シンガー・ソングライターの高橋優さんが、デビュー5周年を記念した自身初のベストアルバム「高橋優 BEST 2009-2015『笑う約束』」を22日にリリースした。選曲と構成を自ら手掛けた今作には、これまでのシングル全曲に加え、インディーズ時代の楽曲や新曲、ファンのリクエスト投票1位を獲得し、初CD化となる「リーマンズロック」なども収録され、ベストという枠を超えたバラエティーに富む内容になっている。デビューからの5年間で「とてつもない変化をたくさん経験した」という高橋さんに、ベスト盤の話や5年間での転機などについて聞いた。
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――今作のサブタイトル「笑う約束」にはどんな思いが込められているんですか。
僕がこの5年間のライブで、たぶん一番多く言った言葉が「また一緒に会って笑おうね」とか「また一緒に歌おうぜ」ということだったんです。あと、ベストを作るに当たって改めて自分の楽曲を聴いて、やっぱり「いつか生まれたことを誇って笑えたらいいな」とか「あの日のことを悲しむんじゃなくて、いつか笑って話せたらいいな」みたいなワードがすごく多いな、と。ライブという作業を通しても、僕はずっと誰かと笑う約束を取り付けながら、この5年間活動してきたような気がしたなと思ったんです。
――構成(曲順)を決める時にポイントになったことは?
僕が生まれて初めて買ったベストアルバムが、中学校の時に買ったB’zの「B’z The Best“Pleasure”」なんですけど、500万枚くらい売れたことでも話題になって、その時すごくワクワクしたんです。それで、僕が「B’z The Best“Pleasure”」を買った時のようなワクワク感をみんなに少しでも感じほしいと思った時、昔の曲も古く聴こえない、最新アルバムのようなつもりでベストを作りたいと思ったんですよね。だから、新録曲や新曲もできるだけたくさん入れて、「シングルで聴いた時とはちょっと違うよね」っていうぐらい、すべての曲をよみがえらせるようなつもりで曲順を決めたんです。新鮮に聴こえるように、というか。
――全体的に、社会の情勢や世相を通して伝えたいものを描くというスタイルの楽曲が多く見られますね。
デビュー当時は社会のことと自分が見えてることをつなげたり、比較したりっていう表現方法しかなかったんだと思います。今はもう少し引き出しが増えた気がするんで、また別の視点からも書いてみたいなって。最近は音楽のよさみたいなものを改めて考え直しているところなので、音楽として言葉を楽しんだり、みんなで一緒に笑顔になれる歌っていうのを意識しながら書くことがかなり増えましたね。それは、たぶん僕が社交的になって友達が増えたからだと思います。“社交的でありたいキャンペーン”をずっとやっていて、ハリセンボンの近藤春菜さんや小籔(千豊)さん、モデルの栗原類くんとかと仲よくさせてもらってます。
――“社交的でありたいキャンペーン”をやろうと思ったきっかけは?
単純にどん詰まりになってしまったんですよね。できる曲が似たような曲ばっかりな気がするし、限られた人にしか会わないし、その半面、僕のことを友達だと思って誘ってくれるっていう場合が結構あって、なのにそこに顔を出さないっていうのをやたらとやってたんですけど、でもそれだと世界が広がらないっていう危機感を2012年の終わりごろに感じ始めたんです。それで(キャンペーンを)始めたんですけど、社交的になってだいぶ中身から変われた気がしてます。それがこの5年間で一番デカかったんじゃないかなって。
ハリセンボン春菜さんが、“おいしいものを「おいしい」、会ってうれしかったら「よかった」って言ったほうが相手にも喜びが伝わるし、できるだけ人に分かりやすく伝えてあげたほうがいいんじゃないか”的なことを僕に言った時があったんです。その言葉は、そのあとに作った「今、そこにある明滅と群生」という4枚目のアルバムにもだいぶ生かされたし、それ以降の自分の人生にも大きな影響を及ぼしたと思ってます。
――なるほど。ところで、曲作りでスランプになった時はどんな方法で乗り切ってきたんですか。
今までで一番、効果が強いと思ったのは、真逆の作品を見ること。例えばラブソングを書きたいと思ったら“血しぶきブシャー”“グチャー”みたいなスプラッター映画を見る。あと、絆や友情みたいなものを書きたいと思った時ほど、裏切り系とか人間のダメな部分みたいなものを描いた作品を見る。そうすると気分が晴れるんですよね。だから一時期、楳図かずおさんのマンガにハマりすぎちゃって、ほぼ全作品が本棚に並んでたことがあります。「神の左手悪魔の右手」「洗礼」とか。浮かんだメロディーをi Phoneに録音する時も、タイトルを「デモ1」「デモ2」と書かずに「脳みそグチャー」「口の中からタランチュラ」とか(笑い)。そういう時期もありました。
――デビュー5周年という節目ならではの印象的な出来事やうれしかったことは最近ありましたか。
「ミュージックステーション」(テレビ朝日系)に出た時、ミスチル(Mr.Children)やウルフルズと共演して、ナオト・インティライミとも一緒だったんですけど、僕と彼はデビューの年が一緒で、ミスチルとウルフルズは同期(1992年デビュー)なんですよね。その2組のバンドが、インディーズ時代に対バンをしたことがあるっていう話や「何年か前はトンガッてるバンドで話し掛けづらかったよ」みたいな話を本番でしていて、でも今は、どっちも日本を代表するロックバンドになっている。それを見て、ナオト・インティライミと「俺らも15年後にまたこの番組に出て、こういうふうに2人で話そう」って。そういう話ができた時は、同じ時代を生きてるなというか、お互いソロシンガーだけど、1人で歩いてるわけではないんだなって感じられて、とてもうれしかったです。
<プロフィル>
1983年12月26日生まれ、秋田県出身。2010年7月にシングル「素晴らしき日常」でメジャーデビュー。高橋さんが初めてハマッたポップカルチャーは、マンガの「ドラゴンボール」。「幼稚園の終わりか小学校1年生ぐらいの時に、初めて姉に『ドラゴンボール』の単行本を買ってもらったんです。当時は体が弱くて、よく風邪を引いたりして入院してたんですけど、姉が見舞いで持ってきてくれて、病床の僕を励ましてくれたのが『ドラゴンボール』でしたね。全巻を買い集めたし、この間も劇場版アニメ『ドラゴンボールZ 復活のF』を(ニッポン放送「オールナイトニッポンサタデースペシャル 大倉くんと高橋くん」で共演している)関ジャニ∞の大倉(忠義)くんと見に行きました」と話した。
(インタビュー・文・撮影/水白京)