大工哲弘:伝説の「琉球フェスティバル」から40年 八重山民謡の第一人者に聞く(2)

大工哲弘さん
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大工哲弘さん

 沖縄の音楽が広く知られるきっかけとなった伝説のイベント、1974年の「琉球フェスティバル」から40年。東京に続き、5日には大阪で「琉球フェスティバル2014」が開かれる。第1回に出演した八重山民謡の第一人者、大工哲弘さんのインタビュー後半は、八重山民謡の魅力、そして今も歌い続ける「沖縄を返せ」への思いを聞いた。

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 −−今や沖縄音楽の人気は高く、ジャンルも広がりました。「琉球フェスティバル」も毎年、東京と大阪で開かれ盛況です。

 70年代の当時は、東京、大阪以外の公演は閑散としていて、(プロデュースした)竹中労さんが人をかき集めて客席をなんとか形にしていたぐらい、とにかく沖縄のイベントは集まらない。集めるといっても県人会などに労さんが土下座して集めてました。ましてや県外の人が聴こうという雰囲気はありませんでした。今は隔世の感があります。お盆に名古屋で公演の時、沖縄に帰れない若い人に来てもらおうと、労さんが招待券を何百枚も企業に配ったことがありました。ところが一人も来ない。あとで聞いたら、ホームシックにかかって沖縄に帰ってしまったら困ると、企業は配らなかったんです。そんなこともありました。

 −−竹中労さんと「琉球フェスティバル」が果たした役割は何だと思われますか。

 「出る杭は打たれる」ということで労さんも打たれたと思います。でも、沖縄の人は自分たちの文化を紹介したくても発信しにくいのです。その発信する力を労さんに委ねたところはあると思います。分担作業というか、労さんの力を借りて沖縄の歌を紹介できたらいいよねという信頼感が、僕らにはありました。

 −−八重山民謡には「とぅばらーま」「与那国ションカネー」「月ぬ美(かい)しゃ」(月の美しさ)など、本島の歌とは違った魅力のある歌がありますね。

 八重山民謡の声、力強さは沖縄本島にはないんです。極端にいえば、四畳半の室内と屋外の違いぐらいあります。力だけは持続してほしい、沖縄本島の歌のまねはしないでほしい。最近、同化してきていると思うんです。琉球フェスティバルの復刻版を聴くと、声の力があるんですね。「意味が分からなくても聴け!」という、勢いと根性があるんです。でも今の若い子たちは意味が分かるように、優しく歌ってます。何か軟弱になっていて、それは違うだろうと。やっぱり声の力、大きさではなくて力が大事だと。それと、心の向き方ですね。どこを向いて歌っているのか。どんなに県外に行っても、僕らが向いて歌うのはふるさとですから。本土の人に分かりやすく、小さな声で歌ったりすると、八重山の歌の魅力が損なわれてしまいます。

 −−大工さんは沖縄返還運動で歌われた「沖縄を返せ」を今も歌い続けてます。それはどういう思いからでしょうか?

 1995年に筑紫哲也さんがコーディネーターで、戦後50年のトークイベントが那覇市民会館であったんです。そこで僕は「これは避けて通れない歌だ」と思って歌ったんです。そうしたら、会場が立ち見を入れて2000人でしたが、半分の方が大合唱でした。もう半分は若い人で何の歌か分からなくてボーッとしてるけれど、手をたたいてくれた。沖縄の歴史を知らない子供たちに「ただこういう歴史があったよ」と伝えるよりも、歌があって、「これはなんの歌?」「沖縄の歴史にはこうした変遷があったんだよ」という、伝えやすい手段として、この歌を歌い続けたいと思ったんです。

 60年代後半から70年代にかけて、「沖縄を返せ」ほど歌われた歌はないですよ。でも沖縄が復帰したら、ゴミ箱に捨てられたように誰も歌わなくなってしまった。しかもあたかも沖縄が復帰して平和であるように。歌が忘れられた存在となり、過去を忘れて今があるのはおかしいと思うんです。「沖縄を返せ」をもう一度、語り部として歌うことで、「あんなことがあったよね、でも過去の話でなくて」って伝えたい。筑紫さんの「ニュース23」(TBS系)に出た時に、(最後の部分の)「沖縄『を』返せ」を「沖縄『へ』返せ」と変えて歌ったのも、この歌を現代に生かしたいという思いがあるんです。沖縄「を」では意味が分かりにくい、沖縄「へ」と変えたら面白いと思ったんです。そのころ(1995年9月)、「米兵少女暴行事件」があって、私は週末は毎週のように全国に出かけて、この歌を歌ってました。オファーがあって、すごく忙しかったです。

 −−大工さんは沖縄の唄者でも最も全国各地を飛び回っている唄者だと思います。その原動力はなんですか?

 ハードなことをやってるとは思わない。楽しいことをやってるわけだから、むしろ感謝しなくちゃいけない。ランナーズハイってありますよね。歌を歌いながら自分がハイになっていくのが分かるんです。70年代、(自分の歌が受け入れられずに)崖っぷちに落とされた人間ですから、今だからこそ「こういう(沖縄の歌が全国で聴かれるようになった)時代が来たじゃないですか、労さん」と思うんです。(油井雅和/毎日新聞)

 <プロフィル>

 だいく・てつひろ 1948年生まれ、沖縄・石垣島出身。八重山民謡の唄者(歌手)の第一人者。沖縄県無形文化財(八重山古典民謡)保持者。琉球民謡音楽協会会長。那覇市在住。地元・沖縄にとどまらず、国内外でコンサートを開き、全国に民謡教室を持つ。

 「第20回記念!琉球フェスティバル2014」(大阪)は5日午後2時半、大阪城音楽堂(雨天決行)で開催。大工さんのほか、大城美佐子さん、りんけんバンド、徳原清文さん、パーシャクラブ、大島保克さん、下地勇さん、ネーネーズ、上間綾乃さん、里朋樹・歩寿(ありす)さんが出演。知名定男さんが特別出演。問い合わせはページ・ワン(06・6362・8122)まで。詳しくは(http://page-one.jp.org/schedule/ryukyu2014.html)。

 1974年・大阪、75年・東京の「琉球フェスティバル」の模様などを収録した「竹中労プロデュース 沖縄民謡名盤10作品」は日本コロムビアから発売中。詳しくは特設ホームページ(http://columbia.jp/okinawaminyo/)まで。

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