島田洋七:「佐賀のがばいばあちゃん」ブームのきっかけは「徹子の部屋」 「本当に面白いばあさんだった」祖母との思い出語る

島田洋七さん
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島田洋七さん

 タレントの島田洋七さんが、3月10日午後1時放送の黒柳徹子さんの長寿トーク番組「徹子の部屋」(テレビ朝日系)に出演。島田さんは、自著「佐賀のがばいばあちゃん」がベストセラーになったきっかけや、1991年に91歳で亡くなった祖母との思い出を語った。

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 島田さんは広島県出身。2歳の時に父親が原爆症で亡くなり、母親に女手一つで育てられた。小学2年生の時に佐賀に住む祖母の元に預けられ、2人の生活を書いた自伝小説「佐賀のがばいばあちゃん」はベストセラーになった。

 実は本が売れたきっかけは、「徹子の部屋」での紹介だったという。島田さんは「この番組で『がばいばあちゃん』を、自主出版の時に紹介していただいたんですよ。そうしたら、テレビ局に『どこに売ってるの?』って。売ってなかったんですよ、自主出版やから。家に2000冊あっただけなんですよ。あれから人生変わりましたね」と振り返った。

 佐賀県に夫婦で移住して22年がたつ。土で作ったかまどや囲炉裏(いろり)がある平屋の自宅は、祖母の家をまねて建てたものだといい、島田さんは「こういう家が建てられたのもこの番組のおかげ」と感謝の言葉を述べた。

 島田さんは祖母と暮らした当時、学校から帰宅すると祖母から「お前が帰ってくるの待ってられんから先に食べた」と言われたことがあった。大人になって島田さんが祖母に話を聞くと、貧しい生活の中で孫に食べさせるため、うそをついて自分の食事を取っていなかったことが分かったという。島田さんは「寝てたらばあちゃんが泣いてはった時が何回かあった。辛かったんでしょう」と振り返った。

 黒柳さんが「ばあちゃんと言っても、年は(今の)私たちからしたら若いんじゃないんですか?」と聞くと、島田さんは「預けられた時は58歳ですよ」と返答。黒柳さんは「だったら、ずっと若いですもんね」と感心した様子で語った。

 島田さんは、「(祖母は)孫の前では泣いたらあかんと心に決めて生きてきたと。苦しい時もあったけど、昭広(島田さんの本名)の前ではいっつも笑ってたと親戚の人から聞いて。本当に面白いばあさんでしたね」と涙声で語っていた。


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