Hi−STANDARD:活動休止の真相と11年ぶりのバンド復活劇を3人が改めて振り返る

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 自主企画音楽イベント「AIR JAM」で2011年に11年ぶりに活動を再開した3人組パンクロックバンド、Hi-STANDARD(ハイスタンダード、通称ハイスタ)が、ライブDVD「Live at TOHOKU AIR JAM 2012」を11日にリリースした。11年に横浜で開催した「AIR JAM」の舞台を、12年9月、宮城県に移して臨んだ2日間公演のライブ映像が収録されており、東日本大震災をきっかけに再始動を果たしたハイスタの東北復興への思いが込められたステージになっている。「復興への意識を風化させないために、続けることが大事」と語るメンバーに、00年の活動休止の真相やバンドの復活劇などについて聞いた。(水白京/毎日新聞デジタル)

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 −−99年に独立させた自身のレーベル“PIZZA OF DEATH”の名前の由来は?

 横山健さん:20代前半のとき、みんなアルバイトをしながらバンドをやってたんですけど、僕はピザ屋でバイトをしてたんです。それで、バンドでステッカーを作ろうということになって、当時はパソコンも普及してなかったので、全部手書きで絵を描いたんですけど、僕はピザ屋さんで働いているがゆえに、ピザに毒を盛られて死んじゃった人の絵を描いて、“PIZZA OF DEATH”って(文字を)書いてみたんですよ。それがそのままレーベル名になりました(笑い)。

 −−その翌年の「AIR JAM」以後は、横山さんが精神的な調子を崩したことからバンド活動を休止していたんですよね。

 難波章浩さん:健くんはレーベルの社長もやってたんで、いろいろ突っ走ってきたものが00年に一気に(病気という形で)きちゃったんだと思います。

 恒岡章さん:レーベルを立ち上げて、それまでしたこともないようなことをやったりとか、いろんなところで負担のバランスや勝手がどうしても違ってきてしまって、それで(メンバー間の)すれ違い的なものもあったということだと思います。

 −−それが、11年の東日本大震災を機に11年ぶりに活動を始めようと決意して、横山さんと難波さんはその2週間後に2人のツーショット写真をツイッターに掲載したそうですね。

 横山さん:自分たちもいろんな痛みや大きな挫折を経験したけど、そこからはい上がる姿をみんなに見てもらって「一緒にはい上がっていこうじゃねえか」って。なにしろ不仲だと思われてたし、Hi−STANDARDを好きな人の間でも、Hi−STANDARDについて語ることが半ばタブー化していたので、「うわあ、横山と難波が2人で写真に写ってスゲエ!」ってみんな喜んでましたね。

 難波さん:建設的な話ができて、最終的には「東北のファンに光を与えられるようなことをやりたいね」って。

 恒岡さん:僕は活動休止中の11年間、どちらかというと難ちゃん(難波さん)と連絡を取るほうが多かったんですけど、健くん(横山さん)とも連絡を取って自分の思いを話したり、中立的にいようと心がけていた部分はあって。でも(2人の写真を)見た瞬間に嫉妬心のほうが先に生まれて(笑い)。いわゆる“不仲”だったことも知っていたので「よかったね」っていう感情ももちろん芽生えたし、それがジェラシーとゴチャゴチャになって……。でもその日に2人に「どんな話したの?」みたいな感じで電話して、その後3人で会ったんです。

 −−そして11年に横浜、12年は東北で「AIR JAM」が実現しましたね。それぞれステージに立ったときの気持ちはどうでしたか?

 横山さん:11年は、やっぱり僕らは11年間止まってて、でも求めてくれていたお客さんがいて……。日本をなんとか元気にしたいっていう大義名分を背負ってステージに立ったはいいけど「やるのは音楽だろ、一番大切なことを忘れてたじゃねえか」みたいなことに1音出した瞬間に気づいてしまって。まだ完全にHi−STANDARDに戻り切れてなかったんですね。それだけ肩に力が入っちゃったライブでした。そういう苦い経験をしたので、12年は逆にものすごくリラックスしていい状態でできましたね。

 難波さん:僕も11年は、ハイスタの復活をみんなが注目してくれて、そのプレッシャーに耐えられるか分からないぐらいの状態で今にもブッ倒れそうでした。でもそういう経験をしたから自信もわいて、12年は新しいチャレンジもできたし。都市型イベントとしてやっていた「AIR JAM」を郊外に持ってきたのも、2Daysやったのも初めてだったし、あとチケットの発券方法が特殊だったんですね。登録制で顔写真を付けて転売できないようにしたり。いろんなチャレンジがあって、そういう意味でも楽しかったです。

 −−13年の「AIR JAM」を期待している人も多いと思いますが、今年の開催予定や今後の活動は?

 難波さん:「AIR JAM」は今年はお休みして、地固めというか。ステージで「Keep Going!」=「続けろ」ってよく言ってるんですけど、今は続けるために準備することが必要なんですよ。

 横山さん:「AIR JAM」を11、12年とやって、たった3日間のライブだったけど、ものすごくエネルギーが必要だったんで、今年はクールダウンする必要があったんです。ルーティンになってもよくないし。今回、震災をきっかけに僕らはバンドとしてチャンスを与えられたから、それを無駄にしたくないし、それがアルバムやライブ、次の「AIR JAM」にもつながるんだと思います。

 恒岡さん:バンドとしては動いているので、期待してくださいとまでは言わないけれど、頑張ってますよっていうか、「Hi−STANDARDをまた新しく楽しんでます」っていうところですね。

 <プロフィル>

 メンバーは、難波章浩さん(ボーカル&ベース)、横山健さん(ギター&ボーカル)、恒岡章さん(ドラム&コーラス)。1991年に結成、94年にミニアルバム「LAST OF SUNNY DAY」でデビュー。2007年に初の「AIR JAM」を開催。00年に活動を休止するが、11年に横浜の「AIR JAM」で復活。難波さんが初めてハマッたポップカルチャーは、小学館のマンガ誌「コロコロコミック」。難波さんは「小学4、5年ぐらいかな。(当時連載していた)『ゲームセンターあらし』とかが好きでした」と話した。

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