黒川文雄のサブカル黙示録:「もうければ良し」の風潮に危機感

 前回は東京ゲームショウの話でしたが、その直前にもゲーム開発者会議「CEDEC」が開かれ、新興のパブリッシャー(コンテンツ配信会社)などによるセミナーが開催されました。大半のセミナーの概略をネット上で見ることができますが、そこで気になることがありました。

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 CEDECのセミナーでは、ソーシャルゲームの成長を反映してか「いかに集客し、いかにもうけるか」という考えが前面に打ち出されたものが多かったように思います。もちろんビジネスですから利益を追求することも大事でしょう。むしろ、パッケージゲームの開発者には新興会社の試みには賛同できる部分も多かったのではないでしょうか。

 ですが、今回強く感じたのは、あまりにもカネの話ばかりが取りざたされ、もうければ良しという風潮がまかり通っていることです。その手法がこうした開発者の集まりで“正当化”されて、広がりつつあることは、非常に懸念しています。もちろん、払う人がそれ相応の意識や判断基準を持った人ならば、「オトナの良識の範疇(はんちゅう)」として否定するものではありませんが、現状はそうなっているでしょうか?

 利益をクローズアップし、パブリッシャーがこぞってそこに注力したものばかりを提供するようになったとき、健全に市場が伸びるかは疑問が残ります。だれしも現在の市場を壊すつもりでやっているとは思えませんが、結果として枯れていくのではないか……と考えるのは、僕だけではないと思います。

 長年、宣伝や市場調査を生業(なりわい)にしてきた僕の持論は、宣伝とはコップに水を満たしていく地道な作業の繰り返しです。コップがいっぱいになって、水がこぼれるほどになって初めて一般に認知されていくものだと思います。従来のパッケージゲーム系ビジネスと、ダウンロード型の配信系ゲームビジネスの成長の差はそこにあります。後者はまだ成熟の過程にあります。

 無料のネット事業を収益につなげる「マネタイズ」という言葉でひとくくりにされているようですが、「顧客からいくら課金してもらった」「エンタメ性やゲーム性うんぬんよりも課金するための仕組みが必要」などの声がはばかることなく聞こえてくるのは、テレビゲームの初期から市場を作り上げた一員からすれば、気持ちのいいものではありません。

 「金もうけの何が悪い」といわれそうですが、ユーザーから取れるだけ絞り取って、過剰な収益を得る方法が正当化されるのであれば、ソーシャルゲームの「ゲーム市場を広げたい」という“大義”も怪しいといわれても仕方ないのではないでしょうか。

 ◇著者プロフィル

 くろかわ・ふみお 1960年、東京都生まれ。音楽ビジネス、映画・映像ビジネス、ゲームソフトビジネス、オンラインコンテンツ、そしてカードゲームビジネスなどエンターテインメントビジネスとコンテンツの表と裏を知りつくすメディアコンテンツ研究家。ブログ「黒川文雄の『帰ってきた!大江戸デジタル走査線』」(http://blog.livedoor.jp/kurokawa_fumio/)も更新中。

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