4人組バンド「THE BOOM」が、93年の大ヒット曲「島唄」のシングル発売20周年を記念し、同曲の新録バージョンを20日にリリースした。今回のシングルは“今の4人が鳴らす音”で直球勝負しようと、あえて当時の編曲に忠実な形で再レコーディングしたという意欲作だ。そんな「島唄」への20年間の思いについてメンバーに聞いた。(水白京/毎日新聞デジタル)
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−−そもそも「島唄」が生まれたきっかけは?
宮沢和史さん:当時、日本発のロックをやりたいと思っていて、そのころに沖縄の民謡に出合ったんです。僕は(山梨県出身で)沖縄に縁もゆかりもないんだけど、その土地ならではの普遍的な美しさや郷愁を感じたんですね。それで沖縄の音楽を聴いたり沖縄に行ったりしていたんですけど、そこで沖縄戦(1945年)のことを知って。どうして僕は沖縄戦というものを知らなかったんだろうという衝撃が一番大きくて、そんな怒りや鎮魂の気持ちが(自分の中で)巡って、二度とこういう悲劇が起きないように、という祈りの歌を作ろうと思ってできたのが「島唄」なんです。
−−沖縄の音楽を取り入れるという、バンドとしては新たな試みを行い、なおかつその曲がヒットしたときはどんな心境でしたか。
山川浩正さん:デビュー当時から、ほかのバンドがやっていない新しいサウンドを作ろうというのが一つの目標としてあって、実際やってみたら、日本人として持っているグルーブみたいなものが自分の中にあったんだっていうのが分かって、すごくうれしくて。(洋楽のように)黒人のような演奏はできないっていわれていたコンプレックスみたいなものがなくなって、自信を持つきっかけにもなったかなと。
宮沢さん:実は「島唄」がヒットしたとき、ちょっと煮詰まっていてバンド活動を休業中だったんですよ。しかもその間、僕は舞台の仕事をしていてあまり日本にいなくて。でも、売れてるらしいって聞いて「今までやってきたことは間違いじゃなかった」って思ったのをすごく覚えてます。ただ、次のアルバムがまた方向性のまったく違うもので、それも新たな試みだったんですけど、舞台を意識してサウンドもショーに適したものを作ろうということで。なので、「間違いじゃなかった」という喜びとエネルギーをもらって、まったく別世界へ行っちゃったっていう印象ですね(笑い)。
−−あれから20年がたった今、再レコーディングをしようと思った動機は何だったんでしょうか。
宮沢さん:やっぱり歌を取り巻いてきた環境や、沖縄の人たちの「島唄」のとらえ方も変わってきて……。当時は三線(さんしん)という聖なるものを県外の人間が振り回して歌ってるのを見て、面白くないって思った方も多かったんです。でもこの20年間に沖縄にさらに深くかかわってきた姿勢みたいなものも見てくださって、当初批判されてた方も受け入れてくれたりしました。だから、恩返しとか沖縄への思いを再確認すること、沖縄への愛を宣言するということが20年にふさわしい気がしたんです。そこで、なるべくアレンジを変えないで、今の思いや実力、技術でやってみようと思いました。
−−20年ぶりの「島唄」のレコーディングはどうでしたか?
栃木孝夫さん:ライブでも数々の場所でやってきて、いろんなシーンとともにしみついている曲でもあるので、ただ焼き直すんじゃなくて、この20年間、この歌と一緒に自分の中で生まれたパッションみたいなものを込めなきゃなっていう気持ちにはなりました。
山川さん:ライブでお客さんを目の前にしたときの風景や、「島唄」を演奏しているときに吹いた風のにおいを感じながら録音すると、そういう景色としてとれるんだなっていうのは感じてます。
小林孝至さん:ブラジルに初めて行って演奏したときに、すごく盛り上がったことを思い出したりしたんですけど、やっぱり曲が持つ力がすごく強いんだなって思いました。どこの国に行っても聴いてもらえる曲っていうのはホントに僕らの財産でもありますね。
宮沢さん:当初は戦争がモチーフになってるという話はしてなくて、男女の悲しい出会いと別れの歌として皆さんが好きになってくれたわけで、その後10年くらいしてから(本来の背景を)語るようになったんです。つまりカミングアウトした後にもう1回歌うということなので、前とは全然意味合いが違う。でも思いを込めすぎると重い歌になるので、僕はラブソングっていうところにもう1回立ち返って歌いました。
−−なるほど。それでは、そんな「島唄」の20周年に続き、14年のバンドデビュー25周年に向けての抱負、意気込みをぜひお願いします!
小林さん:25年近くもやってると、いろいろ考えちゃう時期があって、それが足かせになって力を出しきれなかったりするときもあるけれど、だからこそ無になるというか、自分やバンドの課題に向かって昇っていくということなんだと思います。
栃木さん:今、目の前にあるライブとかを一つずつ突破する姿を見せて、25周年の扉が開きましたっていうふうに迎えたいです。
宮沢さん:懐かしさとかみんなへの感謝っていうのはふとんの中でかみしめて(笑い)、“ロックバンドはスリリングでカッコいい”というふうにしたいですね。駆け抜けてその先はどうなるか分からない。24年間、そうしてきたつもりだし、走り抜けてパーっと燃え尽きる。そこがロックバンドの醍醐味(だいごみ)だと思います。
<プロフィル>
メンバーは宮沢和史さん(ボーカル)、小林孝至さん(ギター)、山川浩正さん(ベース)、栃木孝夫さん(ドラム)の4人。89年にシングル「君はTVっ子」とアルバム「A Peacetime Boom」でデビュー。宮沢さんが初めてハマッたポップカルチャーはマンガ「天才バカボン」。「小学校3年生のとき、初めてそのマンガ本(コミック)を読破したのがうれしくて。途中まではほのぼのとしたマンガなんだけど、同性愛があったり、だんだん路線おかしくなってきて“なんだこれは”と思って。想像するエンターテインメントだなって思いましたね」と話した。また宮沢さんは、カフェ「みやんち STUDIO&COFFEE」(沖縄市)のプロデュースも手がけている。
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