織田信長:本能寺跡地に新施設「信長茶寮」 命日の6月2日にオープン

京都の旧本能寺跡に建設される「信長茶寮」のイメージ図
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京都の旧本能寺跡に建設される「信長茶寮」のイメージ図

 16世紀後半に天下統一を目指した戦国大名・織田信長の最期の地として知られる旧本能寺跡(京都市中京区元本能寺町)に、観光施設「信長茶寮(しんちょうさりょう)」が、信長の命日となる6月2日にオープンすることが明らかになった。「本能寺の変」の慰霊碑を設置するなど、信長に思いをはせる“新名所”として話題になりそうだ。

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 現在の本能寺は、同地から東約1.2キロに移転しており、旧本能寺は小さな石碑が立つだけで、分かりづらい場所になっている。信長の青年時代を描いた原哲夫さんのマンガ「いくさの子」などを連載している雑誌「コミックゼノン」を編集する「コアミックス」(東京都武蔵野市)が、信長の最期の地をパワースポットに見立て、信長と酒が飲めることをキャッチフレーズにした施設の建設を考えた。

 「信長茶寮」は、旧本能寺の一角にあり、信長を裏切った重臣・明智光秀が突入したと伝えられる場所に建てられる。地上4階・地下1階の鉄筋コンクリート造で、建物面積は約404平方メートルの予定。地下1階は、信長の活躍した安土時代の地層まで掘り下げて慰霊碑を設け、「信長詣で」をできるようにするという。ほかに墨絵も展示し、信長と同時代に活躍した茶人・千利休も利用したという水を使い、「信長」や「安土」をキーワードにした料理を提供する考えだ。

 織田信長は、尾張(愛知県)の戦国大名。商業重視の政策で国力を富ませて領土を拡大したが、1582年に光秀の反乱により本能寺で自害した。悲劇的な生きざまに加え、当時としては革新的な考えのもと、さまざまな因習を打ち破ったこともあって、現在でも人気のある歴史上の人物として知られている。(毎日新聞デジタル)

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