 「こだわりのかたまりの15年だった」

デビュー15周年を記念したベストアルバムをリリースした柴田淳さん
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デビュー15周年を記念したベストアルバムをリリースした柴田淳さん

 シンガー・ソングライターの柴田淳さんが、デビュー15周年を記念したベストアルバム「All Time Request BEST ~しばづくし~」を25日にリリースした。ファン投票を元に本人がセレクトした楽曲をはじめ、CHEMISTRYや中島美嘉さんへの提供曲の新録セルフカバー、インディーズ時代の楽曲も収録された2枚組みアルバムとなっている。今年は日本テレビ系バラエティー番組「今夜くらべてみました」などに出演し、注目を集めた柴田さんに、ベスト盤の話や15周年を迎えた心境について聞いた。

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 ◇バラエティー番組はホールコンサートくらい疲労した

 ――今年は「今夜くらべてみました」などのバラエティー番組にご出演されていましたが、HKT48の指原莉乃さんからのご指名がきっかけだったそうですね。

 指原さんが暗い曲を聴いて自分の気持ちに浸って、ストレスを発散するっていうふうに過ごすのが好きみたいで、指原さんが「歌詞の暗い歌手で注目している人」として選んでくれたんですね。テレビなんて8年ぐらい出てなくて、バラエティーに1本出るのに、少なくともホールコンサート1本分の疲労はしました。でもどんな形であれ、柴田淳の知名度が確実に上がったのは間違いないわけで、その影響力を考えると拒否するものではないですね。

 ◇基本的に独り言の歌

 ――柴田さんといえば、やはり失恋や切ない恋の歌が多いですが、これは実体験に基づいているんですか。

 そうですね。今は恋愛してないので書くネタがない(笑い)。暗い曲が多いのは自他ともに認めていて、どうしてそういう曲調になったかっていうと、自分が内面で抱えてるものを吐き出して歌にすることで、自分を保ってきたというスタイルがあって。まず、昔は片思いが多くて、告白する前に向こうに彼女ができちゃうとか結婚しちゃうとか、始まりを知らずに終わっちゃうっていう経験をたくさんしてきたので、せめて歌にして、好きだった気持ちを誰かに知ってほしいという思いで曲を書いたり、歌うことで「気づいて」「見返してやる」っていう気持ちだったり。あと、ひどいフラれ方をしたら、その人の悪口のような歌を書いて、それが有線とかで流れた時に「俺のことだ!」ってギクッとしてほしいとか。なので、歌がリスナーに向いてないんですよ。独り言の歌だなあって。だからヒットしないのかなと思って(苦笑い)。

 ――そういう楽曲を自分で聴いて過去の恋愛を思い出したりするんですか。

 自分がその思いを抱えたままだと生きていけないっていうことで、曲という形にして自分から離脱させるっていうやり方をしてきたので、作り終わったらもう聴きたくないんです。それを聴くっていうのは、ようやく癒えた傷をもう1回開くようなもので、そこまで注いじゃうので。だから「この曲どういう曲だったっけ?」みたいなのも結構あって……。

 ――今回のベスト盤には、CHEMISTRYに歌詞を提供した「月夜」や中島美嘉さんに詞と曲を提供した「声」のセルフカバーも収録されていますね。

 CHEMISTRYには歌詞を提供しただけで、自分で仮歌も歌ったことがない曲なのに、男性の声で、しかも私の言葉を歌ってくれるっていうのは、作家じゃなきゃ分からない快感ですよね。中島美嘉ちゃんは、私のファンだっていうのを全く知らず、彼女の直々のオファーだったので、もううれしくて。この曲、(歌詞を書いた時点で)タイトルがなかったんですね。そしたら「『声』っていうタイトルどうですか?」って本人が名付けてくれて、それでフタを開けてみたら(収録アルバムを)「VOICE」っていうタイトルにもしてくれて。

 その2曲を(セルフカバーとして)やったんですけど、難しいなんてもんじゃなかったですね。デモテープを(提供先に)渡す時に、寝起きに1回歌ったっていうだけで(笑い)自分の声で聴いたことがないんですよ。美嘉ちゃんやCHEMISTRYの声しか見本がなくて、一番最初に歌った人が正解になるんだなと思ったら、私は単に、全然歌ったことがない美嘉ちゃんの1曲を歌わせてもらったっていう感覚。CHEMISTRYはキーが違うから、一緒に口ずさめなくて練習にもならないし、自分のキーを見つけるのが大変。今でも、果たして合ってたのかなって感じますね。

 ◇今39歳、瀬戸際です

 ――改めて、これまでの年月を振り返ってみていかがですか。

 ヒット曲があると、それが名刺代わりになって世の中に名前が浸透するけど、ドカンとなるビッグバンがなかったから、常に(CDを)出し続けるというか、今いるわずかなファンも飽きさせないように、“意外な柴田淳”を見せていかなきゃいけないと思って。今のファンをキープしつつ、リリースを繰り返すことで世の中に提示していかないと、消えちゃうってずっと思ってたんです。

 そんな中、私の歌は「自分と同じことをつぶやいてる人がいる」って気づいた人が自ら手に取るっていう届き方なのかなって思ったんです。そうやって自ら探し当てて、内面的に引かれてドツボにはまっちゃうみたいで、そういう人が、少ない単位かもしれないけど、15年かけて積もってきたのかなって。“塵(ちり)も積もった時代”というか。だからバラエティーに出ても、ファンは「きっかけは何であれ、アルバムを聴いてくれれば全部解決すること」って言って動じないという。ここまで理解してくれているんであれば、これからはみんなと楽しんでいこうかなと。15年を区切りに、「消えちゃう」とか「柴田淳の世界を理解されないから」とか、そういう“柴田淳の呪縛”から解放されても大丈夫なのかなって。

 ――なるほど。では、これからはとてもいい精神状態で音楽活動ができそうですね。

 それよりも私、彼氏を作んなきゃと思って(笑い)。今まで「ちょっとデビューしてみた」とか「人気者になりたい」とか「ダメだったら結婚しまーす」とか、決してそういうノリではなかったし、終わるつもりも全くなかったので、こだわりのかたまりの15年ではあったんですよね。だからこそ「プライベートは何もなかったわ」と思って。結婚や子供(を持つこと)への憧れもないとはいえないので、もうギリギリのところですよ。今、39歳なので、瀬戸際です(笑い)。

 <プロフィル>

 1976年11月19日生まれ、東京都出身。2001年10月にシングル「ぼくの味方」でデビュー。これまでに10枚のオリジナルアルバムをリリース。柴田さんが初めてハマッたポップカルチャーは、NHK教育テレビ(現在のEテレ)の番組。「2歳上の姉がいるんですけど、姉が幼稚園に行く支度をしてる横でずっとテレビを見てたんです。当時は教育テレビがものすごく面白かったんですよ。小学校に上がっても、自分は2年生なのに4、5年生の理科まで見る、みたいな。あと、パペットが出てきて一緒に観察や実験をするとか、社会見学とか。『できるかな』『おかあさんといっしょ』とかもほぼ全部見てたし、全部テーマソングを歌えるぐらいマニアなんです」と話した。

 (インタビュー・文・撮影/水白京)

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