ピスタチオ:解散の危機を救った“白目芸” ブレーク芸人が語る人気ネタ誕生秘話

解散の危機を救った白目芸について語った「ピスタチオ」
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解散の危機を救った白目芸について語った「ピスタチオ」

 最近テレビやCMでちょくちょく見かけるけれど、実はあんまりよく知らない……。そんな、今さら聞けない“ネクストブレーク芸人”の基礎知識を、本人の言葉を交えて紹介。今回はお笑いコンビの「ピスタチオ」をピックアップする。独特の間を空けてネタを披露し、話すたびに白目をむく変顔を見せたり、「なんのっ?」という独特の突っ込みで、強烈なインパクトを残し、人気急上昇中の2人。漫才でもなくコントでもない“白目芸”「井戸端会議」について聞くと、解散を決めたライブの直前に誕生したという驚きの秘話が語られた。ピスタチオのブレークの自覚、今後の活動などについて聞いた。

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 ◇ピスタチオとは?

 伊地知大樹さん(1985年2月5日生まれ、神奈川県出身。趣味はボクシング、サッカー、パチンコなど)と、小澤慎一朗さん(1988年9月15日生まれ、東京都出身。趣味は麻雀、ダーツ、ビリヤード、パチンコなど)のお笑いコンビで、ともによしもとクリエイティブ・エージェンシー所属の養成所「NSC東京校」の13期生で今年芸歴8年目。初めは伊地知さんがピン芸人で、小澤さんが別コンビで活動していたが、2010年にコンビを結成し、ピスタチオとしては今年で5年目となる。

 コンビ名は、伊地知さんが「響きが可愛い」という理由で「ピスタチオ」と「じゃがいも」の二つを提案して、小澤さんが「じゃがいもだけは嫌だ」と猛反対したため、「ピスタチオ」に決定した。当初は、ピン芸人として活動していた伊地知さんが「トリオのボケをやりたい」と、小澤さんともう1人加えて3人で活動しようとしていたが、なかなかもう1人が見つからず、結局コンビとして活動することになったという。「2人では絶対組みたくなかった」という伊地知さんだが、「3人目を探している1年間、僕はピン芸人として活動していたけれど、小澤君は解散しちゃってて、1年間、何もしないで棒に振ってるんです。お笑い辞めずに待たせている感じになっていた。コンビ組んで解散しても、僕はピン芸人に戻るだけでマイナスはない。それなら組もうかなと思った」と語った。

 伊地知さんは新宿・歌舞伎町のホストクラブでホストをやっており、ナンバーワンの経験もあるというが、やっていたのは芸歴2年目のときで、ホストから転職して芸人になったのではないという。伊地知さんは「地元の後輩がホストで売れていて、独立して店を出すので、手伝ってくれと言われて、バイトのヘルプ感覚で入った」のがきっかけだが、当時お笑いの仕事が月に1回だったため、ほぼホストとして出勤していたという。「暇してるのもあれなんで。負けず嫌いな気持ちがナンバーワンにした」と笑う。ホストも辞めているわけではなく、「お笑いの仕事がなければ今でもホスト。今でも稼げると思う」と豪語する。

 ◇代表ネタの“白目芸”「井戸端会議」の誕生は解散ライブ

 ネタは伊地知さんと小澤さんが2人で「この日に書こう」と決めて書いているが、小澤さんは「全然できなくなって、あきらめて談笑しちゃうんですよ、夜中から朝まで」という。「でも作らなきゃヤバい、朝のテンションでバカなことを言い合って、何が面白いか分からないことをそのままノートに書き写してる」と独特のネタ作りのスタイルを明かし、伊地知さんも「井戸端会議やってます。漫才でもコントでもない、井戸端会議です」とうなずいた。

 ピスタチオの人気ネタとなった“白目芸”「井戸端会議」は、2人がそれぞれ独特の髪形と衣装で登場。伊地知さんが「私の好きな○○を発表したいですっ」、小澤さんが「ようやく聞けるのですねっ」というやりとりから始まり、「なんのっ?」などというユニークなツッコミを、白目をむきながら披露する。

 同ネタが誕生したのは、全くネタが受けず、解散を決めた2012年の最後のライブで、「どうせ最後なんだから何をやってもいいや」と投げやりにやった即席ネタだった。伊地知さんは「最初は、相方が当日書いてきたネタをやろうしていたんですが、急にやりたくなくなって、僕が30分くらいで適当に書いたネタをやることになった」といい、「普通にやっても面白くない。たまたま相方(小澤さん)が帽子をかぶってて、髪形が変で気持ち悪くなっていた。そのまま、変なしゃべり方でネタをやってもらったら面白くて、『絶対受ける。それで行け』となった」という。

 一方、小澤さんは「当時(伊地知さんは)ホストだったんで、隣にいる相方(小澤さん)を不細工に仕立てて、自分をカッコよくしようとしてるのかと思った。本当に当時、仲が悪かったんで……」といい、「『それなら俺はこの気持ち悪い髪形でやる。お前も芸人さんならできるでしょ?』と言って、相方も変な髪形にさせた。当時は七三(分け)でした」と、あの独特の髪形の原型を明かした。

 ライブの結果は、「『ど~も~』って出て行ったら、どえらい受けた! さざ波も立てたことのない僕らが、体感で言ったら、割れるくらい受けた」と振り返る伊地知さん。小澤さんも「今までお客さんの笑い声を聞いたことがなかった。『気持ち悪い!』って言う返しがあった」とうなずく。その後は「解散ライブだったはずなんですけれど、終わったあとに『次ネタ合わせいつにする?』って、お互い解散はなかったことになって、急激に仲よくなって、次のライブの予定を入れていた」(伊地知さん)といい、「その後は解散の話は一回もないです。ちょいちょいケンカはするけれど、本気の解散はもうない」と笑顔で語った。

 ◇ブレークは年末番組

 ブレークは、14年12月に放送されたバラエティー番組「アメトーーク」(テレビ朝日)の年末5時間スペシャルでの特別企画「ザキヤマ&フジモンがパクリたい-1GP」で、白目芸が優勝したことがきっかけ。それまでも、14年4~8月に深夜のバラエティー番組「うつけもん」(フジテレビ)などに出演し、知名度を上げていたが、年末の同番組のテレビ出演後、伊地知さんは「(放送の次の日の)大みそかから、顔を指さされるようになったんですよ。それまでは全くなかったのに。大みそかから1日にかけて年越しライブ、そのあと生放送に出るための幕張の会場に行く間、何回も顔を指さされた。こんなに変わるんだ」と周囲の変化に驚く。ファンは、女子中高生や大学生、小学生の子供はもちろん、「意外とファミリーが多い。子供が来てくれて、意外とお母さんも好きで、というのが結構多くてありがたいです。月一回家族で見に来てくれる人がいる」と喜んだ。

 ◇ライバルは? 今後やりたい仕事は?

 人気、知名度ともに急上昇した現在は、4月からほぼずっと休みのない状態で、ライブが月に約50ステージ、営業も月に約10回ほど、テレビ出演も続いているという多忙な2人。18日には、リズムネタ「ラッスンゴレライ」の8.6秒バズーカー、歌ネタ「あったかいんだからぁ♪」でブレークしたクマムシ、狩猟ネタ「ダンソン(ダンシング・フィッソン族)」のバンビーノとの合同ライブ「OPARTY」を開催する。

 ライバルの存在を聞くと、小澤さんは「ゲスの極み乙女。」、伊地知さんは「SEKAI NO OWARI」と共にロックバンド名を挙げ、「どこに行っても聞く名前で、話題じゃないですか。芸人さんでは(ライバルは)一切いない!」(伊地知さん)と言い切ったが、合同ライブをやる3組については「……バリバリ意識しています」と小澤さん。「特にクマムシ。『アメトーーク』の年末も一緒の企画に出て、あっちが先に売れている。彼らはどうか分からないですが、僕らはちょっと『また出るのか』と意識しています」と小澤さんが語ると、伊地知さんも「合同ライブやってからは結束していますが、バンビーノも同期という意味で気になる」と明かした。

 ブレークした今、やってみたい仕事を聞くと、伊地知さんは「体を張るやつ。ドッキリみたいなやつ! 僕らが小さい頃に見ていた『ザ・若手』みたいな仕事をやってみたい。ナイナイ(ナインティナイン)の岡村(隆史)さんみたいな。それを若手のうちにやっておきたい」と笑顔で語った。一方、小澤さんは「お笑いで一生食っていければ、何でもいい」と言いながらも、「大御所の方がやっている一つもボケない旅番組。温泉に入って、おいしい料理食べて、平和なのがいいですね」と思いをはせていた。

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