筋肉少女帯:25周年記念セルフカバー盤発売 大槻ケンヂ「僕は巻き込まれ型ハードロッカー」

筋肉少女帯の大槻ケンヂさん
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筋肉少女帯の大槻ケンヂさん

 4人組ハードロックバンド「筋肉少女帯(筋少)」が、メジャーデビュー25周年を記念したセルフカバーアルバム「公式セルフカバーベスト 4半世紀」を5月29日にリリースした。新曲2曲を含む今作は、今のバンドとしての卓越したスキルが十二分に発揮された1枚になっている。「筋少は日本屈指のテクニカルバンド」と公言し、最近では作家として、また人気アイドルグループ「ももいろクローバーZ」の楽曲などの作詞家としても活躍するボーカルの大槻ケンヂさんに、25年間の思いについて聞いた。(水白京/毎日新聞デジタル)

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 −−トレードマークともいえる“ひび割れメーク”は取材のときはしていないんですか?

 大槻さん:最近はライブのときにしかしてないんですよ、面倒くさいから。振り返ってみると、意外にアルバムによっては(ひび割れ)メークをしてない写真もあるんです。だから、だんだんトレードマークっていうことになって、逆にするようになっていった時期があったんじゃないですかね。

 −−筋肉少女帯は98年にいったん活動を凍結し、大槻さんは執筆活動や「特撮」というバンドの活動を行っていましたが、その後、06年に改めて活動を再開しようと思ったきっかけは?

 大槻さん:そのころ僕らも40代に入ってたんですけど、「40にして惑わず」なんていうのはまったくうそで、大いに惑う上に過去の自分と向き合ってみたいっていう気持ちになるんですよね。あと、ミュージシャンって、特に楽器プレーヤーは40代が円熟期なんですよ。自分がやってきた音楽を、当時のメンバーと一緒にやったらどんな化学反応が起きるんだろうっていう興味がわくんです。それで、再結成のときに昔の曲を数曲セルフカバーしたら、それがものすごくクオリティーが高くて。みんなも(いい)感触があったんでしょうね。

 −−それが、今回の「公式セルフカバーベスト 4半世紀」へとつながるわけですね。中でも特に「日本印度化計画」という楽曲は印象的ですが、この曲を作った当時はどんな状況だったんでしょうか。また、カレーはやはりお好きなんですか?

 大槻さん:大学2年生だったんですけど、留年が決定していて授業にも出なくなって。やることもないからいつも学食にいて1日4食くらいカレーを食べてた(笑い)。そんな自分が嫌だったし、インドの旅行記とかアジアの放浪記みたいなものを読むのが好きで、そういう混沌(こんとん)に憧れたんですね。だから、当時の競争社会で学歴社会の日本など転覆してしまえ、当時は混沌の象徴とされていたインドになってしまえ、という気持ちでした。やっぱりこの歌の「カレー」で一番思い出すのは学食のカレーかな。カレーは大好きです。カツカレーがこの世で一番好きかもっていうくらい。ココイチ(CoCo壱番屋=カレー専門チェーン)はおいしい(笑い)。

 −−なるほど(笑い)。あと、今作には新曲「中2病の神ドロシー ~筋肉少女帯メジャーデビュー25th記念曲」も収録されていますが、この楽曲に込めた思いは?

 大槻さん:音楽的な素質があるわけでもなく、音楽を学んだこともない自分がなぜ25年も歌ってるんだろうっていう不思議な気持ちですよね。「オズの魔法使い」を読んでる可愛い女の子を勝手にドロシーと呼んでるような、中2病真っ盛りの男の子が見る夢みたいだなって。実際、ステージに立ってお客さんに「ワァー」って言ってもらって夢みたいだなって思うんですよ。でもそれは確かにあるっていう感謝の気持ちですよね。

 −−ところで大槻さんは、ももいろクローバーZの「労働讃歌」の作詞を担当していますね。どんな経緯で歌詞を提供をすることになったんですか。

 大槻さん:特撮のギタリストのNARASAKIが、ももクロの曲を何曲も作っているというのもあったし、特撮のプロデューサーとももクロのプロデューサーが一緒で、ちょうど勤労感謝の日に発売だから、「労働讃歌」というテーマでやってくれっていうことで話が来たんです。それで歌詞が「働こう、働こう」になったんですよ。横浜アリーナ(でのライブ)で(ももクロがこの曲を歌っているのを)見たけど、自分の詞をたくさんの人が歌って踊ってくれるっていうのは誇らしいですね。

 −−いろんな分野でお仕事をしてきた大槻さんにとって、音楽活動とはどういう位置づけなんでしょうか。

 大槻さん:25年いろんなことをやらしてもらって分かったんですけど、僕はライブがやりたいだけの人間。でも、僕が子供のころはネットがなかったから、何かを表現しようと思ったらライブハウスに出るしかなくて、ライブハウスに出るためにはバンドを組まなきゃいけない、バンドを組んだら音楽をやらなきゃって。音楽も楽器ができないからボーカルになって、そんなこと言ってたらデビューしちゃって25年たっちゃったっていう。“おもしろ人生”ですよ。気づいたらハードロックバンドのボーカルになっていて、僕は巻き込まれ型のハードロッカーだと思ってるんです。

 −−ミュージシャンとしての今後の抱負は?

 大槻さん:ハードロック仕様に肉体を鍛えたいです。僕はもともと体育会系じゃなくて完璧にサブカルオタク系。ハードロックに巻き込まれたがゆえに鍛えざるを得なくなってよかったと思いますね。でないと今ごろ、メタボのオヤジになってたと思うから(笑い)。

 <プロフィル>

 現メンバーは、大槻ケンヂさん(ボーカル)、橘高文彦さん(ギター)、本城聡章さん(ギター)、内田雄一郎さん(ベース)の4人。88年にアルバム「仏陀L」とシングル「釈迦」でメジャーデビュー。大槻さんが初めてハマッたポップカルチャーは、70年代に大ブームとなったスーパーカー。「『サーキットの狼』というマンガが『週刊少年ジャンプ』(集英社)で連載されていてブームになって。当時環七(環状7号線)沿いに住んでいたので、環七でよくカメラを持ってスーパーカーが走るのを張ってたり、スーパーカー消しゴムをシャーペンの後ろでピッと飛ばしたり、スーパーカーショーをみんなで見に行ったりしてました。小学4、5年生だったと思います」と語った。

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