渡辺謙:映画「怒り」を語る 怒りの正体は「自分の心の問題」

映画「怒り」について語った渡辺謙さん
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映画「怒り」について語った渡辺謙さん

 映画「悪人」(2010年)の原作者、吉田修一さんと李相日(リ・サンイル)監督が再びタッグを組み、俳優の渡辺謙さんら豪華キャストが出演する群像劇映画「怒り」が17日に公開された。ある殺人事件の犯人が、顔を整形し逃亡を続ける中、千葉、東京、沖縄に素性の知れない3人の若者が現れる……。3人とその3人にそれぞれ関わった人々が、大きなうねりに巻き込まれる姿を描いている。“千葉編”に出演した主演の渡辺さんに話を聞いた。

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 ◇悩みを吹っ切らせた原作者の言葉

 渡辺さんは、8年前に妻を亡くして以来、男手一つで娘を育てながら漁協組合で働く男、槙洋平を演じた。渡辺さんは洋平について「何かを決断したり、能動的に動いたりせず、もぐらやどじょうのように、ずっと土の中にいてもがいているような男」と表現する。それだけに、その人物像の輪郭を「どういうふうに作っていけばいいのかがすごく難しく」、また物語が千葉編、東京編、沖縄編と独立する中で洋平としての“立ち位置”を、「最終的には、どうしたら収まりがつくんだろうと悩んでいた」という。そんな渡辺さんを吹っ切らせたのが、原作者、吉田さんの言葉だった。渡辺さんはそのときのことを次のように振り返る。

 「吉田さんが原作を書いたとき、この話をどういうふうに終わらせるか悩まれたそうです。それぞれがまったく関わりもないし、お互いに全然面識もないのだけれど、東京編も沖縄編も千葉編も、そこに出てくるいろんな人たちの思いとか悩みや苦しみを、槙洋平が全部引き受けてくれるのではないか、そういうふうに書いたとおっしゃったんです」

 その吉田さんの言葉を聞いたとき渡辺さんは、「あ、そういうことなのか。単に、娘がどうこうということではなく、最後にみんなのいろんな思い、苦しみや、悩んだり傷ついたりしたことを、全部引き受ければいいんだと思った」という。ただし、あくまで「引き受ける」のであって、「背負う」のではない。「背負えるほどの心じゃないんですよ。“背負う”というのは、ある種のレスポンシビリティー(責任)を持つわけじゃないですか。そうではなくて、とにかく“引き受ける”。僕はそう思っているんです」と両者の微妙な違いすらおざなりにしないところに、渡辺さんの役者魂がのぞく。

 ◇李監督作品は「結構しんどい(笑い)」

 渡辺さんが李監督と組むのは「許されざる者」(13年)以来3年ぶり2作目だ。渡辺さんによると李監督は、「自分が納得できる空気というかな、それが成立しない限りは首を縦に振らない」という。それは、李監督の「正直さ」から来るものだと渡辺さんは考えている。その一方で、「李監督は、こういうふうに表現してほしいなんてことは、これっぽっちも言わない。でも、こちらが悩んでいることを黙って見ているのではなく一緒に悩むんです。だから、妻夫木君にしても、僕にしても、彼(李監督)の腹に落ちるまでやり続けるんだと信じられるし、悩んでやったことが、たとえ編集で落とされたとしても、画(え)のどこかに残っていると信じることができるんです」と李監督に絶大の信頼を寄せる。

 とはいえ、李監督を納得させる演技をし続けることは「結構しんどい(笑い)」ようで、今作の冒頭で、宮崎あおいさんが演じる娘を連れ戻すために、東京・新宿の歌舞伎町を訪れる場面では、「僕は、槙洋平としてその場にいたつもりだったんですが、手を縛られ、足を縛られ、目隠しをされ、みたいな、それぐらいいろんなことを封印させられました。時間的には結構さくさく撮っていったんですが、何もしない、何もしないと、どんどん削(そ)がれていくというか……」と苦笑する。そうしたしんどさゆえ、「3年に1度しか撮れないんだと思います(笑い)」と漏らすが、その表情には充実感がにじむ。

 ◇「怒り」の意味

 今作のタイトルについて渡辺さんは「僕は、『怒り』というタイトルが、この映画を支配しているのではないと思うんです」と言い切る。例えば、今作に登場する人々は、松山ケンイチさん、綾野剛さん、森山未來さんが演じる素性の知れない3人の若者を愛し始めたとき、彼らを“信じたい”と思う。「怒り」と「信じる」ことの関係について渡辺さんは、「信じるというのは、相手の問題ではなくて自分の問題。自分の心を開くことによって、その人を信じるわけですよね。逆に、人を疑ったときに、例えばそこに怒りを生じるのは、おそらく、自分が開いた心に対して怒るわけです。だから、信じるのも疑うのも全部自分の心の問題で、人は、そうやって揺らぐものだということをほのめかしているのだと僕は思うんです」と指摘する。

 さらに、「妄信することのほうが、どれだけ楽か。妄信できないからこそ、揺らいだり、疑ったり、また、それを信じようとしたりするわけです。それに、その怒りも、拳を振り上げるようなものではなく、そっと拳を握ってしまうようなもののような気がするんです」と続ける。その上で、「それこそこの犯人も、本当に怒り狂っているわけではなくて、何かがずっと積み重なって、ああいう行為やものの考え方に走ってしまった。その発端は、どちらが正義でどちらが悪だという白黒はっきりした怒りではなく、細かいことが積み重なっていったもので、いうなれば『怒り』とは、信じることや疑うことと、ある種、同じピースのような気がするんです」と位置づけた。

 ◇素顔は「すごく優柔不断」

 「吉田さんの作品や李監督の作品は、あまり触りたくないもの、自分がふたをしているものをぱかっと開けられちゃうみたいなところがある」と話す渡辺さん。今回、槙洋平という男を演じてみて、渡辺さん自身はそういうものを「見させられた」との思いがあるという。

 「僕は、周囲から、結構論理的で決断力があるように思われていますが、実はすごく優柔不断なんです(笑い)。演じる役が、自分の中にありますかとよく聞かれますが、『結局、あるよね……』って、はぎ取られてしまうようなところが、李監督の作品にはあるんです」と打ち明ける。その上で、「でも、小さいうそをついたり、自分自身をだましてそうだと思い込んだり、そういう触ったら傷がつくようなところは、誰しもあると思う。だから、この映画を見た人が傷ついたり、嫌なものを見たと感じるのは、そういう傷が、自分の中にあるからだと僕は思うんです」と、今作が持つ普遍性に言及し、インタビューを締めくくった。映画は17日から全国で公開中。

 <プロフィル>

 1959年生まれ、新潟県出身。83年、「未知なる叛乱」で映像デビューし、87年、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」で主演。2003年、「ラスト サムライ」で米アカデミー賞助演男優賞にノミネートされ、15年には、米ニューヨーク・リンカーンセンター・シアターで「王様と私」に主演し、トニー賞ミュージカル部門主演男優賞にノミネートされた。主な映画作品に「明日の記憶」「バットマン ビギンズ」(ともに05年)、「硫黄島からの手紙」(06年)、「沈まぬ太陽」(09年)、「インセプション」(10年)、「許されざる者」(13年)、「GODZILLA ゴジラ」(14年)、「追憶の森」(16年)などがある。

 (取材・文・撮影/りんたいこ)

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