お笑いコンビ「クマムシ」が、7月29日に公開された千原ジュニアさんのYouTubeチャンネルにゲスト出演。大ブレークから転落した10年間のコンビ活動を振り返った。
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クマムシは、2014年に「あったかいんだからぁ」のネタでブレーク。2015年にはCDデビューを果たし「第57回日本レコード大賞」で特別賞を受賞するなど、一世を風靡(ふうび)した。
当時を振り返り、ボケ&歌担当の長谷川俊輔さんは「バラエティーよりも音楽番組の露出がどんどん増えてきた」「半分はアーティストとして動いていたので、レコード会社の方と20人くらいでいつも一緒にいた」と語った。
そんな中、お笑い芸人のとにかく明るい安村さんが大ブレーク。当時は「8・6秒バズーカ」「ピスタチオ」「バンビーノ」とクマムシがお笑い界を席巻していたが、安村さんの登場でメディアへの露出が徐々に減っていったという。
ツッコミ担当の佐藤大樹さんは、歌の仕事ばかり来る状況に違和感を覚えていたといい、「芸人として恥ずかしいなと正直思ってました」と吐露。2人の関係にも亀裂が入り、長谷川さんは佐藤さんを「目に入れたくなくて」、X(旧ツイッター)をブロックしたと明かした。
そんな状況の中、レギュラー出演していた情報番組のプロデューサーと佐藤さんが大げんか。さらに、佐藤さんが仕事に遅刻してきたことで長谷川さんの怒りが爆発し、柔道経験者の長谷川さんが、佐藤さんを階段の踊り場で背負い投げしてしまったという。
それ以降、2人は完全に決裂。そのタイミングで、唯一残っていた地方局のレギュラー番組もコロナ禍で終了し、コンビの収入はほぼゼロになった。長谷川さんは当時の状況を「何にもなくなりました。地獄の時期でした」と振り返った。
ジュニアさんが「よう解散せえへんかったな」と驚くと、長谷川さんは「支えてくれてたのは(お笑いコンビ)『ロッチ』さんの存在が大きくて」と答え、(ロッチの)中岡創一さんから「もう1回相方とちゃんと向き合った方がええで」とアドバイスを受けたことを明かした。長谷川さんは「(佐藤さんは)ダメなやつですけど、そこを良い笑いに俺が変えてあげられてなかった」と反省し、そこから2人の関係も修復していったという。