屋根裏のラジャー:高畑勲監督、宮崎駿監督から受け継いだ映画の志 想像の物語で真実を描く スタジオポノックの挑戦

「屋根裏のラジャー」の一場面(C) 2023 Ponoc
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「屋根裏のラジャー」の一場面(C) 2023 Ponoc

 「メアリと魔女の花」などで知られるスタジオポノックの劇場版アニメ「屋根裏のラジャー」が、12月15日に公開される。英作家のA.F.ハロルドさんの児童文学「The Imaginary(ぼくが消えないうちに)」が原作で、子供の想像から生まれた友達、イマジナリーフレンドの大冒険が描かれる。「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」などのスタジオジブリ作品に携わり、劇場版アニメ「二ノ国」を手がけた百瀬義行さんの監督作で、「かぐや姫の物語」「思い出のマーニー」を手掛けた西村義明さんがプロデューサーを務める。西村プロデューサーは、想像の存在であるイマジナリが主人公の物語によって「“真実”を描こうとした」と思いを語る。制作の裏側、作品に込めた子供たちへの思いを聞いた。

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 ◇アニメーションは子供たちに忘れ去られる運命なのかもしれない

 「屋根裏のラジャー」は、少女アマンダの想像から生まれた少年ラジャーが、愛する人と家族を救うために大冒険を繰り広げる。ラジャーはアマンダ以外の人間には見えないイマジナリで、屋根裏部屋でアマンダと一緒に想像の世界に飛び込み、楽しい日々を過ごしていたが、イマジナリには「人間に忘れられると消えていく」という避けられない運命があった。自身の運命に戸惑うラジャーは、かつて人間に忘れさられた“想像”たちが身を寄せ合って生き続けるイマジナリの町にたどり着くことになる。

 西村プロデューサーが同作の構想を練り始めたのは6年前。書店で「The Imaginary(ぼくが消えないうちに)」を手に取ったのが始まりだった。

 「最初は、今はやりの“大人が泣ける本”かなと思ったんです。だから、自分の触手は動かなかったのですが、本の帯に書いてあった英米翻訳家の金原瑞人さんの『子どもに忘れられていく友だちを書いたこの本を、きみはきっと忘れない』というコメントを見て、自分たちと何か関係があると思ったんです。僕たちスタジオポノックは、子供と共にあるアニメーション映画を作ろうとしているスタジオですが、子供の時に見たアニメーション映画は、忘れられていく運命なのかもしれないと。そこに何か関係があるのなら、読んでみたいと思いました」

 人間が、人間以外の動物、存在と出会い、成長する物語は数多くあるが、「ぼくが消えないうちに」は、人間以外の存在が主人公で、その主人公から見た人間の家族が描かれていた。子供たちから生まれたイマジナリを主としたストーリーに西村プロデューサーは感銘を受け、アニメ化を企画したものの、「絶対に難しいだろう」という思いもあった。

 「想像された少年を描くということは、彼を想像した人間についても考えなければいけない。アニメーションですから、ラジャーを好き勝手に作り上げることもできる。でも、ラジャーを形作ろうとすると、彼を作り出したアマンダが『私はそんなふうにラジャーを想像していない』と言い出す。原作には、アマンダの物語はほぼ描かれていなくて、アマンダの物語を作ろうとすると、今度はラジャーが『それだったら僕は生まれていないと思うよ』と言い出すんです」

 そこで、西村プロデューサーは、原作には描かれていないイマジナリを生み出した人間たちのバックストーリーを考えることに時間を費やした。実際、本編に登場する倍のキャラクターのバックストーリーを考えたという。

 ストーリー、キャラクターを形作る上では、「ロジカルに作ったら失敗する」という思いもあった。

 「子供の想像、人間の想像って、本当はナンセンスです。だから、脚本上は明快な理由があっても、ナンセンスの領域を残すべく作る必要がある。あえて、見てくれる皆さんが思いをはせる余地が残るように。説明をしなくても、子供は分かっているし、分からなかったとしても感じているんですよね。『屋根裏のラジャー』を試写で見た中にも『理由は分からないけど涙があふれた』という感想を持たれる方もいました。韻文と散文の間にあるような映画、脚本段階では明快にそういう意図をもって構築していきました」

 ◇見えない少年に実在感を持たせるために 新たな技術を用いた挑戦

 イマジナリを実際にアニメの画(え)にする上でも、さまざまな試行錯誤があった。西村プロデューサーは、イマジナリの物語を描くために「背景は緻密、キャラクターはシンプル」という日本の伝統的なアニメーションの作り方を変える新たな技術を取り入れた。

 「僕が、フランスのアヌシー国際アニメーション映画祭で審査員を務めた際に、あるフランスのクリエーターが失礼なこと言い出したんです。『どうして日本は背景にお金かけるのに、キャラクターにはお金かけないんだ?』と。背景は緻密で美しいのに、なんでキャラクターはペタッとしたものを使うんだ?と言うんです。つまり、日本のアニメーションを見慣れていない方からすると、背景と人物で違う様式がチープに合成されているように見えるそうなんです。本当は一枚の画が動き続けるのがアニメーションの原初的な考え方でしょうが、日本は様式美として固定したんですね」

 その日本のアニメの伝統を変えようとしたのが、高畑勲監督だったという。

 「高畑さんも、これまでのアニメーションの画面に飽きていた。そこで『かぐや姫の物語』では、線で描かれたキャラクターに合わせて、背景美術も余白を多くして、引き算をした。それによってキャラクターと背景がマッチングする。ただ僕は、美しく奥行きのある背景美術に合わせて、キャラクターの奥行きや質感を足し算することができれば、手描きアニメーションは新しい領域に踏み出せると思っていました」

 美しい背景とキャラクターをマッチングさせ、一枚の画に見える。キャラクターをそこに存在させる。それを実現させたのが、西村プロデューサーがフランスで見つけた新たな技術を用いた光と影の演出だった。

 「日本のアニメーション映画は、ワークフローの問題で、影の演出が効果的にできているとは言いがたいんです。でも、光と影を制御できれば、演出の幅はぐんと広がる。例えば、アメリカ映画の重厚な人間ドラマは、ライティングがすごく効果的に寄与しています。光と影をコントロールすることができたら、人物の心情や、ひいては物語が深みを増す。これは、CGやエフェクト処理のような派手なものではありませんし、恐らく見て分かる人のほうが少ないと思います。でも、100分の映画の中でボディーブローのようにじわじわと効いてくる。無意識との向き合いこそ、ライティングの領域です」

 作中では、想像の少年であるラジャーが消えかかるシーンが描かれるが、「従来のペタッとしたキャラクターが消えかかっても、そこに深みはあまりない。でも、フランスの技術によるライティング、陰影、質感表現があると、想像された少年たちがそこに今実在しているという新たなリアリティーが獲得できる。『見えない』と言われている少年たちが『いるんだ』と思える」と説明する。

 「映画の作り手は、『嘘で真実を語る』とよく言われるんですよ。この映画でも、冒頭でラジャーが『うそっこの友達』と言われます。この新たな技術は、嘘を真実に変えてくれる、とても良い技術に思えました。そういう巡り合わせがあったのだろうなと。今回は、作品の内容が表現を呼び、表現が内容とすごく合っていた。CGでもライティングはコントロールできますが、スタジオポノックは手描きにこだわってきたスタジオです。新しい技術は、演出によってキャラクターの造形や顔立ちを自在に変えられる手描きの良さと、ライティングの力を同時に生かせるものでした」

 ◇子供たちに語りかける映画 アニメを作る責任

 「屋根裏のラジャー」は、いつかは子供たちに忘れ去られ、消えてしまう想像の少年が、実在する少女、その家族を救おうと奮闘する物語だ。「自分たちが作ってきた映画もいつかは忘れられていくのかもしれない」と思い、制作に挑んだ西村プロデューサーらスタッフがこの作品で届けようとしたものとは……。

 「困難に挑むラジャーは、謎の男、ミスター・バンティングに言動や存在を否定されます。でも、何も文句が言えない。それはミスター・バンティングが正論を突きつけてくるからです。それに対して、ラジャーは何を持って立ち向かえばいいか。今の時代は『こうありたい』と思うと同時に、情報ばかりを先に入れてしまうから、何かを体験する前にくじけてしまうことも多い。SNSなどでも、四方八方から冷笑的な反応が押し寄せる時代でもある。誰だって失敗したくないし、嘲笑されたくないでしょう。でも、もし胸に秘めた何かがあるなら、それに向き合う人間的な豊かさを捨ててほしくはない。ラジャーは、私たち多くの人間がそうであるように、寄る辺のない不確かな存在ですが、迷いながらも走り続けるんです。その時、彼に何があれば困難に打ち勝てるのかは、この作品に隠し込めたつもりです」

 西村プロデューサーは「この作品を子供たちが見た時に『自分に語りかけている』という感覚を持ってくれたら」と思いを込める。

 「僕自身、高畑監督の『火垂るの墓』を幼い時に見て『この映画を作った人は信じていいんだろうな』と思いました。そこに信じられる物語があって、信じられる大人がいたんですね。子供から大人の世界を見て、『こんな大人にはなりたくない』と思うようなことがたくさんあった。でも、僕たちの先輩である高畑監督、宮崎駿監督の映画の中には、やはり信じられるものがあったんです。物語や映画は、一人の人間の人生を変える力を持っているし、信じられる物語を見つけられた子供は、10年後には何億人もが大人になり、結果として世界を変えていく。だからこそ、子供が見るアニメーション映画には責任が伴う。そこにどう対峙(たいじ)するか、ということです」

 最後にスタジオポノックの今後の展望を聞くと、「分からないな」と笑顔を見せながら、スタジオのポリシーを語ってくれた。

 「企画する時には、いつもどこかにいる子供の顔を浮かべているんですよね。多くの人に楽しんでもらいたいんじゃなくて、この子の何かをぐっとつかみたい。誰か一人のために、真剣な大人たちが数百人、あるいは数千人、映画館の方々を入れたら10万人が、一つの映画を支える。その時、一枚一枚を本気で作る。それが、僕たちが高畑、宮崎から学んだアニメーション映画の志です。ルックとか表現とか、技術は、作品によって変わるから、どうでもいいんです。何より本気で作る。必死に考えて、必死に学んで、『今、僕たちが確かに言えることはこれです』というのを紡ぎ出しながら、映画を作っていくのが、うちのスタジオなんじゃないかなと思います」

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