エレファントカシマシ:ボーカルの宮本浩次に聞く 療養生活を経て見えてきたもの

療養生活とアルバム「RAINBOW」の制作秘話を語ったエレファントカシマシの宮本浩次さん
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療養生活とアルバム「RAINBOW」の制作秘話を語ったエレファントカシマシの宮本浩次さん

 4人組ロックバンド「エレファントカシマシ」が、約3半年ぶりのオリジナルアルバム「RAINBOW」を18日にリリースした。2012年、ボーカルの宮本浩次さんが急性感音難聴を発症し、バンド活動を一時休止したが、13年9月の日比谷野外音楽堂(東京都千代田区)でのライブ、同年11月発売のシングル「あなたへ」で音楽活動を本格的に再開し、その後、完成させた渾身(こんしん)のアルバムだ。病気を克服して完全復帰を果たした宮本さんに、療養中の生活やその後のアルバム制作について聞いた。

ウナギノボリ

 ◇自分の体にムチを打ちすぎた

 ――12年、映画「のぼうの城」の主題歌になったシングル「ズレてる方がいい」のリリース前に体調を崩してしまったそうですね。

 「ズレてる方がいい」は映画の主題歌が決まってから作った曲で、ホントにやりがいのある仕事だと思って取り掛かったんです。気持ちとしては“もっと上を目指したい”っていう上昇志向でね。でもその一方で、1年か1年半に1枚アルバムを出し、コンサートをやるっていうのをその時点で24、5年にわたって続けてきて、ホントに疲れていましたね。実はその時、ほとんど寝ない環境の中で歌うとか、そういう仕事の仕方を強(し)いてやっていたんですね。(活動を)止めること自体も怖かったし。しかも、体調がすぐれないから、体力が落ちたんだと思って突然マラソンを始めたんですよ。それも1日10キロ。それは要するに、体力が落ちたんじゃなくて、疲れていたわけ。疲れて体調が悪いのにもかかわらず、1日10キロマラソンするって、さすがに自分で自分の体にムチを打ちすぎたんですね。

 ――手術して10日間ほど入院されていたそうですが、当時はどんなお気持ちだったんでしょうか。

 やっぱり、深夜に月夜を見ながらいろいろ考えたりしましたよ。自分の今までの生き方とか。それで、自宅に戻って朝方の暮らしを始めまして。ところが、退院してわりとすぐに日比谷の野外音楽堂で弾き語りのコンサートをやっちゃったりして。「ミヤジ(宮本さんの愛称)が病気して耳が聴こえなくなっちゃった。でも治って出てきた」っていうところで、普段のコンサートとは違う心の交流というか、歌い手と聴き手じゃなくて、同時代を生きる同じ人間同士というか、そういういい感じの野音の1日があって。でも結局、歌ってさらに調子が悪くなっちゃって、それで完全に2カ月休養していました。

 ◇療養生活は「転換点になった」

 ――療養生活はつらかったですか。

 ところがね、ホントに充実した時間だったんですよね。湘南の海に行って、2時間、波に耳を向けているとか、近郊の山に登っていたら、鉄砲をポンポン撃っていて、なんでだろうと思ったらイノシシを撃ってるんですよね。イノシシが本当に歩いていて、その流れ弾に当たって死んだらどうしようとか思いながらその山を歩いたり。そういう自分だけの時間を作れたのはありがたかったですね。自分が生きてきた中で、いろんな転換点だったのかもしれないです。

 「今までの“常に上昇志向で”っていうのが今の自分の体でできるのか?」ってどこかで思っていたから、一回止まることでいろいろ考える機会になったし、野音のコンサートで、“歌い手ミヤジ”じゃなくて、同じように生きて悩みを抱えてる一人の人として、お客さんが迎え入れてくれたことを実感できた。そういう体験がこのアルバムのスタートになっているんじゃないですかね。その後の休みは、自分はもう当然、歌うつもりになってました。ただ、自分が本気で歌いたいって思うまでは休みたいって思っていましたし、実際に休めたと思います。

 ◇そうっと歌っても十分説得力があった

 ――その療養中に作った楽曲が結構、今作に収録されているということですね。

 そうです。ローリング・ストーンズとかビートルズとか、自分の好きなアルバムを小さい音で聴き始めて。今回、いろんな歌を歌ってるんですけど、「あなたへ」「なからん」「昨日よ」「シナリオどおり」「雨の日も風の日も」などは病気のあとに作った歌で、“そうーっと”歌ってるんですよ。耳がおっかないから。音を聴くのも発声するのもそっとやってたんです。だから歌い方も裏声で、そういうのを自分で初めて体感できたというか。僕は絶叫型で、実は合唱団出身の美声の持ち主なのに、それを壊すかのような絶叫が得意技だと思っていたんですが、部屋でそうっと歌ってみたら、十分説得力があるってことを確認できたんですよね。だから、休息によって、中年である自分を受け入れる、どうにもならないこともある……遅ればせながらそうやってたくさん学べて、すごく歌い方も向上したと思います。

 ――そういった経験もあって、ファルセットやコーラスを多く曲に取り入れているんですね。歌詞に関しては?

 僕が一番うれしかったのは「RAINBOW」という曲なんです。病気になっちゃったのは自分にとっては大事件でしたから、そういうことを経てアルバムを作ってきた心境を代表するようなものを歌って仕上げたかった。その時に「RAINBOW」の「暮れゆく街のざわめきの中に立って落ちてゆく(中略)でかい渦巻の中……」って(歌詞を書いて)、いうなれば“闇”ですよ。闇の渦巻きというか。人間って気分を鼓舞したい時期もあるけど、闇の部分も絶対にあって、やっぱり闇を実感せざるを得なかった。“限りある器”というか。だからその闇を「RAINBOW」と名付けることにしました。虹って明るかったり暗かったり、いろんなものを象徴的に表すような気がしまして。この“闇”をハードなサウンドに乗せて歌えたっていうのはすごくよかったんですよね。サウンド的にも歌詞的にも筋が通った感じがしました。

 ――病気を経験して再始動したわけですが、今後の活動のスタンスに変化はありそうですか。

 「人生楽ありゃ苦もあるさ」って「水戸黄門」の歌じゃないですけど(笑い)、まだ引退するには早いですから、ノッてきたときは、結局、ペースを上げていかざるを得ないんじゃないですか。何とかうまく休みながらやっていくことなんだと思います。

 <プロフィル>

 メンバーは、ボーカルの宮本浩次さん、ギターの石森敏行さん、ベースの高緑成治さん、ドラムの冨永義之さんの4人。1988年にアルバム「THE ELEPHANT KASHIMASHI」、シングル「デーデ」でデビュー。97年にリリースしたシングル「今宵の月のように」がフジテレビ系ドラマ「月の輝く夜だから」の主題歌になり、ヒットした。宮本さんが初めてハマッたポップカルチャーは、小学校3、4年生の頃に読んでいたマンガ。「『巨人の星』とか『天才バカボン』がすごく好きでした。(原作者の)梶原一騎の世界は好きでしたね。『あしたのジョー』『巨人の星』とかに代表される、男の世界観みたいなものはホントにすてきだなって。感動しますね」と話した。

(インタビュー・文・撮影/水白京)

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