樹木希林:主演映画「あん」語る 小豆の声は聞こえない!?

主演映画「あん」について語った樹木希林さん
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主演映画「あん」について語った樹木希林さん

 女優の樹木希林さん主演の映画「あん」が30日に公開された。ドリアン助川さんの小説を映画化したもので、「殯(もがり)の森」(2007年)や「2つ目の窓」(14年)などで知られる河瀬直美監督が手掛けた。永瀬正敏さんや樹木さんの実の孫、内田伽羅さん、さらに樹木さんの“先輩”の市原悦子さんらが出演しており、樹木さんは、ある事情を抱えた年老いた女性を演じている。樹木さんが今作について、役柄について、また河瀬監督との仕事について語った。

ウナギノボリ

 ◇生きていくことの意味を問う作品

 樹木さんが演じる徳江は、どこからともなく現れ、懇願の末、永瀬さん扮(ふん)する千太郎が店長をしているどら焼き屋「どら春」で働き始める。やがて、徳江が作る粒あんが評判になり、それまで閑古鳥が鳴いていた店はみるみる間に繁盛していく。ところが、徳江についての心ないうわさが流れたことで状況が変わっていく。映画は、徳江と千太郎を通じて、「生きていく」ことの意味を観客に問いかける。

 ◇明るい元患者たちに「救われた」

 徳江が、かつてハンセン病を患っていたことは、映画の途中で明かされる。樹木さんは撮影前、自身のがんの治療で鹿児島を訪れた際、県内に国立ハンセン病療養所があることを偶然知り、そこを訪ねたという。また、今回の撮影の舞台にもなった東京の多磨全生園にも事前に足を運んだ。敷地内には納骨堂や神社、森があり、広い園内ではあったが、「寂しい」印象はぬぐえず、「72歳にもなって、そういうところがあるということを知らなかった」と、そこから出ることを許されなかった当時の患者たちのことを慮った。

 一方で、ハンセン病にかかりながら、生きていくためには伏せってばかりいられないと前向きに人生を送った徳江という人物の「天性の明るさ」に言及し、実際に会った元患者たちも、「どこで会ってもみんなそれぞれ明るい」こと、それには「とても救われた」ことを明かし、「むしろこちら(樹木さん)のほうが、『あんた、病気は大丈夫なの?』なんて言われちゃって、励まされました」と気遣いをありがたがった。

 樹木さんは2014年、がん治療を終了したことを公表したが、闘病体験者である自分と、徳江という役の間に、多少なりとも重なる部分はあったのだろうか。この問いに「あったのかなあ……」と少しの間、考えを巡らせ、「あっ、そうね、自分ががんになってそれを受け入れたときに、全然普通の人と変わらない感覚を持ったのね。だから、徳江さんの役のモデルみたいな方が何人かおられるんだけど、その人たちも、その病気を引き受けたとき、ごく普通の人だった。自分は……という被害者意識じゃなくて、もっと伸び伸びとしている。その点では私も一緒だなと思いました」と推察する。

 ◇生きにくさにめげないで

 樹木さんは今回の映画を通じて、「(徳江は)たまたまそういう病気のせいで、国が(規制)する中に不幸にも入ってしまったけれど、みんな多かれ少なかれ、悲しみと不自由さの中にいるんじゃないかと思います。そこからうれしさや喜びを見つけていくのが人間の営みだと思うのです」と語り、そういった「生きにくさ」に「めげないでもらいたい」と呼び掛ける。そして、「ハンセン病についてのいろんな資料や体験したものを読むと、もっともっと、言葉では語れないような、戦争の悲劇と同じようなつらいものがありますけれど、この『あん』は、それを全面に出すことはしていませんが、そのことは何かの折りに感じ取って、あるいは、ちょっと見てほしいなというふうに思いますね」と言葉をつないだ。

 ◇「すごく新鮮」だった現場

 50年を超える女優歴の中で、「海千山千の人をたくさん見ている」という樹木さんでも、河瀬監督は「珍しいなあ」と思うほどの人だったという。「河瀬さんて、もの作りの人としてはやっぱりすごいですね。思いというのが出てくるんです。自分の考えをずーっと押してくるの。でもそれが威圧感を持って押しつけるんじゃなくて、『そうやねえ、そやけどねえ……』と言いながら、ぐっぐっとくるんですよね。あれはすごいと思いました」と感服しきりだ。

 樹木さんは、河瀬監督の作品「朱花(はねづ)の月」(11年)にも出演しているが、そのときはワンシーンだったため、人柄を知るまでには至らなかった。しかし、今回はほぼ1年かけて撮影した。河瀬監督の映画作りに懸ける情熱の強さを思い知らされた。

 普段は「(役の)扮装をすれば、それで役ができるじゃないですか。その程度」の役作りという樹木さんだが、今回はお菓子作りを習った。「私はいいと思ったんだけど、河瀬さんがね……」と話し始めた。どうやら河瀬監督の言葉には「1日、お菓子作りを勉強します、と言ったら、はい。どこそこでですって言ったら、はい」と従わずにはいられない不思議な力があるようで、今回の撮影場所として使われた国立ハンセン病療養所や多磨全生園にも、撮影前に足を運んだいきさつも、奈良から上京した河瀬監督から、正月、まだ松の内が明けないうちに連絡が入り、「あたしねえ、今日、奈良から出てきたんですよ。明日、全生園に行かへん?」と誘われたのだそうだ。

 河瀬監督の泰然とした姿勢は撮影中も健在で、樹木さんは「『そやね。桜がきれいやし、向こうから歩いて来て、あのへんでどら焼き屋を見つけてください。ほな回しますか』ってな感じね」と、その時の様子を、河瀬監督に“なり切って”振り返る。「でも、それに対して、『もう回すんですか?』とか言えないのね。そういう、実に不思議な雰囲気がある。いろんな人や車が通っていたりするのよ。でも、『どうぞ』って感じ」だったそうで、カメラは終始そんなふうに回り始めるため、永瀬さんと2人で「『始まってるんですかね』『回ってるみたいですね……これさあ、ほんとなの?』なんて言ったり、『え、ええ』とやったりしてね(笑い)」、それは樹木さんにとって「すごく新鮮な出来事」に感じられたそうだ。

 ◇素になってオロオロする場面も

 しかしそういった演出は、間違いなく奏功している。樹木さんを含めた俳優たちの演技は実に自然だ。例えば、粒あん作りをするときの、千太郎が手ですくった水あめをどうしてよいかわからずオロオロする場面では、樹木さん自身、「あそこになると素になっちゃって」、思わず笑ってしまったそうだ。あるいは、徳江が小豆に話し掛ける場面では、小豆が本当に愛おしくて仕方ないという思いが樹木さんの体からにじみ出ている。

 そう指摘すると、よほど印象深かったのか、「だって河瀬さん、もっとすごいわよ。小豆が旅してきたその日々をちゃんと見に行くんだから。今は、機械で精製することが多くて、実際に小豆を自分で育てて、手で天日に干したりする農家ってあまりないのね。それをちゃんと見にいって、ある日私に、『行ってきたんです』とポケットから小豆を出して見せてくれるの。私は、『はあ、そうですか』とこうふうに(返そうと)するじゃない。そうしたら『いえ、あげます』と。もらってもねえ、今、食べるわけにもいかないし(笑い)。河瀬さんは、当然私が、小豆の声が聞こえるものとして話しているんでしょうけど、聞こえないっていうの(笑い)。面白いわよう、それは」と身振り手振りを交えながら一気呵成に話す。

 ◇頑張ったところはすべてカット

 今回、樹木さんは孫の内田伽羅さんと共演している。伽羅さんの役どころは「どら春」の常連客、中学生のワカナだ。伽羅さんは留学先の英国から一時帰国しての出演だったが、河瀬監督は、伽羅さんを東京の自宅には帰らせず、アパートに寝泊まりさせたという。また、役の上では“他人”の樹木さんとは昼も一緒に食べないように言い、樹木さんとしては「イギリスに行っていて帰ってきたと思ったら、遠くを自転車で走っているような感じだった」と笑う。そのため、現場で伽羅さんに女優としてのアドバイスをすることは一切なく、そもそも「会話する暇さえなかった」そうだ。

 また、徳江とワカナが「どら春」で会話をするシーンは、「(映画に)採用されている部分は、(台本に書かれているせりふが)もう終わっちゃって、(河瀬監督に)何かしゃべっていてくださいと言われて、カメラは回ってるみたいだし、何かしゃべっていなきゃいけないなと思って、『なんか飼ってるの』と(ワカナに)言っている、そのあたりが使われている」のだいう。

 50年を超す女優人生の中で、今回初めて共演した「先輩の」市原悦子さんも、撮影の時は長いせりふがあったそうだが、「完成したらほとんど全部切られたって感じね」と明かした。さらに「私なんかも、ずーっと夫の話をしたり、森の中を歩くシーンなんて、ぜーんぶカット」と樹木さんいわく、「だいたい過酷なところ、頑張ったっていうような」シーンは、「ほとんどみなさんカット」されたという。

 ◇作品のよしあしは「私のせいじゃない」

 そうした“恨み節”を口にしながらも、「河瀬さん、台本のせりふを撮ろうとしているんじゃなくて、そこから醸し出す何かを撮ろうとしてるんだなと(撮影が)終わってから分かったの」と河瀬監督をフォローする。その上で、「でも、私はみんなに言うの。まだ役が残っていただけ、よかったわねって。撮ったんだけど、なくなっちゃった人もいるのよ。だから、それを考えたらよしとしましょう」と達観したところを見せた。

 そして「優しい顔して、優しい声して、決断ははっきりしてる。そういう人に出会ったのは、後にも先にもこの方で終わりでしょうね」と河瀬監督の大胆さと強さに感心しながら、「男の監督のほうがよっぽど優しい。優しいというか、ある意味、長いものに巻かれる。でも(河瀬監督は)巻かれないのねえ。すごいわあ」としみじみ話しながら、「だから、出来は私たちのせいじゃないからね。ま、私のせいもあるけど、私のせいじゃないからねって言っちゃうの(笑い)」と、最後は樹木さんらしいおちゃめなコメントで締めくくった。映画は30日から全国で公開中。

 <プロフィル>

 1943年、東京都生まれ。61年に文学座に入り、「悠木千帆」名義で女優活動をスタートさせる。64年、テレビドラマ「七人の孫」にレギュラー出演し、人気を博す。74年から放送されたテレビドラマ「寺内貫太郎一家」では、貫太郎の実母を演じた。その後もテレビ、映画、演劇の世界で活躍。2008年には紫綬褒章を受章した。13年、「わが母の記」で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞受賞。14年には旭日小綬章を受章。出演した映画に「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」(07年)、「歩いても歩いても」(08年)、「悪人」(10年)、「ツナグ」「わが母の記」(ともに12年)、「そして父になる」(13年)、「駆込み女と駆出し男」(15年)などがある。

 (インタビュー・文:りんたいこ)

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