杉山清貴&オメガトライブ:ドラマー廣石惠一さん追悼ライブへの思いをメンバーが語る 最後の日比谷野音への感慨も

杉山清貴&オメガトライブのメンバー。(左から)吉田健二さん、大島孝夫さん、大阪哲也さん、杉山清貴さん、高島信二さん、西原俊次さん カメラマン:福岡諒祠(GEKKO)
1 / 7
杉山清貴&オメガトライブのメンバー。(左から)吉田健二さん、大島孝夫さん、大阪哲也さん、杉山清貴さん、高島信二さん、西原俊次さん カメラマン:福岡諒祠(GEKKO)

 「杉山清貴&オメガトライブ」は7月19日、日比谷野外大音楽堂(以下、日比谷野音、東京都千代田区)で公演「お~い、ヒロイシ!!」を開催する。WOWOWはこの模様を、同日午後5時からWOWOWプライム、WOWOWオンデマンドで独占生中継・ライブ配信(終了後2週間はWOWOWオンデマンドでアーカイブ配信される)。同公演は、バンドのオリジナルメンバーで今年3月に死去したドラマー、廣石惠一さんの追悼ライブとなり、「お~い、ヒロイシ!!」と銘打たれている。メンバーに、廣石さんへの思いや、9月20日に再整備工事の準備のため営業を終了する日比谷野音への思いを聞いた。

あなたにオススメ

 「杉山清貴&オメガトライブ」は、1983年にメジャーデビュー。1980年代に「SUMMER SUSPICION」「君のハートはマリンブルー」「ふたりの夏物語-NEVER ENDING SUMMER-」など数々のヒット曲を世に送り出した。廣石さんは、前身バンドである「きゅうてぃぱんちょす」時代からドラムを担当し、杉山さんのボーカルと“オメガサウンド”を支える重要なリズム隊として存在感を発揮した。1985年のバンド解散に伴い、廣石さんは「クレイジーケンバンド」のメンバーとして活動。2018年に杉山清貴&オメガトライブが再結成されると、廣石さんも名を連ねた。しかし、今年3月16日に脳出血のため64歳で死去した。

 インタビューには、オリジナルメンバーの杉山清貴さん(ボーカル)、高島信二さん(ギター)、西原俊次さん(キーボード)、大島孝夫さん(ベース)、吉田健二さん(ギター、愛称ケンタ)、オリジナルメンバーではないが、ライブCD「The open air live “High & High 2018” Complete」からメンバーと共にメインビジュアルに登場している大阪哲也さん(キーボード)が出席した。

 ◇廣石さんは「ドラマーのイメージとはかけ離れた男」

 --今回のライブを開催することになったいきさつを教えてください。

 杉山さん:オメガトライブ名義のライブは周年、周年でやってきてたんですけど、前回、廣石君が体調不良でお休みして。じゃあ、復活したら、またオメガトライブでやろうという段取りになっていたんです。それが、廣石君が3月に他界しまして。

- 広告 -

 日比谷野音も今年でラストなんですね。そのタイミングで僕がソロライブをやるのに日比谷野音を押さえておいたんですけども。廣石君がこういうことになったので、じゃあ廣石君をもう一回みんなで思い出してあげようと、しのぶために、今年の野音は廣石君をみんなで送る会にしようと、当初の企画とは変えて臨むことにしました。

 --皆さんが最後に廣石さんと会われたのはいつですか。

 杉山さん:一緒に音を出したのが、2023年11月に林哲司さんの50周年のライブでオメガトライブで演奏させてもらったのが最後ですね。その翌年にオメガトライブで40周年ということでツアーを組んでいく中で、廣石君の体調が良くないというのが発覚して。残念ながらこのツアーはお休みしましょうと。昨年のNHKホール(東京都渋谷区)のライブのときに見に来てくれまして。元気そうにしてたんで、次回のために頑張ろうって言って別れたんですけど、それが最後になってしまいましたね……。

 --改めて廣石さんは皆さんにとってどういう存在でしたか。

 吉田さん:廣石とは高校1年生ぐらいから付き合いで、違う高校だったんですけれども、ライブハウスで知り合いまして。初めに会ったころ、彼はドラムじゃなくてベーシストだったんです。いつの間にかね、パーカッションをやり、ドラムになって。そういう器用なミュージシャンでした。性格的にも初めは口数もそんな多くなかったんですよ。お酒も飲めなかったんですけど、うちらと一緒にいると、お酒も強くなり、性格もだんだんと明るくひょうきんになり。彼がいないと楽屋が盛り上がらない、そんな人物に成長しました。

 大阪さん:出会ったのは多分僕が一番遅いのかな。20歳前ぐらい。僕の印象はものすごく真面目な男。アウトローにならない感じでしたけれど、なっちゃった(笑)。あと、いろいろ頼むと何でも出てくるみたいな。「これある?」って聞くと、「はい」みたいに。そんなところはすごく印象に残ってますね。

 高島さん:廣石君は、先頭に立って、さあ行くぜって引っ張るタイプではないけれども、ドラムの立ち位置のように、一歩下がったところで、俯瞰のように、物事を見ていた人。言葉に重みがあるというか、説得力があるというか、大事なところを見てるなと、そんな気がしました。あとは孝夫(大島さん)のことを結構いじって(笑)、2人のやりとりが面白かったですね。

 大島さん:メンバーの血液型の話題がよく出るんですけど、AB型2人、O型2人で、僕はA型なんですけど、あとA型が廣石だったんですよ。なのでA型は一人ぼっちになってしまいました。すごくチャーミングなやつで。こういうことになってしまってから、みんなで写真出し合ったんですけど、なぜか廣石の写真が一番多いんですよね。集合写真じゃなくて廣石だけの写真が多いんですよ。カメラを向けるとちゃんと向いてくれるっていう。みんな言ったように寡黙なんだけど、ポソッと面白いことを言う、チャーミングな人でしたね。

 西原さん:飲み会とか、いつもなぜか廣石が隣にいました、俺が近くに行っていたかもしれない。あいつといると気が楽になるっていうか。慰め合ってたんじゃないか、と(笑)。一緒にいると安心できるやつでした。

 杉山さん:最初出会った頃は「きゅうてぃぱんちょす」という僕らが最初組んだバンドでパーカッションだったんですよね。パーカッションとして、新しい小物をいろいろ持ってたり、必要なものは必ず身の回りに置いてある。いつも赤いリュックなんですよ。それに何でも入ってるんです。「あれ、ないかな?」と聞くと、「あるよ」って出してきて。新しいものに敏感で、メンバーの中で一番早くウォークマンを持っていたかな。そんなドラマーのイメージとはかけ離れた男でした。

 ◇ゲリラ豪雨になったら「廣石のせい」?

 --老朽化のため2025年10月から休館予定の日比谷野音が会場になります。会場への思いは?

 高島さん:一番の思い出は、2018年に久しぶりにみんなでオメガトライブをやったときの映像商品のジャケットを会場の客席で全員でそろって撮ったんです。それが一番グッときましたね。

 大阪さん:やっぱりあそこでオメガトライブをやったっていうのは、すごく覚えてますね。必ず何かの区切りというか、けじめみたいな時に日比谷野音が出てくる。要所要所ですごく覚えている会場は日比谷野音ですね。

 吉田さん:真夏の野音っていうと、杉山君のソロのコンサートに何回か行かせてもらったんですけど、雷雨がたまにあったんですよ。ゲリラ豪雨で、みんなで地下の駐車場に逃げたこともあったんです。カウントのときに曇っていて、ワン、ツー、スリー、フォー、ザーッて降ったこともあった(笑)。今回はそうならないことを願うね。

 杉山さん:なったら廣石のせいかな(笑)。アクシデントなんて気にしたら野外ライブはできないですからね。大都会のど真ん中にあれだけグリーンがあって、あれだけ音が出せるっていうのは他にないですよ。僕は1996年から毎年欠かさず日比谷野音をやらせてもらっていて。それが今回、一つの区切りということで、まさか自分の中でも日比谷野音でオメガトライブをもう一回できると思わなかったし、廣石を見送るタイミングで、日比谷野音が終わるというのも、何かタイミングが合ったというか、不思議な縁を感じますね。ですから、楽しんで終わらせたいと思います。

 --視聴者に向けてメッセージを。

 西原さん:今回は廣石のこともあってチケットが取れない方が今たくさんいらっしゃったようですので、生中継で楽しんでもらえれば。頑張って演奏して、画面にアピールしていきます。

 大島さん:(廣石さんにも視聴者に向けても)みんな見ててね!

 高島さん:廣石って霊感の強いところがあったんですね。ひょっとしたらどこかに映るかもしれないなあ。謎の音が入ってるかもしれないね。お楽しみに。

 大阪さん:ちゃんとやります。まあ、あんまり肩肘張らずに、見てくれる人も楽しんでくれればいいかなって思います。

 吉田さん:リアルタイムに皆さんに見ていただけるのは、本当にありがたいことで、うちらの廣石愛を一緒に感じてもらえれば。

 杉山さん:本当にこういう形でオメガトライブでライブ、しかも日比谷野音でやって、WOWOWで中継を入れてもらえるっていうのは、バンドやってきててよかったなと。1人も欠けないで、ずっと一緒にやっていくのが一番理想なんですけども、欠けてしまったからには、これを形に残せて、皆さんの記憶に残せるのはすごくいいと思います。目いっぱい楽しんでいただきたいと思います。

写真を見る全 7 枚

芸能 最新記事