しわ:イグナシオ・フェレーラス監督に聞く アニメで老いを扱う「登場人物をどう描くかに集中」

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 スペインのアカデミー賞と呼ばれるゴヤ賞で最優秀アニメーション賞、最優秀脚本賞を受賞した劇場版アニメ「しわ」が22日に公開された。スペインのマンガ家パコ・ロカさんが描いた「皺」(第15回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞)を長編アニメーション化した今作は、養護老人ホームで暮らす男を主人公に「認知症」や「老後」という重いテーマを、手描きアニメーションの手法で温かく、コミカルに描く。イグナシオ・フェレーラス監督に、映画化の経緯や表現方法、高齢者問題などに対する考え方などについて聞いた。(遠藤政樹/毎日新聞デジタル)

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 「原作のコミックを読んでいなかったところ、プロデューサーから(コミックが)送られてきました。まず私が一番関心を持ったのは、すべてのストーリーを通して、一つのストーリーボードを作ること、絵コンテを作ることでした」とフェレーラス監督は原作との出合いについて語る。続けて、「コミックを読んだときに、普通のコミックではなかなか扱われないようなストーリーだなと思いました。その扱い方も非常にうまく、いろいろなものがコンビネーションされていると感じました。原作者のパコ・ロカ氏と話したところ、実は、パコ・ロカ氏はこれの前に老人施設で6カ月以上観察し、多くの話を聞いて、その話をマンガで再現したということでした。だから、いろいろリアルなんだなと感じたのだと思います」と原作を最初に読んだときの感想を語る。

 老いや認知症といった、ともすれば誰もが目を背けたくなる、それでいて避けて通ることはできない重いテーマを扱うことについて、フェレーラス監督は「私がしたのは、その反対のことといえるかもしれません。特別なテーマとして扱うのではなくて、登場人物をどう描写するのかということに集中しました。つまり、他のさまざまな状況と同じように、そういう状況を今、生きている、こういう経験をしている人たちというのをどう描くか。例えば喜劇とかサスペンスとかさまざまなジャンルがありますが、それと同じように一つのジャンルとしてストーリーをどのように登場人物に語らせるか。何も特別なこととはとらえずに、そのように登場人物を作ることに集中しました」と他の作品と同じように作業に没頭したという。

 続けて「もし自分がこの登場人物だったら、こういうシチュエーションでどういうことを感じて、どういうことを言うのか。どういう体験をするのか、ということを考えました。老いることは今の自分とまったく変わってしまうということではない、という考えの元に作っていました。つまり、今感じている気持ちというのは、年を取ってからも同じような感情を持ち続けていると思うのです」と製作当時の思いを語る。

 映画では現在進行形のシーンと、登場人物による回想シーンが入り交じる演出が印象的だが、「記憶というかフラッシュバックと夢のような想像の世界のシーンが、現在進行形のシーンに織り込まれているのは、アニメーションが得意とする分野。シーンが変わっていく移行の部分が、アニメーションでは非常にやりやすいと思います。原作を読んだときに、こういう移行ができるストーリーであることも、アニメの可能性として魅力の一つでした。今敏監督の作品にもこういった手法がよく使われており、影響を受けていると思います」とフェレーラス監督は語る。

 さらに映像化に際して、原作のエピソードの選別については「映画化するにあたって、エピソード的にもストーリー的にもかなりカットした部分と付け加えた部分があります。ストーリーボード、絵コンテを作ったり、またそれを動かしてみて、スロー過ぎるとか混乱するとか、反復しているとか、そういったことで、直感的にカットしたり付け加えたりしました。一つの基準としていえるのは、映画ではミゲル、アントニア、エミリオという主人公の3人に集中して紹介し、それ以外はカットする傾向にあったと思います」と原作を精査した経緯を説明した。

 登場人物の中でも狂言回し的な役割を担い、さまざまな事件に関わってくるミゲル。彼の心の動きや変化ついては、「映画では本来、そういう気持ちの変化というのが1年以上かかって、たくさんの出来事が起きたり、いろいろ考えたりしてなされるものですが、映画では凝縮され短い間にそれが起きるようになっています。例えばミゲルはエミリオと同室になって、その影響で変わった部分もあると思います。最終的にミゲルの心境または考え方、人となりというのを変えたのは、おそらく彼自身が今まで正面から見つめようとしてこなかった老いという問題などに正面から立ち向かおうとしたときだと思います。あまり私は映画のことをバラしたくはないですが(笑い)、特にエミリオが自分の物を隠していたというのをミゲルが見つけるというシーンがあり、そこでミゲルがエミリオの視点から自分の姿というものを理解したのです。つまり、ある人物が自分が自分のことを思う姿ではなく、他者の視点からその人物がどのように見えているのかというのを認識する、全然違う人物像だということを認識する瞬間が、彼の変化のきっかけ、原因だったのではと思います」とネタバレにならない程度に物語を読み解く。

 さらに「ラストシーンの内容は原作マンガの通り。原作でもエピローグとして使われていて、とある人物とのやりとりの結果、ミゲルの変化も表していて、何か役に立つものをあげることによって、ミゲル自身も今度は問題を解決するよう、役立っていると思います。もしかしたら、自分にとってはまったく意味のないような小さなことであっても、他の人にとっては十分意味のある行為であるといえるかもしれません」と、物語の最後に隠されたメッセージを明かした。

 印象的なエンディングの歌については「音響担当者が背景音を録音するためにスペインの老人施設へ行き、実際の施設の音を収録しました。施設に、たしか101歳で目も見えなくて耳も聴こえなくて動けない状態になっていたのですが、ずっと歌を歌っている高齢の女性がいて、その人の歌を録音させてもらいました。歌は彼女が適当に作って歌っているものなので、名前と両親の名前、生まれた場所とか自分のことをいろいろ言っていますが、とても情緒的なので映画の中でも使おうと思っていたのです。でもうまくハマる場所がなく、エンディングで使ってみようと思いました」とこだわりの一端を語った。

 今作は海外の優れたアニメーションを紹介する「ジブリ美術館ライブラリー作品」として国内配給されるが、そのきっかけとなったのは、フェレーラス監督が高畑勲監督の大ファンで高畑監督に見てもらうために、日本語字幕版を製作し送ったことだったという。高畑監督のためだけに日本語字幕を付けたという逸話の真偽をフェレーラス監督にたずねると、「私はそう思っています。私がプロデューサーに相談したのは、高畑監督に送りたいということ。もちろん、送るためには日本語字幕を付けなければなりません。それはプロデューサーはOKしてくれて付けてもらったのですが、もしかしたらプロデューサーは他の意図があったのかもしれません(笑い)」とユーモアを交えつつ肯定した。

 老いるという人間にとっては永遠のテーマを描く作品だが、作品へ込めた思いなどを聞くと、「映画の意図は見た人に考えてもらうことにあります。高齢者問題を考えるとき、我々は今の高齢者のこととしてしか考えず、自分たちもいずれ高齢者になること考えません。ですが、時間というのはすぐにたち、すぐに私たちも高齢者になる。自分たちが高齢になったときというつもりで、いろいろ考えるべきだと思います。例えば、今高齢者の扱われ方を私たちが良くないと思うなら、私たちの将来のためにもそれをみんなで変えていく必要があると思います」と作品への熱い思いを語る。

 そして、「あるとき友人が『こういう問題は自分たちが年取ったときはもう年寄りだからなんでも構わないよ』というコメントをしました。けれども、私はそうではないと思います。年を取っても、年を取ったから構わないと思えなくて、今と同じ感情を持ち続けると思います。だから、そういう年取ってるからなんでも構わないというのは現実に向き合っていないというか、しっかりと現実を見ようとしていないことなので、そういう立場ではなくて、今、若いときに気付いたことは若い人が変えられるものですから、変えられるものは変えらるように現実を正面からとらえるべきだと思います」と持論を展開した。

 映画は、「三鷹の森ジブリ美術館」配給で1時間29分の作品。新宿バルト9(東京都新宿区)ほか全国で順次公開中。

 <プロフィル>

 アニメーター、映画監督。1972年アルゼンチンで生まれるが、すぐにスペインに帰国。幼少のころからテレビで日本のアニメーションに夢中になりアニメーターを志す。チャンネル4の短編「How to Cope with Death」(02年)で初監督を務め、03年、アヌシー国際アニメーション映画祭の短編映画部門の初監督賞を受賞。「Asterix and the Vikings」(04年)に絵コンテ担当として参加したほか、オムニバス作品「東京オンリーピック」(08年)の「早打ち携帯−1000文字級−(1000 Characters SMSing)」では監督とアニメーションを担当。また、シルバン・ショメ監督の「イリュージョニスト」(10年)にはアニメーターとして参加している。現在、デンマークのアニメーションワークショップで教えている。

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