はじまりのみち:原恵一監督に聞く「迷ったときには木下恵介監督流の過激な選択をした」

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 「クレヨンしんちゃん」シリーズや劇場版アニメ「河童のクゥと夏休み」(07年)や「カラフル」(10年)などで知られるアニメーション監督の原恵一さんが、初めて実写映画に挑戦した映画「はじまりのみち」が全国で公開中だ。原監督が敬愛する故・木下恵介監督(1912~1998)が戦争中、脳出血で倒れて寝たきりになった母親をリヤカーに乗せ、疎開先に運んだというわずか2日ほどの出来事を中心に描いた作品で、若き日の木下監督を俳優の加瀬亮さんが演じている。初めての実写映画には「気負い過ぎてもしょうがない」とある種開き直り、「(実写に)慣れた現場のスタッフやキャストの方たちの中に、なるべく入ろうと思っていました」と撮影に臨んだ原監督に、作品に込めた思いを聞いた。(りんたいこ/毎日新聞デジタル)

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 「もちろん、プレッシャーは感じましたよ。僕はアニメーションの監督ですから、その経験が実写でそのまま生かせるとは思ってはいなかった」と、伏目がちに製作開始当初の思いを語る原監督。そして「やっぱり、自分が一番好きな木下恵介という監督を、生誕100年というタイミングで記念する作品を作るということを持ちかけられたら、ああそうですか、僕はアニメなので実写はできませんとはどうしてもいえなかった」と振り返る。

 原監督にそうまでいわせる木下監督とは、「二十四の瞳」(1954年)や、日本初の総天然色映画「カルメン故郷に帰る」(51年)、人工のセットを駆使し歌舞伎の様式で作り上げた「楢山節考」(58年)といった数々の名作を生み出し、当時は「世界のクロサワ(黒澤明監督)」に対し「日本のキノシタ」といわれ、日本映画界で双璧をなした人物だ。

 原監督が木下監督作品に夢中になった理由の一つに、「ヒーローをあまり描かず、弱い人を描いている」点を挙げる。また、「残酷な作品も作っているし、コメディーもうまい。その多彩さということにもまた、僕はすごく驚かされた」と、20代後半から木下作品にのめり込んでいったという。

 今回初めて実写映画の監督を務める中で、撮影は季節や天候に左右され、予算による制約もあった。アニメーションだったら、こんな苦労をしなくて済んだのにと思ったこともあったという。半面、実写ならではの醍醐味(だいごみ)も味わったという。それは「そのときにしか撮れない景色とか光とか、生身の役者さんの演技」といった“偶然性”によってもたらされるものだった。とりわけ「実写はすごい!」と実感したのは、恵介がようやく見つけた宿の前で、田中裕子さん演じる母、たまの顔についた泥をぬぐうシーン。ずっとリヤカーに揺られ、くたびれ果てたたまの顔に、見る見る間に生気がよみがえってくる。「あの、田中さんの表情が変わっていくところは、僕も見とれてましたよ。僕の演出というより、田中さんが考えて臨んだ結果です」と田中さんの演技をたたえた。

 今作について原監督は「いろいろリサーチし、事実を基にしていますが、多くは創作です」と明かす。とはいえ「加瀬さんが演じる木下正吉(木下恵介監督の本名)が、この出来事のあとで撮影所に戻り、戦後、名作をたくさん作ったと観客の皆さんに感じてもらいたい」という思いを込め、今作には「二十四の瞳」や「破れ太鼓」(49年)、さらには「二人で歩いた幾春秋」(62年)といった、木下作品を彷彿(ほうふつ)とさせる出来事が盛り込まれており、原監督なりの木下作品へのオマージュが込められている。

 映画の最後には、木下監督の作品集が約11分間流れる。それについて原監督は、「映画のラストに、古い作品の編集があの長さで入るというのは非常識だと思います」と話す。だが、今作でも引用されている「陸軍」(44年)で木下監督は、母親が出征する息子を見送る場面を10分以上にわたって見せている。そういう「ちょっとそれはやり過ぎじゃないのということをさんざんやってきて、それでたくさんの名作を作ってきた」のが木下監督の作風だ。だからこそ「無難な映画にはしないほうがいいと思ったし、迷ったときには木下監督流の過激な選択をしたい」と、あえて無謀と思えるようなラストにしたのだという。

 木下監督が映画監督としてデビューしたのは43年。戦時中の大変さはもとより、戦後は戦後で検閲があった。シナリオの変更をしいられればそれに従わなければならず、首を横に振れば製作中止を言い渡された時代。そういった困難な状況でも「木下監督は、とんでもなく素晴らしい作品をたくさん作ってきている。だから、現代で作品を作っている僕らは、思ったものが作れないことを、時代のせいや誰かのせいにすることはできないと思います」と、今作を通して、木下監督の偉大さを改めて痛感し、また監督としての心構えを新たにしたようだ。映画は6月1日から全国で公開中。

 <プロフィル>

 1959年生まれ、群馬県出身。80年、東京デザイナー学院アニメーション科卒業。PR映画の製作会社をへて、82年、アニメ制作会社シンエイ動画に入社。「エスパー魔美」や「クレヨンしんちゃん」シリーズをはじめとする数々のアニメの演出を手掛ける。07年3月、シンエイ動画を退社しフリーに。ほかのアニメ作品に「河童のクゥと夏休み」(07年)、「カラフル」(10年)がある。

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