解説:小野憲史のゲーム時評 「ゲーム批評」の思い出(8) アンケートハガキの思い出

「投稿ゲーム批評 読者あっての本ですから」(マイクロマガジン社)
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「投稿ゲーム批評 読者あっての本ですから」(マイクロマガジン社)

 超硬派のゲーム雑誌「ゲーム批評」の元編集長で、ゲーム開発・産業を支援するNPO法人「国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)」元代表の小野憲史さんが、ゲーム業界を語る「小野憲史のゲーム時評」。今回は雑誌ではおなじみのアンケートハガキの思い出を語ってもらいます。

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 「ゲーム批評」は創刊から休刊まで一貫してマイナー雑誌だったので、アンケートハガキもマークシート方式ではなく、読者に手で書いてもらい、切手まで貼って送ってもらっていた(アンケートハガキを知らない人も多いと思うが、昔はどの雑誌にもとじ込みのアンケートハガキがあり、読者ニーズを知る上で貴重な資料になった)。多いときで300通くらい編集部に届いたので、刷り部数の1%弱の回収率だったと思う。どのハガキも熱い思いが伝わってきて、雑誌が書店に並ぶと編集部にアンケートハガキが届くのが楽しみだった。

 アンケート項目は「面白かった記事を3つ」「つまらなかった記事を3つ」「次号の特集テーマについて一言」「雑誌全体への感想」がメインだった。このうち編集会議で注視されたのが、「面白かった記事+つまらなかった記事」の合計数だ。「面白かった記事」もさることながら、「つまらなかった記事」も読者の注目を集めたという点では重要というわけだ。創刊号から自分がさまざまな仮装をして誌面に登場する「街で見かけた~」というコーナーがあり、毎号ぶっちぎりのワースト記事だったが、自分が退職するまで続いたのには、こうした事情があった。

 アンケートハガキは編集部を訪れたライターや業界人にも人気だった。今となっては考えにくいが、彼ら、彼女らが編集部を訪れては、机に置いてあったアンケートハガキをチェックする姿も、日常茶飯事だった。「ゲーム批評」にアンケートハガキを郵送してくるような読者は、コア中のコアゲーマーだったため、マーケティング資料としても貴重だったのだろう。こうした光景は「ゲーム批評」に限らず、編集部は出入り自由というのが一般的だった。こうした自由な雰囲気がなくなり、打ち合わせを会議室で行い始めた頃から、雑誌のパワーがなくなっていったようにも感じる。

 そのうち、読者コーナーに掲載するだけではなく、ハガキに書かれたメッセージを有効利用したいという話が出るようになった。最初は特集の穴埋め企画(取材がキャンセルになった、記事が没になったなど、毎号なんらかの形でページの帳尻を合わせる必要があった)として、読者投稿を見開きで紹介したのが始まりだったように思う。これが意外とアンケートで好評だった。これに気を良くして、誌面の余白にも読者メッセージを載せるようになった。掲載数が増えると、そのぶん読者アンケートの回収率も増えて、投稿内容もおもしろいものが増えていった。

 これが長じて、最終的には読者アンケートの内容だけで編集された別冊まで出版された。これが「投稿ゲーム批評 読者あっての本ですから」だ。当時「ファンロード」をはじめとして、読者投稿だけで編集された雑誌があり、人気を博していたことから生まれたアイデアだ。原稿料を支払う必要がなく、制作費を抑えられたので、1~2年に1冊ずつ、全4冊が出版された。バカ売れするような内容ではなかったが、堅く売れる商材として会社からはありがたがられた。それにしても、よく考えたものだと思う。今なら炎上の可能性もあるが、当時は著作権に関する読者からのツッコミもなかった。

 一方で読者のニーズを読み損ねたこともあった。雑誌のキャッチコピーを変えた瞬間、批判のメッセージが大量に来たのは一例だ。創刊以来、「ゲーム批評」のタイトル上には、「OUR OPINIONS!」というキャッチコピーが印刷されていた。これを自分が編集長になったタイミングで、特集の内容を踏まえた一行コピーに変えた。これが大不評で、自分の退職後に元に戻された。他に、あれもこれもと誌面を欲張った結果、ページが足りなくなり、読者コーナーを減らして全体の調整をとったこともあった。そうこうするうちにアンケートハガキの回収数が減少し、あわてて読者コーナーのテコ入れを行うハメになった。

 秋葉原の歩行者天国で行う街頭インタビューも定番企画だった。ゲーム専門店の近辺で、名刺を持って歩き回り、読者にコメントをとった。不審がられることもあったが、快く答えてくれる人も多かった。疲れるので編集部員には不評だったが、「『ゲーム批評』の小野さん」と声をかけられるのがうれしくて、編集長になってからも、一人でやった。時には様子を見ていた店員から声をかけられたり、立ち話をしたりすることもあった。こうした企画を続けるうちに、次第に読者像がつかめていき、どのような企画が好まれるか、想像がつくようになっていった。

 自分が雑誌編集者だったのは7年半にすぎないが、それでも雑誌は読者に支えられ、読者とキャッチボールをしながら創り上げていくものだと実感した。言い換えれば雑誌編集者とは、読者コミュニティーのマネジャーでもあるということだ。読者が望む誌面を作ることも重要だが、それだけでは内容がどんどん先鋭化していき、読者層が狭まっていってしまう。なにより編集者である自分自身が楽しくない。もっとも読者ニーズから離れすぎると、部数が下がってしまう。このバランスをとるのが難しかった。ともあれ、架空の読者の顔を思い浮かべながら雑誌を作るのは、雑誌編集者の醍醐味ではないかと思う。ソーシャルゲームの運営などに通じる感覚かもしれない。

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 おの・けんじ 1971年生まれ。山口県出身。「ゲーム批評」編集長を経て2000年からフリーランスで活躍。2011からNPO法人国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)の中核メンバー、2020年から東京国際工科専門職大学講師として人材育成に尽力している。

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