宇多田ヒカルさんのプロデュースによるアルバム「分離派の夏」でシンガー・ソングライターとして25日にデビューした小袋成彬(おぶくろ・なりあき)さん。宇多田さんの2016年のアルバム「Fantome(ファントーム、oの上にサーカムフレックスが付く)」の収録曲「ともだち with 小袋成彬」にゲストボーカルで参加したことで注目されていた小袋さんのアルバムには、宇多田さんが参加した先行配信シングル「Lonely One feat.宇多田ヒカル」も収録。R&Bユニット「N.O.R.K.」(ノーク)のボーカルとして活動していたほか、自身で設立した音楽レーベル「Tokyo Recordings」では柴咲コウさんや水曜日のカンパネラなどの楽曲プロデュースの経験もある小袋さんに、これまでの活動歴、宇多田さんとの出会いやコラボ楽曲「ともだち with 小袋成彬」の共演した秘話などについて聞いた。
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――学生時代は野球少年だった小袋さんは、その後、R&Bユニット「N.O.R.K.」を結成し、さらに音楽レーベルを設立して活動していたそうですが、そのきっかけは?
就活に失敗したことですね。(就活先は)雑誌の編集とか出版社とか、テレビ以外のメディア系が多かったです。あとは(広告)代理店とか。就活に失敗してもう道がなかったので、自分で作るしかなかったんです。Tokyo Recordingsというレーベル兼プロデューサーチームをやっていたんですけど、そこで自社アーティストのCD音源を作って発表して、その編曲が気に入られてプロからお仕事をいただくようになった……という感じです。
――そのレーベルでは柴咲コウさんや水曜日のカンパネラなどの楽曲アレンジなどを手がけると同時に、別の仕事をいくつか掛け持ちしていたそうですね。どんな仕事をされていたんですか。
大学を卒業する直前くらいにEC通販サイトの会社で働いていました。あと居酒屋でもバイトをしていて、それは大学の4年間、続けていたんですけど、通販の会社で働きながら、夜は居酒屋で週1、2回働いていました。
――当時のプロデュース業に関しては「大義を認め(感じ)られなかった」とのことですが、それは具体的にどんな気持ちで、「自分で作った曲を自分で歌うこと」を決めるまでにどんな変化があったんでしょうか。
時期としてはもう少し後なんですけど、世が求めているものを作っていく、もしくはそこにアダプトしていくことが果たして自分にとって本当にするべき行為なのか、というのが分からなくなってきたんです。「この仕事を何年も続けて、ギャラが上がってすごくお金持ちになったとしても、僕の心は満たされない」って気づいてしまったんですね。じゃあ果たして自分は何をするべきなんだろうって思い始めて……。
プロデュースワークをしているときは、本心ではないにしろ、「世界を変えよう」っていう思いがどこかにあったんですけど、「じゃあ自分は何をすべきなんだ」って考えたとき、世界を変えることよりも自分が変わることのほうがよっぽど重要で、そうするとやっぱり僕にとっての世界が変わるんですよね。「なんで今、鳥が鳴いたんだろう」とか「なんであのとき泣いてしまったんだろう」とかって思うことのほうがよっぽど僕にとって人生が豊かだって気づいたんです。だから、自分の歌、作品を作らなきゃいけないってすごく感じるようになりました。
――同時期、宇多田ヒカルさんの「ともだち with 小袋成彬」にコーラスで参加したことも一つの要因ですか。
それがきっかけではないですけど、もちろん大きな出会いでした。僕自身は「N.O.R.K.」という活動でシンガーというイメージが世間的にはあって、そういった中で宇多田さんのディレクターが僕のメールアドレスを見つけて連絡をくれたんです。「彼女がアルバムを作っているので参加してほしい」って。まあ、驚いたといえば驚いたけれど、みんなが想像してるほど驚いてないかも(笑い)。僕、ホントに直前まで柴咲コウさんの仕事をしていて、どっちかというと“柴咲さん直撃世代”なんで。「オレンジデイズ」(2004年にTBS系で放送された妻夫木聡さんと柴咲さん主演の連続ドラマ)とか。宇多田さんは僕らの先輩がよく聴いていて、ちょっと上なんですよね。だから「いるかいないか分からないような人に会える」というか……。
――宇多田さんと初めて会ったのはロンドンのスタジオですか。
そうです。僕が早めにスタジオに入って、彼女が遅れて入って来てあいさつをして、レコーディングを始めたっていう感じです。(宇多田さんは)「ホントにいるんだ」って思いました(笑い)。
――実際に宇多田さんの楽曲「ともだち with 小袋成彬」に参加していかがでしたか。「友達にはなれないな……」というフレーズが印象的な曲の内容も含めてどうですか。
僕、中高が男子校なので、(歌詞で描かれている)友達だけど友達になりきれない感じとか、そんな青春、ないんですよ(笑い)。彼女は同性愛の話(の歌)って言ってましたけど、僕は周りに同性愛の人がいないので分からないし、僕にはその気持ちがないからちょっと難しいですね。でも、僕の声の周波数と彼女の声の周波数を合わせると、結構いいハーモニーになるなと思いました。
――このときに、宇多田さんから「自分で曲を作って歌ってみたら?」みたいな言葉はあったんですか。
あったんですけど、あんまり覚えてないんです。僕も彼女も覚えてないんですけど、ディレクターの方やその場にいたスタッフが、(宇多田さんが自分に)「日本語で歌ったら?」とか「歌、作らないの?」ってスタジオで言っていたのを覚えていたらしいです。のちのち「声が素晴らしいと思います」って言われたことはありますね。
<プロフィル>
おぶくろ・なりあき 1991年4月30日生まれ、埼玉県出身。R&Bユニット「N.O.R.K.」のボーカルとして活動し、自身で設立した音楽レーベルTokyo Recordingsでは柴咲コウさんや水曜日のカンパネラなどの楽曲をプロデュース。2016年に宇多田ヒカルさんのアルバム「Fantome」収録の「ともだち with 小袋成彬」にゲストボーカルで参加。18年4月25日に宇多田さんプロデュースによるアルバム「分離派の夏」でソロアーティストとしてデビューした。「分離派の夏」には「EC通販サイトに勤めていたときに茗荷谷(東京都文京区)の寺に住み込んでいて、そのときのことがモチーフになっている」という「茗荷谷にて」や、宇多田さんが参加した「Lonely One feat.宇多田ヒカル」などを収録。小袋さんの名「成彬」は楠木正成の「成」と島津斉彬の「彬」に由来しているそうで、「父がつけたんですけど、(2人とも)ナンバー2というか、ナンバー1ではない感じが何かあるんでしょうね(笑い)」と話した。
(インタビュー・文・撮影:水白京)