海堂尊:新作小説「アクアマリンの神殿」 「バチスタ」の10年後描く プロローグ編7

「なにごとも我慢せず、希望はとりあえず口にしてみること」。そんなルールで二人はうまくやってきた (c)海堂尊・深海魚/角川書店
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「なにごとも我慢せず、希望はとりあえず口にしてみること」。そんなルールで二人はうまくやってきた (c)海堂尊・深海魚/角川書店

 ドラマ化もされた「チーム・バチスタ」シリーズの10年後を描いた海堂尊さんの新作「アクアマリンの神殿」(角川書店、7月2日発売)は、「ナイチンゲールの沈黙」や「モルフェウスの領域」などに登場する少年・佐々木アツシが主人公となる先端医療エンターテインメント小説だ。世界初の「コールドスリープ<凍眠>」から目覚め、未来医学探究センターで暮らす少年・佐々木アツシは、深夜にある美しい女性を見守っていたが、彼女の目覚めが近づくにつれて重大な決断を迫られ、苦悩することになる……というストーリー。マンガ家の深海魚(ふかみ・さかな)さんのカラーイラスト付きで、全24回連載する。

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◇プロローグ編7 迅速にして臨機応変

 ぼくの無茶なおねだりを聞いた西野さんは、地下室をぐるりと見回し、螺旋階段を見上げた。

「僕が悩んでいるのは、金額よりも、グランドピアノをここに搬入できるかなってことさ」

 この塔の中心部には、エレベーターが背骨のようにてっぺんまで通っていて、その周りを螺旋階段が蔦のように巻き付いている。でもエレベーターは小型で、ピアノは乗りそうにない。

「別に地下室でなくてもいいんですけど」

「ウソ言っちゃダメだよ。地下室に置かなくちゃ、意味がないんだろ?」

 西野さんは、目を細めてぼくを凝視すると、ふう、とため息をついた。

「一緒に仕事をして二年半ほどになるのに、坊やはまだよく理解していないみたいだね。復唱してごらん、僕たちの約束を」

 ぼくは小声で答える。

「なにごとも我慢せず、希望はとりあえず口にしてみること」

 血のつながりのない僕たちがうまくやっていくにはそうしたルールが必要だ、と言った西野さんは、つけ加える。

「そう、世の中は言った者勝ち。だから規則は大切だ。ただしルールは必要最小限がいい。でないとソイツは怪鳥に化け、僕たちをたちまち食い殺してしまうからね」

 西野さんの言葉は意味深で真意を測りかねる場合も多いけど、この言葉はわかりやすかった。

 その時、天井からピアノのメロディが降り注いできた。

 夜の七時になると部屋に響く、ショパンの“別れの曲”だ。

 西野さんはあわてていつもの業務チェックに取りかかろうとしたが、最初のページをぱらりと見て、ひとつだけ目についた問題点を指摘すると、チェックリストを机の上に投げ出した。

「なんだか今日は気が乗らないから、今月のチェックはピアノが搬入される土曜に延期しよう」

 西野さんはそう言い残すと、風のように姿を消した。テーブルの上に残された書類を見て、ぼくはびっくりした。いつの間にかピアノの購入が決まっていて、売買決済から搬入日決定まですべてが終わっていたのだった。

 迅速にして臨機応変。これが西野さんのスタイルだ。

<毎日正午掲載・明日へ続く>

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