最近テレビやCMでちょくちょく見かけるけれど、実はあんまりよく知らない……。そんな、今さら聞けない“ネクストブレーク芸人”の基礎知識を、本人の言葉を交えて紹介。今回はお笑いコンビ「バンビーノ」をピックアップする。「キングオブコント2014」の決勝戦進出を果たし、「ダンソン!」と発しながら踊るネタ「ダンスィングフィッソン族(ダンソン)」が、インターネットを中心に大ヒット。動画共有サイト「YouTube」には、中高生が激しいダンスを再現したネタ動画が多数投稿され、現在「ラッスンゴレライ」でブレーク中の「8.6秒バズーカー」ともコラボするなど、知名度が急上昇している。バンビーノの2人に、コンビ名の由来、ブレークのきっかけ、今後の活動や最近の悩みについて聞いた。
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藤田裕樹さん(1985年7月30日生まれ、大阪府出身。趣味は料理。特にイタリア料理、特技は出張料理)と、石山大輔さん(1984年12月10日生まれ、愛媛県出身。趣味はサッカー、特技はリフティング・服のリメーク・ポルトガル語クイズ)のお笑いコンビで、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属の養成所「NSC大阪校」の30期生として出会って2008年に結成し、ことし芸歴8年目。
ブレークのきっかけとなった「ダンソン」は、歌と踊りで獲物を捕る謎の部族“ダンスィングフィッソン族”の生活を描いたコント。石山さんが演じるダンスィングフィッソン族が、「ダンソン!フィーザキー、ドゥーザディーサーザ、コンサ!」と激しく踊って、藤田さんが演じる「カチョーサン」「センム」などと呼ばれる獲物を呼び寄せ、「ニーブラ!」と叫んで仕止めていく……という展開。
キングオブコントでテレビ初披露されてから、インターネットで人気に火が付き、今年に入ってからは、テレビなどのメディア露出が急増。8.6秒バズーカーをはじめとする大阪のよしもとお笑い芸人が集結し、東京・赤坂の草月ホールで行われる「大阪よしもと漫才博覧会」(11~13日開催)にも出演が決定。31日には念願の初単独DVD「バンビーノ #ダンソン」の発売も控えている。
藤田さんは、高校生のころに文化祭で友人と漫才を披露し、お笑いの魅力を感じたものの、卒業時には「漫才師になるという現実味がなかった」ため、もうひとつの夢だった調理師専門学校へ進学。しかし、お笑いの夢をあきらめきれずに、NSCの門をたたいた。一方の石山さんは、大学で教員免許を取ろうとしていたが、教育実習の直前で単身ブラジルに留学、帰国すると「(ほかの同級生は)みんな就職活動が終わっている感じで、とりあえず、実家に帰りたくなかったんで、専門学校に入ろうと思った」という。NSCを選んだのは一番学費が安い専門校だったからだといい、「1年やって、周り見て、無理だと思ったら辞めよう。お笑いやろうっていうのはなかったですね」という。
NSCで同じクラスになった藤田さんが石山さんに声をかけてコンビ結成。「こっち(自分)がのっぺりしているんで、とりあえず、ハンサムな奴を探してて、まあまあかっこええなと思った」という藤田さんに対し、石山さんは「ピン芸人でやろうとしていたんですが、クラスで初めて声をかけてきたから、やってみようかな、と思った」。初めは漫才だったが、2人ともボケ志望で「関西の人はつっこみが全員できると思っていたら、(藤田さんが)できなかった」(石山さん)ため、コント寄りの芸風となった。
コンビ名は、調理師学校に通っていた藤田さんが当時好きで、連続ドラマ化もされた人気料理マンガ「バンビ~ノ!」から取った。石山さんは「ほんまは嫌やったけれど、『何でもいいよ』って言ってしまった分否定できなくて」と苦笑するが、「周りの人が『いいやん』って言ってくれた。『バンビーノ』ってイタリア語で子供とか、ガキンチョっていう意味なんだよね。イメージは合ってるかな」と、今は納得。藤田さんは「大人になってもガキンチョでいようぜって意味もあります!」と、コンビ名に自信を持っている。
芸人人生のなかで、コンビ解散の危機を聞くと、「いやもう、危機なんてずっとです」「ギリギリです」と口をそろえて言う2人。運良くデビュー1年目でテレビ出演を果たし、石山さんは「とりあえず芸人やってみて、ダメだったら辞めようと思ってたら、芸人発掘番組で引っかかって、もしかしたら才能あるんちゃうかなと勘違いした」と言い、その頃に「リズムのあるネタが見たい」というテレビ局からのオファーで、今のようなリズムネタの原型を作り始めたが、「人の意見を聞きすぎ」という石山さんと「これは聞いといた方がいい」という藤田さんで衝突が多くなり「ケンカ、ケンカで2年目、3年目が地獄だった」(石山さん)という。
さらに「デビュー2年目で、大阪用のキレッキレのお笑いネタを作りながら、テレビ用に普通の設定の、しかもちょっとリズムを付けたネタを1年くらい作って、やっと仕上がって、さあ出演というところで、テレビ番組が終わってしまった」(石山さん)。テレビの厳しさを目の当たりにし、2014年のキングオブコントで決勝に行かなかったら辞めると決意していたという。
「ダンソン」のブレークで取材もテレビ出演も増えたが、石山さんは、解散危機続出の期間があったからこそ「テレビで盛り上がっても浮かれない。今の芸歴なら(ブレークを)ラッキーと思って、うまく乗れる!」と笑顔で語り、藤田さんも「(テレビ出演が多かった)2年目じゃできなかった言い方とかが上手になった。言われることが分かってきた」とうなずく。2人の目標は「最終的に舞台で食っていく」こと。石山さんは「100人おって、100人が笑う奴は、僕は面白いと思っていないから。分かられる方が怖い。そこからぶれすぎたときはやらないという選択権ができた」と力を込め、夢は「ダンソンの海外進出」と掲げた。
ライバルだと思う芸人を聞くと「ハチロク(8.6秒バズーカー)とクマムシです!」と、笑いながらも同じくリズムネタでブレーク中の2組を即答する2人だが、1年たたずに大ブレークした事務所の後輩であるハチロクに関しては、先輩としての思いが強い。同じ人気のリズムネタとして共演も多く、石山さんは「文句も言わんとあれだけやってる。『しんどいです』って言いながらも真面目。俺らだったらこれだけじゃないって反発してる。今だから『ダンソン』も頑張ってやっているけれど、(同じ状況なら)絶対断ってた」と感心。さらに「はまやねんに『今何ほしい?』って聞いたら、『休みがほしい』って(笑い)。1年目でよう言われへん、それくらいやってるんや、こいつら……」と、多忙なハチロクを心配している。
ハチロクに言いたいことを聞くと、藤田さんは「いや、今頑張れ、今頑張れ。経験で(アドバイスが)言えないんで、それしかない。説得力のあることが言えるのはオリラジさんとか藤崎マーケットさんとかくらいでしょ。誰もやっていないから」と言い、石山さんも「こういうのって誰もができる経験じゃないから。いけいけ、いけるところまでいっとけ! って(言いたい)。世間は対決させたがってるけれど、僕らはハチロクを応援したい」と語っていた。