元お笑い芸人という異色のミステリー作家がデビューした。藤崎翔さん(28)。目指していたお笑いの世界から足を洗ったのち、驚きの“転職”を果たした藤崎さんは、水を張った浴槽につかりながらチラシの裏に執筆するという独特のスタイルで、デビュー作「神様の裏の顔」で「第34回横溝正史ミステリ大賞」を受賞。作家人生のスタートを切った藤崎さんに作家になった経緯などを聞いた。
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上々の作家デビューを果たした藤崎さんだが、昔から小説家に憧れて……というわけではなく、元々はコンビのお笑い芸人。同期には、現在バラエティーで活躍する柳原可奈子さんがいる。「一時期はすごい仲良くて。でも(柳原さんが)あっという間に売れてからお会いできてないですが」と笑う。
そうしたお笑い芸人時代を6年間過ごしてきたが、売れる気配はなく、2010年にコンビを解消。藤崎さんはホームヘルパーの資格を取り、「堅気で生きていく」道を歩き始めた。「だけど、半年もたたないうちに『やっぱり好きなことをしてお金をもうけたいな』と思って」と藤崎さんは当時の心境を吐露する。だが、お笑いの世界には戻れない。考えた末、選んだのは「紙とペンさえあればできる」小説家だった。
◇ミステリで"悲願”の2次予選突破
それまで小説を書いたことはない。書いていたのはお笑いのネタ。だが、本はお笑いの世界に入ってから、見聞を広げるため読んでいた。松本清張から入り、筒井康隆へ。「図書館に全集があったので、それを読んで。『俺が書いたネタよりこっちのほうが面白いな』と思ったり」と振り返る。
ミステリーだけではなく、いろいろな文学賞に応募したが、最も手応えがあったのは、初めに応募したミステリーの文学賞だった。「一番最初にちゃんと書いた作品が、2次予選を突破して3次予選まで進みました。芸人時代には、M-1でもキングオブコントでも2次予選敗退だったので、芸人時代超えちゃったじゃん、才能あるな俺、なんて思いましたね」と自信を持った。
自分はミステリー向きなのでは、と感じた藤崎さんは、短編中心から徐々に分量を増やしていく。執筆は、早朝の清掃のバイトを終えてから。家賃4万5000円のアパートにこもって夜9時ごろまで書き続ける。夏場は冷房代がもったいないので、浴槽に浅く水を張り、そこに素っ裸でつかりながら“チラ裏”に書く、というのが定番のスタイルだ。「チラ裏に書くのは、芸人時代から。罫線がないのが好き」といい、浴槽につかるのは「体育座りで、膝のところに紙を置いて。ちょっと水につかっているだけですが、すごく涼しいんですよ」といっぷう変わったスタイルの理由を説明する。
受賞作は、神様のように慕われていた老人の通夜に集まった関係者たちが生前の思い出を語り、徐々にその人間像が浮き彫りになって……という話で、最後には読者の想像を上回る仰天のオチが待っている。藤崎さんは「何回も起伏があったほうがいいかなと思って。最後にもうひとつ(何か)ほしいな、と」と解説する。
文章に笑いが多く含まれていることも特徴で、「笑いを取らないと不安になっちゃうんですよね。やっぱり、芸人出身だから」と元芸人の自負をみせる。作品には「寺島」という坊主頭の芸人が登場するが、これは藤崎さんがモデル。「寺島がやってるネタも、過去にやったネタだったり。寺島のコントを書くために、過去のネタ帳を引っ張りだしました」と笑う。
書き上がった作品の手応えは「それまでのどの作品よりなかった」と藤崎さんはいう。「時間軸が途中からずれていることに気づいて、直しているうちに時間がなくなってしまった」と明かす。とはいえ、初めて書いた長編のミステリー。「書き上がったことが収穫」と考えていたが、本人の予想を裏切って1次予選を突破し、最終選考まで残った。「『そんなに面白かったっけ?』と読み返してみたら、結構面白くて。でも、最終選考の日もどうせ『落選しました』と言われるに決まっているので、敗者コメントを考えていました」と打ち明ける。
受賞が決まり、芸人時代の元相方がブログで祝福してくれるなどお祝いのメッセージが相次いだ。当時の人間関係は断ち切っていたが、「すごくうれしかった」と笑顔をみせる。当面の目標は、構想中の2作目を出すこと。「今までにない文体の、面白い遊びを思いつきまして。うまくいけば、画期的な作品になると思っているんですが」と自信をのぞかせる。
理想のビジョンは「どんな手を使っても人を楽しませるような存在」と藤崎さん。「固定した芸風じゃなく、次に何をしてくるかわからないようなヤツになりたいですね」と語った。
<プロフィル>
1985年生まれ、茨城県出身。高校卒業後に上京し、2010年まで「セーフティ番頭」というコンビを組んでお笑い芸人として活動する。2014年に「神様の裏の顔」で「第34回横溝正史ミステリ大賞」を受賞しデビュー。家賃4万5000円のアパートに住み、早朝に3時間の清掃のアルバイトをしながら執筆活動を続けている。 受賞作「神様の裏の顔」は9月30日刊行。