真心ブラザーズ:女性アイドル曲を歌う初カバー集をリリース「10年前なら無理だった企画」

カバーアルバム「PACK TO THE FUTURE」について語る真心ブラザーズのYO‐KINGさん(右)と桜井秀俊さん
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カバーアルバム「PACK TO THE FUTURE」について語る真心ブラザーズのYO‐KINGさん(右)と桜井秀俊さん

 2014年に自身のレーベルを設立した男性2人組ユニット「真心ブラザーズ」が、1970、80年代の女性アイドルの楽曲で構成した初のカバーアルバム「PACK TO THE FUTURE」を7日にリリースした。昨年、NHK・BSプレミアムの音楽番組「The Covers」に出演した際、昭和の歌謡曲をカバーしたことがきっかけで実現した企画で、松田聖子さんの「風立ちぬ」、太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」、中森明菜さんの「スローモーション」といった名曲の数々が“真心流ロック”にアレンジされ収録されている。25年以上のキャリアで初めてのカバーアルバムの制作や、70、80年代当時の思い出などについて、YO‐KINGさんと桜井秀俊さんに聞いた。

ウナギノボリ

 ――70、80年代の楽曲の中でも、今回はYO‐KINGさんの案で女性アイドルのカバー集になったそうですが、選曲のポイントは?

 桜井秀俊さん:やっぱり、その曲や曲の背景に対する思いみたいなものが強くないと、形にしても魅力が出ないと思うので、そこが一番大事かなと。子供の頃に歌謡曲を聴いていて、大学時代にカラオケができ始めて、友達とカラオケに行って好きな曲を入れると、必ず筒美京平という(作曲者の)名前があったり。それで筒美作品のレコードやCDを探して聴いてみたら、すごく好きになって……という思いを実現するとか。松本隆さんの歌詞も、自分が音楽をやっていく中で(松本さんが所属していた)「はっぴいえんど」というバンドを聴くわけですが、その中のメンバーが後の歌謡界に大変な役割を果たしたんだ、みたいなものもね。

 ――特に、カバーが実現してうれしかった楽曲はありますか。

 YO‐KINGさん:吉田拓郎さんの曲「風になりたい」(原曲歌唱:川村ゆうこさん)は拓郎ファンとしてうれしいですね。あと「赤い風船」「グッド・バイ・マイ・ラブ」とか。「風になりたい」(76年)はリアルタイムではなく、拓郎さんを好きになった79、80年ぐらいからさかのぼっていく途中に出合った曲で、70年代は、自分は生まれていたんだけど子供だったので、自分の思う70年代への憧れというか。それを今回、昇華できたことは快楽でした。

 桜井さん:僕はやっぱり80年代。中・高校生でバンドをやり始めて、エレキギターをガチャガチャ弾いてたあの頃のスタイルみたいなものを放り込めたというか。速い8ビートでかき鳴らすようなカッティングは最近あんまり聴かないですけど、体の中にしみ付いてるんで、「ゆ・れ・て湘南」でそれを思う存分やれたうれしさはすごくあります。あとは、「風の谷のナウシカ」での“ギター1本で世界を作る”みたいなことも、昔はできなかったけれど、キャリアを積んでできるようになったという。そういう喜びがこの2曲は特に大きかったし、トラック(サウンド)の世界観が非常に気に入ってます。自分たちのオリジナルアルバムで、これだけ80’sロックを正面切ってやるのは何かしらの違和感が出ちゃうと思うんです。そういう意味で、80年代に日本の歌番組を沸かしていた曲に、同じ時代にロック部門で米国や英国を沸かし、自分が憧れていた音を素直にぶつけるという料理の仕方ができたのは、非常にラッキーというか楽しかったですね。

 それと、1曲目の「風立ちぬ」は、(「風立ちぬ」を作曲した)大瀧詠一さんのアルバム「A LONG VACATION」の1曲目(「君は天然色」)をなるべく再現して、歌い出すと全然違う曲、みたいな。「そっちかい!」みたいなツッコミを、天国の大瀧さんはしてくださるかなあとか、そういう妄想をしながらね。

 ――実際に原曲を聴いていた少年の頃の思い出は?

 YO‐KINGさん:「風立ちぬ」とか、木曜9時の「ザ・ベストテン」(TBS系)でよく見てましたね。姉が2人いて、木曜9時については3人とも同意見で、チャンネル争いはなしで。それで、金曜8時はプロレスと「3年B組金八先生」(TBS系)と「太陽にほえろ!」(日本テレビ系)で、3人でそれぞれあるから、ジャンケンに負けると見られないっていう。家にカラーテレビと白黒テレビが1台ずつあって、1位がカラーテレビ、2位が白黒、3位が「見れない」。正々堂々とやって負けてるんだけど、不機嫌になってケンカになったり(笑い)。

 桜井さん:2歳上の姉がいて、小学生の頃に姉の部屋に忍び込んでユーミンのレコードを聴いたり、山岸凉子のマンガを読んだり。ちょっと年上の人のカルチャーっぽいことを盗み見していたんですよね。(今作4曲目の)「メイン・テーマ」のアレンジは、ポリスというバンドをモチーフにしてるんですけど、ポリスのレコードも姉の部屋にあって、「ロクサーヌ」という曲を聴いてました。まさに半ズボンで、ませていた時代を思い出します。

 ――初のカバー集を制作して、改めて感じることはありますか。

 YO‐KINGさん:女性アイドルのカバー集を出すっていうのは10年前でも無理だったかなと思うし、今だからできる企画ですね。こういう歌謡曲に対してのアンチ精神が、若い頃はあったと思うんですよ。若い頃はもうちょっとロックに幻想もあったし、(シンガー・ソングライターという)立場としても。だけど今や、アンチどころか大好きだし、こっちが勝手にアンチにしていただけで、和解できて、よりドリーミーで幸せな音楽ができたっていう満足感はあります。そういう意味でも、自分が変わってこられた時間があったっていうのはうれしいですよね。例えば、5年で音楽活動をやめちゃっていたら、こういうことにはならなかったわけだし。

 ――今後、例えば男性アイドルのカバーなどもやりたいと思いますか?

 桜井さん:リクエストがあればやりたいっすよ。「この曲もやったらいいのに」みたいなことを友達同士でワイワイ言ってもらうのもオリジナルアルバムでは発生しない楽しみで、そこから答えを返して、みたいなコミュニケーションがあると思うし。そうなるといいですよね。

 <プロフィル>

 1989年、大学の音楽サークルの先輩であるYO‐KINGさんと後輩の桜井秀俊さんで結成し、同年9月にシングル「うみ」でデビュー。YO‐KINGさんが初めてハマッたポップカルチャーは、永井豪さんのマンガ「デビルマン」、桜井さんは「週刊少年チャンピオン」の連載マンガ。YO‐KINGさんは「『デビルマン』にハマッて、隣町まで買いに行ってたなあ。単行本で読みまくって、小学校4年でメガネ。小4~6年はメガネ、中1でコンタクト。それでずっとコンタクト」と話した。桜井さんは「小学校1年ぐらいの時に『週刊少年チャンピオン』で『がきデカ』をやっていて、あのくだらなさとエロさが好きで。そのうち『チャンピオン』で『ブラック・ジャック』が始まるんですよね。それで手塚治虫にハマッて、いろんな手塚作品を単行本で読むようになって、4年生でメガネ(笑い)」と話した。

 (インタビュー・文・撮影/水白京)

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