歌手の平井堅さんが、通算38枚目のシングル「君の鼓動は君にしか鳴らせない」を5日にリリースした。デビュー20周年の幕開けを飾る記念すべき作品で、表題曲は唐沢寿明さん主演の連続ドラマ「ナポレオンの村」(TBS系)の主題歌としても知られるミディアムバラードだ。今作でアニバーサリーイヤーをスタートさせた平井さんに、20周年を迎えた心境などについて聞いた。
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――この20年間を振り返って感じることは?
まさに歌手として成人を迎えたわけですが、それ(歌手デビュー)以前の23年間は、デビューまでもすごく順調だったし、そんなに挫折もなくやってこれた気がしていて……。デビューからの20年間の方が、挫折も味わえたし、やっと人生勉強ができたというか、人としての出会いや接し方、悲喜こもごもを学べた気がしてます。
――デビューからの5年間は、ご自身でも「不遇の時代」とおっしゃっていますが、実際にはどんな5年間でしたか。
もちろん結果が伴わないというショックはありましたが、むしろ今より気楽だったし、若かったし、なるようになれっていう感じだった気がします。すごく刹那(せつな)主義なので、先のことや過去のことをまったく考えないし、今でもそうなんです。なので、クビになったらその時にまた考えればいいかなって。
でも、とても必要な5年間だったなと思います。ホントに何の挫折もなく、大学を卒業して、作詞も作曲もしたことないのに、全曲自作のアルバムを作ってデビューして……。それはいまだにコンプレックスでもあるんですが、そんなふうにして知識もないのにデビューして、パーンッて売れていたら、今でも怖いけど、もっと怖いことになってただろうなって。そこで「そんなにうまくはいかないんだな」「エンターテインメントって何だろう、売れるって何だろう」って5年間考えたことが、とてもいい肥やしになったんだろうなと思います。
――デビューが決まるまでは作詞・作曲をしたことがなかったんですか。
歌手になりたいっていうのでオーディションを受けたので、シンガー・ソングライターでデビューするなんて思ってもみなかったんですね。それこそデビューが決まったら、「筒美京平先生に書いていただけるのかな」「松本隆さんに書いてもらえたらどうしよう」とか、そんなことばっかり考えてたんです。歌手になることが夢だったので、(自分で作詞・作曲をすることは)本当に不測の事態というか(笑い)。「自分で書いてみろ」って言われて頑張って書いたんです。
――それは意外ですね。
「毎週、とにかく日記を持ってきなさい」「ボイスレコーダーに、ラララでも5秒でもいいから、思いついたメロディーを吹き込んできなさい」ってプロデューサーに言われて、それを1年続けたんですね。そうしたら、なんかアルバム1枚分の曲ができちゃったんですよ。それでシンガー・ソングライターとしてデビューしたんですが、その時は「できたー!」っていう喜びというか、23歳、若気の至りもあり、「やったー!」みたいな感じでした。
――デビューから5年後の2000年、8枚目のシングル「楽園」がヒットした時の気持ちは?
取り囲む環境がガラッと変わって、目まぐるしく変わっていく渦の真ん中にいたので、ぐるぐる変わっていく様がなんか他人事(ひとごと)みたいで面白かったです。その様子を「変なもんだなあ」と思いながらぼんやり眺めていた感じですね。うれしかったんですけど、(おだてられたからといって)あんまり木には登れなかったというか……。自分が有名になるとかっていうことを全然想像してなかったんですね。歌手になることで、“自分の知らない人がみんな自分のことを知っている”といういびつな世界に行く可能性があること、そういう世界に足を踏み入れたっていうことに全く自覚がなかったんです。だから、「ああ、引き返せない列車に乗っちゃったんだな」っていう恐怖心みたいなものは当時はありました。今はもうあれから15年もたったし、吹っ切れたというかマヒしたというか、別に全然平気ですけどね。
――これまで、さまざまなタイプの楽曲を歌ってきた平井さんですが、それはシンガー・ソングライターというより、やはり歌手としての意識や挑戦という意味もあるんですか。
そうですね。やっぱり、どんどん新しいことをやりたいし、自分が自分に飽きたくないっていう。僕もリスナーとしてとても飽き性なんで、世間もきっとそうだと思うし……。平井堅というコンテンツに対して、世間なんてめちゃくちゃ厳しいと思っているので、どんどん新しい側面を出していかないと、すぐそっぽを向かれちゃうっていう恐怖心があるんです。
僕が自分で詞や曲を手がけてない「楽園」という曲でブレークしたっていうのもあるかもしれないけれど、別にそういうことだけでもなく、自分が書いてなくてもいい歌はたくさんあるわけで、それを歌わないのはもったいないなって。僕が声を出せば「平井堅」になるし、あくまで(自分は)スピーカーだと思ってるから、いろんな才能ある方の力を借りた方が絶対に面白いものになると思うんです。年齢を重ねるとどんどん守りに入っちゃうと思うんですけど、やっぱりまだまだ伸びしろがあるって思いたいし、年を取ったなりに挑戦はしていきたいっていうのはありますね。
<プロフィル>
1972年1月17日、大阪府生まれ、三重県育ち。95年にシングル「Precious Junk」でデビュー。2000年にリリースした8枚目のシングル「楽園」でブレークを果たす。平井さんが初めてハマッたポップカルチャーは、マンガの「タッチ」。「小学校の時にドハマリしました。(原作の)あだち充さんはすごく好きで、お手紙も書きました。返事は来なかったんですけど(笑い)。もう、とにかく好きで、全部読んでいます。『タッチ』はバイブルです」と話した。9月からデビュー20周年を記念した全国ツアーを開催予定。
(インタビュー・文・撮影/水白京)