ドワイト・ハワード:マジックも認めるNBAのダンク製造機に聞く 「NBA」をWOWOWで生中継

マジックのドワイト・ハワード選手 (C)2011 NBAE Photo by Fernando Medina/NBAE/Getty Images
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マジックのドワイト・ハワード選手 (C)2011 NBAE Photo by Fernando Medina/NBAE/Getty Images

 米プロバスケットボール協会「NBA」の「2011−2012シーズン」が25日(現地時間)、開幕する。WOWOWは、開幕で「2010−2011シーズン」のファイナルの再現となる「ヒート対マーベリックス」やデリック・ローズ選手、コービー・ブライアント選手らが出場する「ブルズ対レイカーズ」、ドワイト・ハワード選手らが出場する「ネッツ対マジック」など注目のカードを放送。さらに、オールスター前夜祭、オールスターゲーム、プレーオフを放送するほか、カンファレンスファイナル(準決勝)やファイナル(決勝)全試合を生中継する。開幕を前に“ダンク製造機”の異名を持つマジックのハワード選手にインタビューを行い、強さの秘密に迫った。(毎日新聞デジタル)

ウナギノボリ

 −−バスケットを始めたのはいつですか?

 バスケットを始めたのは3歳のころだ。最初はボールも怖かった。でもおやじが僕を抱えてくれて、抱きかかえられながらシュートを打っていたよ。一日中ね。

 −−幼いころから身長は高かったのですか?

 いや、小さかったよ。身長が劇的に伸びたのは9年生(中学3年生)のときだ。5フィート9インチ(約175センチ)から6フィート6インチ(約198センチ)、最後には6フィート9インチ(約211センチ)にまで伸びた。たった1年の間にね。チームの中で一番背の小さい選手だったけど、1年を待たずして一番背の高い選手になったよ。

 −−そのときのポジションは?

 好きなポジションはガードだった。だから、今でもテレビゲームの中でも、自分がポイントガードとして使ってもらえたらうれしい。当時、マジック・ジョンソンのように背の高いポイントガードになりたかった。彼は僕がNBAに来るまでに引退してしまっていたけど、彼のプレーはよくビデオで見たよ。

 −−ジョンソン選手はどんな存在ですか?

 ジョンソンには多大な影響を受けた。なぜなら、10年生(高校1年生)のときに彼に会い、そのときに「君はNBAに入れる」って言われたからね。

 −−NBA選手に本当になれるかもしれないと思ったのはいつごろですか?

 10歳のときだね。トーナメントに出場したときに、自分がほかの選手よりもずっと勝っていると感じたから、「俺はもっと上を目指せる」と父に伝えたんだ。高校の最上級生のときは、全米でナンバーワンの選手だったと思う。

 −−バスケット選手になることに不安はありませんでしたか。

 いや、不安はなかった。一生懸命努力すれば必ずかなえられると信じていた。それに僕の成長を阻もうとする者には耳を貸さなかった。とにかくスキルアップのために練習したし、監督やコーチ、チームメートに「どうしたら上達できるか」と聞いて回った。学習し続けたんだ。

 −−あなたは腹筋と腕立て伏せを1日500回しているそうですが、いつから始めたのですか。

 NBAに入ってからだ。もし高校のときにこのことを知ってたら、やっていただろうけどね。高校のときも腕立てはしてたけど、500回はできなかった。あとはベンチプレスも、マラソンもした。それが今の持久力の基礎になってる。

 −−子どものころ、いろいろな誘惑がある中でバスケに集中するのは難しくありませんでしたか。

 プロになるには犠牲を払うことも必要だ。NBA選手になるため、子ども時代は俺も多くを犠牲にした。外で遊んだりもしなかった。テレビゲームもしなかった。ほとんどの時間をジムやトラックの中で過ごした。指示されたわけではない。一番になりたかったし、そのためには犠牲を払うことが必要だと分かっていた。友だちとも会えなかった。でも、お陰でいい選手になれた。それにチームメートとは深い絆で結ばれることができた。励ましあった仲だからね。

 ◇放送予定

 「ヒートvsマーベリックス」 26日午前4時半~(生中継)、中原雄(解説)、金子ノブアキ(ゲスト)▽「ブルズvsレイカーズ」 26日午前7時~(生中継)佐古賢一(解説)、竹内公輔(ゲスト)▽「グリズリーズvsスパーズ」 27日午前10時半~(生中継)▽「ヒートvsボブキャッツ」 29日午前9時~(生中継)▽「ネッツvsマジック」 30日午前9時~(生中継)▽「週刊NBAアクション」 毎週月曜午後11時半~

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