この「杉山清貴 インタビュー」ページは「杉山清貴」のインタビュー記事を掲載しています。
今をときめくアーティストや俳優に、影響を受けた人について聞く「運命の出会い」。今回は、7月19日に日比谷野外大音楽堂(日比谷野音、東京都千代田区)で公演「お~い、ヒロイシ!!」を開催する「杉山清貴&オメガトライブ」のボーカル、杉山清貴さんが、オメガトライブ時代のヒットシングルすべてを手掛けた作曲家の林哲司さんとの運命の出会いについて語った。
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転機になったのは、作曲家の林哲司さんとの出会いですね。この人との出会いがなければ、僕らの音楽人生は始まっていないです。
まだ林さんと出会う前、(1983年に)プロデビューが決まる前に、林さんが手がけた(松原みきさんが歌う)「真夜中のドア~Stay With Me」(1979年)のレコードを買ったんです。クレジットを見て、「林哲司って人が曲を作っているんだ。カッコいい曲を書くな、この人は。これまでの日本の曲とはちょっと違うセンスだな」と感じました。それから、林さんの楽曲をちょくちょく聴いていました。
デビューの話が決まって、僕たちの曲を林さんが手がけられると聞いたときは、「来たか!」と思いましたよ。これだったら僕らのデビューは間違いないなと思いました。
この話は林さんご本人にお伝えしています。どんな反応だったか、もう昔なので忘れちゃったけど、「それはお互い様だよ」なんて言ってたような気がしますね(笑)。
最近、林さんらが作った1980年代のシティーポップがリバイバルでブームになっているようです。今は、誰もが好きな音楽を自由にどこでも聴けて、それを自分で発信もできるようになっている。そんな中で、文化もファッションも音楽も独特な1980年代の日本の、短かったあの一瞬の時代に切り取られた曲が、今こうやって若い世代にも届いてるというのは、それを作ってきた人間にとって、とてもうれしいことで、感謝しています。これからもぜひ聴き続けてください。
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声の出し方、ボーカルのスタイル的に影響を受けた人はポール・マッカートニーとロックバンド「ジャーニー」のスティーブ・ペリー。この2人が僕の理想です。特にポールは、どんな声でも出せて、ああいうふうになりたいなあとティーンのころからずっと憧れていて。一番好きな曲は「オー!ダーリン」です。
60代半ばになりましたけど、食事はもう20年ほど前から気をつけています。僕らは旅が多く、旅先では好きなだけ飲んで食べて、その代わり、家に帰ったら粗食にしています。納豆とご飯とみそ汁と魚と、あとは野菜を多くとるようにしていますね。
リラックスする時間は、波乗りをしているとき。休みがあれば、すきあらば海に行きます(笑)。ただぼーっと沖を眺めて時間を過ごす。波が来たらそれに合わせて乗っていく。そんなふうに何も考えずにいる時間は、すごくリラックスしますね。
波から上がった後のストレッチと、毎日のストレッチは欠かせません。毎日のルーティンは寝る前のストレッチ。座っている時間が長い時があるので、脚を伸ばしたり、腰をストレッチしたり。ギターを弾くとやっぱり腕が張るので、そのへんもストレッチしています。
10年後は75歳。どうなっているか全く想像できないですけれど、先輩で一緒にやらせていただいている(シンガー・ソングライターの)南佳孝さんの年齢が、僕の10個上なんですね。佳孝さんを見てると、まだまだ僕もいけるんだろうなっていう気がしています。
<プロフィル>
すぎやま・きよたか 1959年7月17日生まれ、横浜市磯子区出身。血液型はAB。1980年に前身バンド「きゅうてぃぱんちょす」でポプコン入賞。1983年に「杉山清貴&オメガトライブ」でメジャーデビュー。「SUMMER SUSPICION」「君のハートはマリンブルー」「ふたりの夏物語-NEVER ENDING SUMMER-」など数々のヒット曲を世に送り出した。1985年にバンド解散。翌1986年に「さよならのオーシャン」でソロデビュー。
*杉山清貴&オメガトライブが7月19日に日比谷野外大音楽堂で開催する公演は、バンドのオリジナルメンバーで今年3月に死去したドラマー、廣石惠一さんの追悼ライブとなり、「お~い、ヒロイシ!!」と銘打たれている。WOWOWはこの模様を、同日午後5時からWOWOWプライム、WOWOWオンデマンドで独占生中継・ライブ配信(終了後2週間はWOWOWオンデマンドでアーカイブ配信される)。