今年1月16日に亡くなった音楽プロデューサーの佐久間正英さん。最後の曲となった「Last Days」(アルバム「SAKUMA DROPS」収録)に、ボーカル&ギターで参加した元「JUDY AND MARY」のTAKUYAさんは、佐久間さんについて「有能な職人であり、芸術家で、大切な友人でもあった」と語った。プロデューサー佐久間正英さんの素顔とは?
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−−TAKUYAさんが佐久間さんと初めてお仕事をしたのはJUDY AND MARYのときですよね。
リハーサルスタジオにあいさつがてら寄っていただいたときが初対面でした。メガネかけて、天才っぽい人が来たなって(笑い)。
−−実際、どういうところが天才的でしたか?
なんでも知ってましたよね。どんな質問にも答えられる引き出しを持ってて、何か聞くと、一番いい結果に到達できる最短のルートを示してくれた。“生きているシンクタンク”でした(笑い)。とにかく作業が速くて正確だし、技術力もすごく高くて。そういう人を間近に見て憧れて、僕も彼のようなプロデューサーになりたいと思うようになった。今の自分を構築する上での、大きなきっかけになりました。
−−ほかのプロデューサーとは何が違ったんでしょうか?
特にロックバンドの生音を録音することに関して、素晴らしい人でした。今でも覚えているけど「175R」をプロデュースするとき「今度やるバンドは、歌がすごくいい。だから一発録(ど)りでやろうと思ってる」みたいなことを話してくれて。逆をいうと、歌がいいんだから演奏がヨレても、フレッシュな感じを大事にしたいということなんです。一発録りでオーケーというのは、究極にして最高のレコーディング法なわけですが、それを実際にやるには演奏技術やスタジオの状況などさまざまなハードルがあるから、普通はあまりやろうとはしない。でもその方法を選ぶところが、非常に佐久間さん的だったんじゃないかって思います。
−−佐久間さんは、すごくロックバンドと音楽が好きだったんでしょうね。
うん。でも他人の曲は、あまり聴かなかったですよ(笑い)。僕もそうだけど、自分でいい音楽を作るのが、好きな人なんです。だから研究熱心で、新しいものが出るとすぐ自分のものにしていたし、四六時中楽器の練習もしていて。僕が押さえられないコードを「ほら、できないでしょ!」って言ってきたりとか(笑い)。人生のほとんどの時間を音楽に費やしていたんじゃないかな。
−−佐久間さんとのエピソードで、印象に残ってるものを教えてください。
昨年、僕の誕生日ライブに出てもらって、一緒にJUDY AND MARYの「そばかす」と「イロトリドリノセカイ」を演奏したんだけど、そのときの佐久間さんのギターソロはすごくて、僕なんかじゃ一生かかっても到達できないと思うプレーだった。音楽をやってるとときどき、悪魔に魂でも売らないかぎり、出てこないような曲とかプレーが生まれる瞬間があるんです。あの日の佐久間さんのソロは、完全に悪魔と握手してたんじゃないかってくらいの演奏で、今でも思い出すとゾクゾクする。現場にいた誰もが、あれは本当に鬼気迫っていたっていいます。僕も死ぬ前には、そういう演奏ができたらなって思いました。
−−佐久間さんの最後の曲になった「Last Days」に、TAKUYAさんはボーカルとギターで参加されていますが、佐久間さんからはどんなふうに(オファーの)お話があったんですか?
最初は一昨年の年末くらいにチラッと聞いて。歌ってほしいと言われたのは、昨年一緒にライブをやったときの楽屋でした。最初はカラオケの状態のものを聴かせてもらっていて、本番の直前、12月頭に、うちのスタジオに佐久間さんが来て、佐久間さんのオケに僕がメロディーを乗せたりとか、1時間半くらい2人で作業をしました。で、12月13日にレコーディングの本番を迎えたわけですが……。当日は、やっぱりつらそうでしたね。みんな、会うのはこれが最後かもなって、なんとなく分かっていたと思う。半分以上はソファで横になっていたし。僕も、佐久間さんとの最後のレコーディングをしっかり胸に刻もうと思って臨んでいました。
−−佐久間さんが亡くなったのは、そのおよそ1カ月後の1月16日。本当にギリギリまで作業をされていたわけですが。その生きざまというか、最後まで音楽と一緒にいたいと願った気持ちは、「Last Days」の歌詞にもあふれていますね。
歌詞は、ものすごく響きました。佐久間さんが亡くなる直前に書いた気持ちを、僕はボーカルとして、自分の血肉にしていかないといけないわけで、それはとても不思議な感覚でした。僕自身これから先、何年元気でいられるか分からないし、ある意味で僕にとっての「Last Days」も、きっと生まれた瞬間から始まっているんだなというか……。いろんなことを感じながら歌いました。
−−楽曲は1970年代のUKロックとか、往年のデビッド・ボウイを彷彿(ほうふつ)とさせるもので、もしかすると佐久間さんは、そういう1周回って原点に戻ったものを作りたかったのでしょうか。
デビッド・ボウイは大正解だと思う。ここ数年デビッド・ボウイも往年のレコーディングメンバーで、すごくシンプルな楽器構成でクリエートしていて。佐久間さんも、デビッド・ボウイの「The Next Day」を聴いて「あのアルバムいいよね」ってすごく言っていた。新しい音ってわけじゃなくて、本当にただ70年代の音なんだけど、「それがすごくカッコいい」って。だから、その思いがすごく出ている曲だと思う。曲ができたあと佐久間さんから「すごくカッコいいのができたから、2曲目、3曲目を作りたくなっちゃった」ってメールが来て。「ぜひやりましょうよ」って、返信していたんですけどね……。
−−最後に、佐久間さんが日本の音楽シーンに残したものとは?
80~90年代のロックバンドで、佐久間さんと一度も仕事をしたことのない人はいないんじゃないかって思うくらい、誰かしら、一度は佐久間さんを通ってるわけで、つまりJ−ROCK界を作ったといってもいい。もっというと、それ以前から歌謡曲のアレンジとかもされて、ポップミュージックすべてにおいて影響を及ぼしたといえます。ものすごく有能な職人であり、芸術家でもあった。残したものも大きいけれど、彼がいなくなった穴は、日本の音楽シーンとって本当に大きいと思う。僕にとっては恩師であり、非常に話の合う友人でもありました。あんなに話が合う友だちは、これから先、きっと現れないだろうなって思う。
<プロフィル>
1971年9月9日生まれ、京都市出身。JUDY AND MARYのギタリストとして93年にデビュー、「Over Drive」「ミュージックファイター」などを作曲。並行してROBOTS(ROBO+S)としても活動。2002年からTAKUYA名義でソロ活動を行い、「トキドキココロハアメ デモアメノチカナラズハレ」など作品を発表した。プロデューサーとして活動する一方、昨年はスマホ用ギター教則アプリ「GUITAR DE POP」をリリース。お笑いコンビ「アメリカザリガニ」や元ジュディマリの五十嵐公太さんらとともに「商店街バンド」を結成して活動。
(インタビュー・文・撮影:榑林史章)
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