肺炎による心不全のため10日に死去した女優の森光子さんのおいで森さんの所属事務所「オフィス・モリ」社長の柳田敏朗さんが15日、東京・日比谷の帝国ホテルで会見を開き、「放浪記」復帰を強く希望していたという森さんの入院生活や、森さんが亡くなったときの様子、親族や事務所のスタッフ数人で送ったという密葬の様子などを語った。お別れ会などの開催は未定。
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森さんは2010年の5~6月の舞台「放浪記」を降板した後、栄養管理や検査のために入退院を繰り返し、今年9月に大事をとって入院。体重は40キロから35キロへと減ったが、本人はいたって元気だったという。入院中も運動したり、一人芝居でせりふを言うなど「放浪記」への復帰を強く希望し、病室へも台本を持ち込んでいた。
しかし、柳田さんが10日に病院から連絡を受けて病院に駆けつけていたときには息を引き取った後だった。森さんは亡くなった当日も周囲と談笑していたが、周囲にいた人によると「少し疲れている感じはしたが、急に悪くなるようには思わなかった」という。森さんは眠るように自然に息を引き取ったといい、亡くなったときの森さんの顔は穏やかで「顔色もつやつやとして、亡くなったふうには思えない。眠ったような顔」だったという。
密葬にした理由について柳田さんは、「放浪記の降板で周りやお客さんに迷惑をかけた。(葬儀も)私事だと思うので、いろんな人を煩わせたくない」という本人の遺志を尊重したといい「親族としても、(森さんは)女優の仕事をずっとしてきたので、葬儀は個人に戻らせて静かに見送りたいという思いがあった」と明かした。密葬は親族と事務所のスタッフ十二、三人で行い、ひつぎにはハギの花の模様の着物を遺体に掛け、「放浪記」のポスターと台本、「雪まろげ」「新春人生革命」の台本を入れたという。
柳田さんは「(森さんは)仕事をし続けていたので、僕はおいだけれど(所属事務所の社長という立場の)僕に対しても家族の付き合い方ができなかったと思う。ある日、涙ながらにありがとうありがとうと手を握ってくれたのを覚えている。家族に対して、個人的な付き合いができなかった思いがあふれたんだと思う」と語った。柳田さんが最後に森さんに会ったのは亡くなる前日の9日で、「じゃあね」と言って手を握ってくれたのが最後だったという。
森さんは1920年京都市生まれ。「放浪記」や「時間ですよ」シリーズ(TBS系)、ワイドショー「3時のあなた」(フジテレビ系)の司会など舞台やテレビで活躍。84年に紫綬褒章、91年に毎日芸術賞、98年に文化功労者、05年に文化勲章、09年に国民栄誉賞を受賞した。今月10日、肺炎による心不全のため、東京都内の病院で亡くなった。92歳だった。葬儀は14日、家族だけで密葬が営まれた。(毎日新聞デジタル)