蜩ノ記:小泉堯史監督に聞く 現場で大切なことは「すべて黒澤組で身に着いた」

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 俳優の役所広司さんや人気グループ「V6」の岡田准一さんらが出演する時代劇「蜩ノ記(ひぐらしのき)」が4日に全国で公開された。原作は、葉室麟さんによる同名の直木賞受賞作。映画は、ある罪で10年後の切腹を言い渡され、切腹の日までに藩の歴史「家譜」を仕上げるよう命じられた戸田秋谷(とだ・しゅうこく)と、彼の監視役として派遣された檀野庄三郎(だんの・しょうざぶろう)の2人の師弟愛を軸に描いている。秋谷を役所さんが、庄三郎を岡田さんが演じるほか、秋谷の妻・織江役で原田美枝子さん、秋谷の娘・薫で堀北真希さんが出演している。古田求さんと共同で脚本を書き、メガホンをとったのは、黒澤明監督の作品で長く助監督を務め、「雨あがる」(2000年)や「博士の愛した数式」(06年)といった作品を手がけてきた小泉堯史監督だ。自身の監督5作目となった今作について、小泉監督に聞いた。

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 ◇脚本は「人物の動きに任せて書いていく」

 −−どのように小説を脚本に落とし込んでいったのですか。

 小説全体を読んだあと、自分でノートを作るんです。葉室さんの表現したいことがどういうものなのかとか、人物に関することをいろいろ書き込んでおくんです。そして、これで書けるなと思ったら頭から(脚本を)書き始めます。そのとき、トップシーンとラストシーンは自分のイメージの中にだいたい固まっています。あとはそれぞれ人物の動きというか、そういうものに任せて自然に書いていくんです。

 −−秋谷の家の茶の間には、「義勇」と書かれた額が掛かっていました。ああいうものは、どの段階で入れようと思うのですか。

 そういうのは、書きながら記憶の中からふっと思い浮かびます。「義勇」という額は、僕が幼い頃、祖父の家に掛かっていたもので、額があった方がすっと場面がつながるなと。映画の場合、シーンとシーンをどうつなげるかということが非常に大事なんです。“張力”を持つというか、引っ張り合わないと映画はバラバラになってしまうので、書いていくうちにそういうことは自分の中で自然と組み立つんです 。

 −−そういう技術は持って生まれたものですか?

 いやいやそれは、黒澤(明)さんが生前、「シナリオだけは書け」「助監督で何もなくても、鉛筆と紙さえあればシナリオを書ける」とおっしゃっていましたから。要するに、映画の中で一番大事なのは脚本とキャスティングなんです。それを間違っちゃうと、どんなに腕のいい監督でもダメだよとおっしゃったので、シナリオを書くことは自分が助監督をやっている間から常に続けています、たとえ映画化されなくてもね。書いて、それを黒澤さんに読んでもらって、「いいよ」とか「悪いよ」とか批評してもらう。褒められればそれでオーケーみたいなね(笑い)。それが非常に僕の楽しみでした。

 −−先ほど、「人物の動きに任せて書いていく」とおっしゃっていましたが、書きながら、原作とは違う方向に行くことはないのですか。

 原作は結構読み込んでいますから、それはないですね。ただ、原作でどうしても映画にならないということはあります。例えば今回の場合、原作では(秋谷の息子の)郁太郎は礫(つぶて)を打つのが非常に得意で魚を獲ったりできるんですが、それを映画で撮るのは難しい。CG(コンピューターグラフィックス)か何かを使えばいいんでしょうけど、僕はCGを使いませんのでね。それで、庄三郎と郁太郎の出会いの場面をどうしようかと考えたときに、葉室さんの「銀漢の賦(ぎんかんのふ)」という作品に相撲をとっているシーンがあるんですが、これを使えば乗り切れると思いました。あと、(秋谷の妻の)織江さんが(原作同様)寝てばかりではしんどいと思ったので、人物が生きるよう村人と関わりを持たせるような設定にしました。

 −−織江さんといえば、秋谷の切腹用の刀を確認する場面があります。あれを見たとき胸が詰まりました。

 切腹のための道具を、一度はどこかで見せなければお客さんは分からないだろうというイメージは自分の中にあるんですね。本人が抜いて見るというのもね。そうすると奥さんしかいないだろうな、袋に入れて、すべてをきちんと整えてあげるというのは、ここで見せておかないと、と思うわけです。できるだけ画(え)で分からせるというのが、シナリオでもあるし、映画ですからね。

 ◇映画の師弟関係そのままの役所と岡田

 −−小泉監督は、本番通りの衣裳を着て、かつらを付け、メークを施し、写真を撮るという「扮装(ふんそう)テスト」に時間をかけるそうですが、他の監督もそうですか?

 黒澤さんだったらもっとやりますね。徹底的にやります。着ているものやかつらになじんでもらうことが大事なんです。着ているうちに袖の長さを調整したり、生地を最初に洗って干して、なじませるよう努力はするんです。帯の締め方なんかは日常生活の中ではなかなか慣れないですからね。あとは髷(まげ)。高さが分からないから自分で鴨井に(髷を)引っ掛けるなんて、本当だったらないでしょ。(俳優が)髷と思わず自然になでたりすればしめたものですね。それは僕だけでなく、(黒澤組からの)スタッフがみんな気を付けてやってくれることなんです。

 −−キャスティングが大切だとおっしゃっいましたが、役所さん、岡田さんと今回初めてお仕事をなさって、彼らの俳優としての技量の高さを実感されたところはどこですか。

 それは、映っているものを見ていただければ分かるかなあと(笑い)。役所さんと一緒にやって本当にいいなと思ったのは、非常に自然なお芝居をなさる方だなと。作為のない芝居というのは難しいんですよ。いかにも芝居をしてますと見える、そういう意識ってカメラには映ってしまうんですが、役所さんにはそれがない。原作者の葉室さんも、「これは秋谷だ」と言っていってくれてホッとしました。

 −−岡田さんについてはいかがですか。

 岡田さんは本当に、若いけれどすごいですね。理解力も素晴らしいし、鍛えられています。仕事に対しても非常に真摯(しんし)だし、ストイックですしね。それがそのまま庄三郎という感じになりますしね。同時に岡田さん、付き人になってもいいというぐらい先輩として役所さんを非常に尊敬していて、例えば、自分の出番がなくても役所さんの芝居を見るために現場に来るんです。そういう点では、秋谷と庄三郎が日常の中でそのままあるような感じがして、映画に撮れて非常にうれしいことでした。

 −−小泉監督は居合をなさるとか。その経験から、岡田さんには竹光(たけみつ)でなくジュラルミン製の刀を用意したそうですね。

 模擬刀というんですけど、真剣とは重さもバランスも同じだけれど切れない刀で、居合の練習では初心者の人たちはその模擬刀で練習を始めるんです。岡田さんもそれで練習を重ねてね。彼は道場でもうまかったけど、撮影の合間もご自身で練習していました。夜、一人で黙々と。撮影のときは、道場で見たよりも一段と腕を上げてきましてね、ここまで行ったのかという感じでしたよ。

 −−庄三郎が郁太郎に剣術を教えるところで、「声を出しましょうか」と言っていたのが、とても自然で印象に残っています。

 あれは、僕は何も指示していません。(岡田さんと郁太郎役の吉田晴登(はると)さんの)2人に「始めてください」と言ったら、岡田さんが「声を出してみましょうか」と自分で始めたんです。そういうのが、撮っているときの楽しみなんです。ああ、こういうふうにやるのか、と。自分の想像じゃないことをね。

 ◇「オーケーを出すだけの根拠がある」

 −−小泉監督は、「一発オーケーの監督」と聞きますが。

 みんなによく言われるけれど、別に一発にこだわっているわけではないんですよ(笑い)。ただ、非常に集中していると、最初にきちんと(いい芝居が)出てくるんでね。何度もやって段取り芝居になるのは撮影していて嫌なんです。

 −−俳優さんは緊張するでしょうね。

 いい緊張感は持ってもらわないとね(笑い)。いい緊張感を作り出すのも現場の一つの雰囲気でしょうし、黒澤さんの時なんか大変ですよ。「影武者」の時なんか、針1本落ちても分かるんじゃないかというぐらい、セットの中がピンと張り詰めていましたよ。

 −−岡田さんが、集中力がある1回目でせりふをかんでもオーケーが出てしまうのが怖いと話していたのを、何かの記事で読みました。

 僕の中で、きちんと計算はあるんですね。声はきちんとリハーサルから録っていますから、その中にいいカットがあることは録音部に確認しています。そうすると、いい表情であれば、あれをここに入れればいいという、オーケーを出すだけの根拠があってやっているんです。確かに、俳優さんはもういっぺんやりたいと思うのかもしれないけれど、でもね、いい画というのは、そうは何度も撮れないんです。だからたとえかんでも、今まで撮ったもので使えるテイクがあれば、そっちにはめ替えれば問題ない。それは長年、黒澤さんの助監督をやっていると自然と身に着くものなんです。本当に必要なものを必要なだけ撮っておけばいい。無駄だなことを撮っても編集のときに困るだけですからね。

 −−これまでのお話から、小泉監督がどれほど黒澤監督を尊敬なさっているかが伝わってきました。今回、5作目の監督作になりますが、黒澤監督から学んだことを変えようとか、変えつつある、あるいは変わったと思うことはありますか。

 それはないですね。自分の中で身に着いたものでやればいいと思っているから。何を教わったかは、僕自身ではなかなか分かりにくいものです。黒澤さんは俳優さんに「白紙で来いよ」とおっしゃっていたけど、僕らもそれで接していないとだめだろうと思います。自分を素にしておけば、黒澤さんの言うことが一番素直に入ってくる。チーフ助監督はそうじゃないと黒澤さんの意図通りに動けないわけですよ。「小泉!」と言われて、「なんですか」と言ったらもうダメなんです。「あいつは勘が悪い」となる。「小泉!」と言われたら、言われたことをさっとつかんでそっちに走っていかないと。それが現場では大事なことなんです。それは長年、一緒にやってきて自分の中でつかむことなんです。

 もちろん、全部が全部分からないですよ。(黒澤監督は)天才のような人ですから。一体何を要求しているのかとつまずくことも、考えることもあります。でも、監督が意図していることをできるだけ分かろうとする努力を続けることですよね。黒澤監督に付いて、具体的に何が身に着いたかは分からないけれど、身に着いたもので素直にやっているだけです。それと同時に周囲のスタッフも、僕と同じように黒澤組の中でやってきていますから、違和感があれば、「小泉さん違うよ」「小泉、これは違うんじゃないか」と言ってくれるはずだと僕は思っています。それがないということは、僕のやっていることはそう間違っていないだろうなという安心感はありますね。

 <プロフィル>

 こいずみ・たかし 1944年生まれ、茨城県出身。東京写真短期大学(現・東京工芸大学)、早稲田大学卒業。在学中に黒澤明監督の「赤ひげ」(65年)に感銘を受け、70年、黒澤プロに参加。「影武者」(80年)以後、「乱」(85年)、「夢」(90年)、「八月の狂詩曲」(91年)、「まあだだよ」(93年)で助監督を担当。黒澤監督の遺作シナリオ「雨あがる」(2000年)で初監督を務める。以降、“小泉組”には黒澤組ゆかりのスタッフが多数参加している。ほかの監督作に「阿弥陀堂だより」(02年)、「博士の愛した数式」(06年)、「明日への遺言」(08年)がある。小泉監督が初めてはまったポップカルチャーは「ジャズ」。高校生の頃バンドを組み、学園祭で演奏したりしていたという。担当はテナーサックス。当時も今も、サックス奏者のジョン・コルトレーンがお好きとのこと。

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