かぞくのくに:ヤン・ヨンヒ監督、井浦新に聞く 「現実よりもっとドキュメンタリーになった」

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 「Dear Pyongyang ディア・ピョンヤン」(05年)や「愛しきソナ」(09年)で知られるドキュメンタリー監督のヤン・ヨンヒさんが、自らの体験を織り込み、初のフィクション映画「かぞくのくに」を撮影した。この映画は、70年代初頭、帰国事業(*注)によって北朝鮮に移住した3人の兄。そのうちの1人、ソンホが、病気治療のために25年ぶりに日本に戻ってくる。彼と、彼を迎える両親と妹の姿を追った家族の物語だ。ヤン監督の“分身”である妹リエを演じるのは安藤サクラさん。ソンホ役は、今年からARATA改め本名で活動している井浦新さん。津嘉山正種さんと宮崎美子さんが両親を演じる。2週間の撮影期間中、俳優たちの演技を見ながら「記憶のふたが開き、それに圧倒されてしばしば泣いていた」というヤン監督と、その都度「大丈夫ですか」と声をかける気遣いを見せていたという井浦さんに話を聞いた。(りんたいこ/毎日新聞デジタル)

ウナギノボリ

 ソンホは、おとなしく、寡黙な役だ。それだけにヤン監督は、「せりふがないときに、ベールがかかったような、感情を消したような表情」を持つ俳優を求めていた。日本育ちだから日本語が完璧である必要もあった。台本を書きながら、2~3人の「不思議な雰囲気がある役者さん」の顔が浮かんだ。その中の1人が井浦さんだった。ヤン監督はもともと井浦さんのファンで、「ダメだろうけど、でももし……」とほのかな期待とともに、これまで製作したドキュメンタリー2本と、自分の思いをしたためた手紙を井浦さんに送った。

 受け取った井浦さんは、まず、ドキュメンタリーを見ることから始めた。そして「監督がどんな人なのかを感じ、まなざしを感じ」てから、それから台本を読んだ。すると心が反応して、自分が、「このシーンならどういうふうにせりふをいうだろうと、ソンホとして(台)本を読んでいる」ことに気づいた。

 ヤン監督の井浦さんに宛てた手紙には、井浦さん起用の理由に加え、政治的な内容を含んだ作品に一役者が出ることのリスクについても触れていた。そうした思いやりが、むしろ、井浦さんの役者魂に火をつけた。「僕は、政治的な内容であろうとコメディーであろうと、その役を演じたことでどう思われようと、正直、あまり気にしません。それよりも、自分がこの作品に参加して、この役を生きたいという思いが、本を読ませてもらったときからすでに生まれていました。ですから、とにかく監督に会って、自分がやらせてもらいたいと直接伝えたかったんです」と、そのときの思いを口にする。

 そして2人は対面した。当時のことを「シナリオ、どうでしたかとうかがったら、新さんが、『家族の話ですよね』とおっしゃったので、すごく安心した」と語るヤン監督。「Dear Pyongyang ディア・ピョンヤン」でも「愛しきソナ」でも、ヤン監督は、「一度も北朝鮮を描こうと思ったことはない」という。カメラを向けるのは常に人間。「面白い人、面白い家族ということしか私は興味がないんです。一つの家族、一人の人生を見て、そこからそのときの社会が見えたり、時代が見えたり、そういう作品が好きなんです」といい切る。

 そうしたヤン監督の思いは、井浦さんにも届いていた。それは、次のコメントからうかがえる。「監督が心配してくれるほど、この作品は政治うんぬん、在日うんぬんということが表立っていないと僕は思います。もちろんそれはバックグランドにはありますが、家族を描こうとしていることが、ものすごく伝わってくるんです」と熱く語る。

 撮影は、物語の時系列に沿って“順撮り”で行われた。その過程においてソンホとリエは、ヤン監督から見ても「どんどん本当の兄妹のようになっていった」という。映画の終盤、突然、北朝鮮に戻ることになったソンホがリエに思いを託すシーンがある。涙するリエと、笑顔のソンホ。その表情は、井浦さんから提案されたことだった。「ソンホはいまさら泣かないですよねと(井浦さんに)いわれたんです。そのとき、いつも泣いていたのは私で、お兄ちゃんはいつも笑っていたことを思い出したんです。そんなふうに、私がいう前に新さんが、『こうなんじゃないですか、監督』といってくれることにズレがないんです。それはもう、鳥肌が立つほどでした」と興奮気味に打ち明ける。

 2週間の撮影期間を、井浦さんは「なかなか味わえない駆け抜け方というか、共演者の方たちとの波長も合っていて、2週間だけでも“家族”になっていました」と振り返る。ヤン監督にとって、今作は初めて撮ったフィクション映画。井浦さんと安藤さんが、兄と自分の「気持ちのコアの部分」を演じてくれたお陰で、作品そのものが「自分のリアルライフよりもっとドキュメンタリーになった」と話す。そして、「監督がこんなことをいうのは情けないんですが、役者さんって本当にすごい生き物だと思う」と絶賛。改めてこの作品が「離れたくないのに離れなければならない家族の話」であることを強調し、「それは、観客のみなさんには絶対通じると思います」と胸を張った。映画は4日から全国で順次公開。

*注……帰国事業:1959年から84年まで続けられた北朝鮮への集団移住。北朝鮮を“地上の楽園”としたマスコミ報道などに、差別や貧困に苦しむ9万人以上の在日朝鮮人と日本人の配偶者が北朝鮮に渡った。

 <ヤン・ヨンヒ監督プロフィル>

 1964年、大阪市出身。在日コリアン2世。71年秋から72年春にかけて、3人の兄は帰国事業で北朝鮮に渡った。東京の朝鮮大学校卒業後、87~90年に大阪朝鮮高級学校での国語教師を務める。辞職後、劇団女優、ラジオパーソナリティーをへて、95年からドキュメンタリー主体の映像作家に。97年、渡米。約6年間ニューヨークに滞在し、エスニックコミュニティーを映像取材。03年に帰国。05年、初の長編ドキュメンタリー「Dear Pyongyang ディア・ピョンヤン」がサンダンス映画祭審査員特別賞、ベルリン国際映画祭フォーラム部門NETPAC(最優秀アジア映画)賞受賞。09年、「愛しきソナ」を発表。今作「かぞくのくに」がベルリン国際映画祭フォーラム部門国際アートシアター連盟(C.I.C.A.E.)賞受賞。

 <井浦新さんプロフィル>

 1974年、東京都出身。98年、「ワンダフルライフ」で主演デビュー。以降、数々の映画やテレビドラマに出演。主な出演映画に「ピンポン」(02年)、「空気人形」(09年)、「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」(08年)、「キャタピラー」(10年)、「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」(11年)、出演したテレビドラマは「チェイス~国税査察官~」(10年)、「モリのアサガオ」(10年)、「陽はまた昇る」(10年)、「平清盛」(12年)など多数。9月公開の「莫逆家族 バクギャクファミーリア」にも出演。12年から芸名をARATAから井浦新に改名。クリエーターとしても活躍し、メンズブランド「ELNEST CREATIVE ACTIVITY」のディレクターも務める。

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